昼下がりのバイブ 02 03
結城楓は退屈していた。結婚してから2年間、大きな刺激も感動もない日々にいい加減疲れてしまっていた。
楓は主夫だ。
同性婚が認められて5年。男兄弟ばかりで娘がいないことを嘆いていた親は、これ幸いにと楓に縁ある家の男との結婚を強いた。
楓はろくに面識もなかった相手と結婚することになった。夫にとってもいきなり押し付けられた男を愛せというのが無理な話だろう。当然のように夫夫仲は冷え切っていた。
にもかかわらず、親には外に出ず専業主夫になるように言われた。家にいて夫を支えるのがお前の仕事だと。
必然的に決まったばかりだった就職を断らなければいけなくなった。
世の中は常に変化し続けているというのに、時代に真っ向から逆流している話だ。
楓は少し由緒のある家に生まれたというだけで、中身は普通の男のつもりだ。社会に出て自分の力で頑張ってみたいと思っていたのに。
仕事といえば家事になってしまうのだが、通いのお手伝いさんが大抵のことをやってくれるためやりがいはない。給料をもらっている人の仕事を奪うのは気が引ける。
せめて夫と良好な関係を築けていたら違っていたのだろうが、今はお手伝いさんを通してのやりとりの方が多いというありさまだ。そのやりとりというのも必要最低限の手続きなどに関してのみ。
親に訴えてみてもとりつく島もない。いっそ出ていってやろうかと思ったが、そうなれば間違いなく絶縁され、この先誰にも頼らず無一文で一から生きていかなければいかなくなる。それを選択するほどの勇気もなかった。
自分はこのままただ何もせず、大きな困難も苦痛も感じない代わりに歓喜も充実感も感じられない日々を過ごし、老いていくのだろうか。
そんな考えにとらわれていたある日のこと。
楓は何の気なしにポストに投函されていたチラシを眺めていた。
デリバリーのカタログに、様々な商店、不動産、業者などの広告。中には宗教の勧誘や怪しげな商法の広告もある。どうでもいいものばかりだが一時の暇つぶしくらいにはなる。
その中に一枚、異質な広告を見つけた。
「何だこれ……」
シンプルなデザインの中央には、シリコン製で陰茎を模した道具――バイブの写真が大きく載っていた。
『刺激のない日々を送っているあなたに! このバイブは10段階の振動と様々なうねりのバリエーションであなたを楽しませます。挿入すると振動しながら全方向に生き物のように回転してうねり、内壁を擦ります。本物の勃起したペニスと同じ硬さ、サイズは2種類から選べます。女性はもちろん男性も声を出さずにいられないオーガズムを味わえます。これであなたの世界が変わる!』
こんなものをポストに投函するなんて、何を考えているのだろう。今までもピンクチラシが入っていたことはあったが、ピンポイントでバイブの広告なんて見たことも訊いたこともない。
楓はシュレッダーにかけて捨てようとして、もう一度広告に目を落とした。
「世界が変わるって」
鼻で笑ってやったつもりだったのに、何故か中々目が離せない。
女でも男でも気持ちいいというのは本当だろうか。かなり太くて長くて、挿入したら痛そうなのに。
こんなものが気になってしまうなんて、知らないうちによほど溜まっていたらしい。そういえば最近は自慰すら回数が減っていた。きっとそのせいだ。
挿入すると振動しながら全方向に生き物のように回転してうねり、内壁を擦る――それはどんな感覚なのだろう。本当に世界が変わる、変えられるのだろうか。
ごくりと喉が鳴った。
そして数日後。
平日の昼すぎ、楓一人の家にインターホンが響いた。
数日間、まるで悪いことが発覚するのを恐れる子どもみたいな気分で過ごした。
楓に興味がない夫にばれる心配はないようなものだったし、そもそも大人が大人のおもちゃを買ったところで何ら問題はないはずなのだが。
それでも今日までそわそわして、落ち着かなかったのだ。
楓はにわかに胸を高鳴らせながら、玄関のドアを開いた。
「こんにちはー、ディック通運です。お荷物お届けに参りました」
「どうも」
何度か見たことのある配達員だった。健康的に日に焼けた肌、長身で力仕事をするのに十分な筋肉のついた体。
