いつでも君を02
次の日は不幸中の幸いというべきか土曜で学校は休みだった。部屋に引きこもっていると懐かしい客が訪ねてきた。
「よっ遠夜」
中学のとき仲が良かった友人だった。遠くの高校に進学して家を出ていたが、久しぶりに帰ってきたのだという。
しばらく向こうの近況報告を聞いていたが、消沈した様子の遠夜に友人が切り出してきた。
「――お前、学校で上手く行ってないのか? おばさんが心配してたぞ」
びくりとする。返事はしなかったが遠夜の様子で察したのだろう。
「まあ結構なお坊ちゃま学校だし色々大変そうだもんな。しんどいならいっそ、俺の学校に転校したら? お前のとこと比べたらそりゃ金かかってなくて施設ショボいし、偏差値もちょっと下だけど、気楽で楽しいとこだぜ。寮もあるしな」
「……転校」
友人の提案は一筋の光のように思えた。
今の学校は金持ち私立で、成績がよければ学費は安くなるということで中学の教師や塾の勧めもあり背伸びして受験して何とか受かったものの、遠夜の身の丈には合っていないかもしれないと感じていた。
このまま通い続けて二条に嫌な思いをさせ、自業自得とはいえ周囲に蔑まれ続け、家族にも迷惑をかけるくらいなら。いっそ遠くへ逃避してしまうのもいいかもしれない。
そう、ただの逃げだ。でも何より二条から嫌がられていることに、遠夜はもう耐えられそうになかった。
「――考えておくよ、ありがとな」
「おう、寮生活楽しいぜ。まあ男子校なのが唯一最大の欠点だけどな」
「げ、男子校から男子校って。転校する意味ないじゃん」
逃げ場があると思うとそんな軽口を叩く余裕も出てきた。現金なことだ。遠夜は未だ胸にくすぶる思いを抱えつつも友人に感謝した。
◆◇
学校では相変わらず四面楚歌で、嫌がらせや悪口に遠夜は疲弊していった。
この期に及んで気が付くと二条の姿を探している自分がいて、制御出来ない執着が怖くなってくる。嫌われ、気持ち悪がられているとわかっているのに。
数日後、遠夜は誘われるがまま友人の学校を見学しに行った。
綺麗で設備も充実している今の学校に比べると平凡で確かに見劣りする部分はあったが、元々公立の小中学校に通っていた遠夜としては親しみやすさを覚えた。生徒たちの雰囲気も悪く言えば男子校らしくガサツだが、よく言えば開放的で楽しそうだ。
――ここに逃げられたらきっと楽になれるのだろう。
友人と別れた後の帰り道。
転校するとしたら親になんと切り出せばいいのか。苦労してはいった学校なのでやはり未練はある。
そんな悩みを抱えてすぐに帰る気にはなれず、駅に着くと家とは反対の方向に寄り道することにした。
駅周辺はここ最近開発が進み、少し歩くと高層マンションが建ち並んでいる。
「あのね、上の部屋にすっごいイケメンの高校生が引っ越してきたの! かっこ良すぎて二度見しちゃった」
「えーいいなー。でも高校生って若すぎじゃない?」
「ほんとに道踏み外しちゃいそうなくらいかっこいいんだって。見たら分かるよ」
買い物帰りらしき若い女性達の会話が耳に入ってきて思わず足が止まる。そのマンションはかなり仰ぎ見なければいけないほど高層で、夕日に照らされて大きな影を作っていた。
「――おい、お前何してんだよ」
明らかに険のある声で言われぎくりとした。振り返ると二条の親衛隊が3人こちらを睨みつけている。
「お前の家こんなとこじゃないよな。二条のマンション探してたのか」
「お前のせいで引っ越しったってのに、まだ懲りてねえのかストーカーが」
口々に責め立てられる。結局こうなってしまうのかと頭を抱えたくなった。
マンションを探すつもりなんてなかったと声高に言いたかったが、一方で果たして本当にそうだろうかと頭の中で声がする。
二条は引っ越した。駅の近くだと噂では聞いていた。経済的にも十分この辺に住めると予想はできていたはずだ。
だから寄り道なんて自分に言い訳して、無意識に二条の新居を探してこの辺をうろついていたんじゃないか。そんなの、完全にストーカーだ。もし自分がやられたらと思うとゾッとするような、気持ちの悪い――。
とは言え二条にならいくら批難されても当然だと思えるが、彼らに対しては今まで溜まったものもあって素直に従う気になれなかった。
「別に……探してたわけじゃない。うろついてるのはそっちだって同じじゃないか」
「っ、口答えしてんじゃねーよ」
「……っ」
激昂した男の一人が、遠夜にジュースをかけてきた。避けそこねて頭から上半身がベタベタの液体で濡れる。
「惨めな姿だな。これに懲りたらいい加減二条に近づくな」
「消えろよストーカー」
暴力は振るわないところは腐ってもいいところ育ちのお坊ちゃんといったところか。いっそ殴ってくれたら少しはこのモヤモヤが解消されるかもしれないのに。
――本当に惨めだ。
言い返す気力もなく、負け犬よろしく帰ろうとしたときだった。
「――何してるの」
「に、二条!?」
見慣れぬ私服姿の二条が立っていた。目が合って遠夜は蒼白になった。
「二条、こいつがストーカーしてこんなところにまで来てたんだよ。俺らが追い返そうと」
ああ最悪だ。これ以上悪くなりようもないと思っていた二条からの印象が更に地の底まで下がっていく。
「マジで迷惑だよなこいつ」
「これ以上しつこいようなら警察に突きだそうか」
「――ちょっと黙っててくれないかな」
二条の一言で場が静まり返った。
最初、遠夜は親衛隊が二条を囲い込み、自分たちに都合よく扱おうとしているのではないかと懸念していた。だがそれは杞憂に過ぎなかったのだ。二条は柔らかく振る舞いながら決して他人の思うようにはならない。周りを支配し従えてしまう資質を持っていた。
暖かな色の夕日を背にした二条は、いつもより冷たい表情をしていて、綺麗と思う感情を通り越して遠夜はぞっとした。
「ごめん、俺すぐ帰る、もう二度と近づかないから……っ」
もう二条に近づいてはいけない。二条のためにも自分のためにも物理的に離れて互いの視界に入らないようにして、忘れなければいけないのだ。
泣きそうになりながら遠夜は走り去ろうとした。しかし思いがけずその腕を掴まれる。
「来て」
「え、何……!?」
「に、二条、何でそんな奴を」
親衛隊が呆然と声を上げるが、二条は最後まで一瞥もしなかった。遠夜の腕を離さないまま一番高層のマンションの中へ入っていく。
外観以上に中は豪華で高級感が漂っていた。以前のところと違ってコンシェルジュ付きでセキュリティがしっかりしていそうで、ここならストーカー対策にもなるだろう。
しかしそんなところに関心する余裕もなく、遠夜は混乱して訳が分からなくなっていた。
「――転校するって本当?」
エレベーターの中で二条が切り出した。
「……そ、それは」
「どうしてそんなことになったのかな」
狼狽える遠夜に、二条は容赦なく問いかける。
「っ、二条だって、俺に学校やめてほしいと思ってるんだろ、だから……」
だから、他の生徒がどれだけ嫌がらせをしても静観してきたのだろう。
自業自得なのだからそんな恨み言は吐けず飲み込む。
今までも不快な相手に対しては毅然とした態度で拒絶してきた二条。遠夜もそのうちの一人になろうとしているのだ。
「確かに、君には辞めてほしいと思ってるよ」
分かってはいても胸がずきりと痛む。そのときエレベーターが開いた。高級ホテルのような内装の廊下に見惚れている暇もなく、二条が住んでいるらしい部屋にまで連れて行かれる。
「あ、あの」
「とりあえずシャワー浴びてきなよ。汚れてる」