年齢はそう変わらなさそうなのに、家にいるばかりで筋肉が落ち、色も生白いままの楓とは大違いだ。
配達員は紙袋を手に持っていて、どきりとした。
あれにバイブが入っているのか。厳重に梱包してダンボールに入れるべきではないのか。形でバイブと分かってしまったらどうしよう。
不安からとにかく早く受け取りたいと、楓はいそいそとハンコを押した。
「どうもありがとうございます。あ、すいません、袋にガムテープがついちゃってる」
「いえ、そのままで」
そのままでいいからとすぐに受け取ろうとたが、最悪のことが起きてしまった。配達員がガムテープを剥がそうとして紙袋まで破れ、中身が床に落ちてしまったのだ。
「ごめんなさい、商品が……っ」
「……っ」
全身から血の気が引いた。バイブは透明なプラスチック製の容器に入っており、それが何であるのか一目瞭然だった。
なんていい加減な梱包だろう。と販売業者に怒っている場合ではなかった。
隠す間もなく配達員にも見られて、沈黙が落ちる。
「――あの、落としてしまったので、新しいものを用意したほうがいいですよね」
「いえっ、いいですから、中身は大丈夫だろうし」
配達員の顔を見るのが怖くて、俯いたまま返す。羞恥と焦りで顔が赤くなっているのが分かる。とにかくすぐに出て行ってほしかった。
しかし配達員は予想外に食いついてきた。
「しかし、損壊があった場合俺のせいで、それは弊社の責任ということになりますから」
「いや本当に……もし壊れてても絶対クレームしたりしませんから」
今更遅いが、楓はバイブを拾って後ろ手に隠した。
本当に恥ずかしい。出来心でこんなものを買ったから罰が当たったのだろうか。買わなければよかった。
「でも」
「本当にいいですから。これから私用がありますし、そちらも仕事中でしょうからもう」
もう引き取ってくれ。そして次からはこの運送会社を使うことは絶対避けよう。夫の荷物などで避けられないならお手伝いさんに受け取ってもらおう。
そんな風にごちゃごちゃ考えていると、突然配達員のまとう空気が変わった。
「――私用って、これからそれを使うんですか」
「え……?」
何を言っているのだろう。
俯いていた顔をつい上げると、配達員はやけに真剣な表情で楓のことをじっと見ていた。
「奥さん、専業主夫でいつも家にいますもんね。旦那さんは忙しそうだし、溜まってるんでしょうね」
「なっ……何言って」
「何って、だからそのバイブを、あなたの中に自分でハメてズボズボ抜き差しして、オナニーするんですかって訊いてるんですよ」
配達員の口から卑猥な言葉が飛び出す。馬鹿にされているのかと怒りを覚えるのと同時に、何故か体の奥がずくんとして、楓は唇を噛んだ。
客に突然こんなことを言い出すなんてどう考えても普通じゃない。なら何故この男はこんなことを。
にじり寄ってくる配達員に楓は恐怖を覚えた。
「どうなんですか。俺が、壊れてないか確かめてあげましょうか。あなたのおま〇こにずっぽりハメて、振動しながら回転してゴリゴリ中を擦って、気持ちよくてメスイキするところ見れたら、壊れてなかったから大丈夫だって安心して引き取りますよ」
「や、やめてください、警察呼びますよ」
「いいんですか、こんなもの買ったって警察に知られて。旦那さんも怒るんじゃないですか、俺のち〇ぽじゃ不満だったのかって」
「……っ」
確かにこんなことで警察になんて行きたくない。夫については、配達員の言っていることは的外れだが、さぞ呆れて恥だと思われてしまうだろう。
「黙るってことは、やっぱり旦那さんとは上手くいってないんだ。仲がよかったらバイブがどうこうよりまず心配して、変な男に絡まれて大変だったね、で済む話ですもんね」
「そんなこと、君には関係ない……っ」
「関係ないか。あなたにとってはそうでも、俺にとってはそうでもないんですよね」
「ひああっ」
配達員を毅然と拒否することができずにいると、いきなり尻をぎゅうっと揉まれた。
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