確かに髪や上半身はジュースでベタベタしていて、白を基調とした綺麗な部屋にこのまま上がることはとてもできない。
そもそも何故上がることになったのか理解が追いついていなかったが、二条にそれが当然とばかりに浴室に連れられ流されてしまった。
広々とした浴室に落ち着かない気分になりながらできるだけ急いでシャワーを浴びて汚れを落とす。見慣れぬボディソープからはいい香りがして、二条もこれで体を洗っているのかと妄想が浮かびそうになって慌てて打ち消す。忘れようと決意したばかりなのに何を考えているのだろう。
シャワーを止めて脱衣所に上がって、遠夜は大いに困った。
服がない。置かれているのは真っ白なバスタオルとバスローブだけだ。汚れたから二条が洗濯してくれているのだろうか。ジュースがほどんどかからなかったはずのボトムや下着までなくなっている。
とりあえずバスローブを着る。こんな心もとない格好で二条の前に行くのは怖かったが、まさか二条の下着をもらうわけにもいかない。
またおかしな妄想に取り憑かれそうになって、遠夜はぶんぶんと頭を振った。
意を決して脱衣所から出ると、二条が目の前に立っていて変な声が出そうになった。
「あ、あの、シャワーありがとう。俺の服……」
「ん? 服なんていらないよね。ずっとここにいるんだから」
思いがけず極上の笑顔を向けられ、思考が停止した。二条らしくない冗談を言われたことは分かったがそれどころではなかった。
促されるままソファに座り、いい香りのするお茶を出される。
「この部屋どう思う? 気に入った?」
「す、すごくいいと思う。家具も何かセンスよくてモデルルームみたいだし」
ふわふわした気分で喋りながら、そういえば自分というストーカーのせいで引っ越さざるをえなかったことを思い出してまた気分が落ち込む。
「ごめん、俺のせいで引っ越すことになって」
「いいよ、部屋を選ぶのも楽しかったし」
二条は本当に心優しい。迷惑をかけてきたストーカーを家に上げて笑顔で接してくれるなんて、優しすぎて心配になる。
本当に何故自分はこんなところにいられるのだろう。緊張して喉が渇きお茶がどんどん減っていく。いい香りに包まれ、目の前には恋い焦がれた人がいて、頭がぼうっとしてくる。
「ええと……あのときハンカチありがとう。洗濯して返そうと思ってたんだけど……」
「ハンカチ? ああ、気にしないで捨ててしまっていいよ」
ばっさり切り捨てられて胸がずきりと痛む。ストーカーの手に一度渡ったハンカチなど触りたくもないのだろう。実際汚い欲望の道具にしてしまったのだから二条は至極正しい。
「俺……色々嫌な思いさせてごめん。もう二条の前には現れないようにするから」
「……ちょっと何を言っているのか分からないな。だから転校するつもりになったってこと?」
ストーカーを目の前にしてもにこやかだった二条が、すっと表情を冷たくする。
二条が怒っている。自分がいなくなれば安心してくれると思っていたのに冷たい目で見られて遠夜は混乱した。
――そういえば何故、転校することを知っているのだろう。学校の人間には誰にも言っていないというのに。
ふと湧いてきた疑問をぶつけてみると、二条は不機嫌そうなまま言った。
「何故って、聞いたから。君が中学の同級生に唆されているのを」
「え……?」
遠夜は目を瞬いた。
「ど、どこで聞いたの?」
「何が不思議なの? 君はいつも語りかけてくれているだろ。俺がプレゼントしたぬいぐるみに」
当然とばかりに二条が笑う。
――ぬいぐるみ。文化祭で二条のクラスの出し物の景品だったものだ。普段なら興味をもたないような可愛らしい犬のぬいぐるみに随分小銭をつぎ込んでしまったが、二条の手から直接もらえたときは天にも昇る気持ちだった。もちろん遠夜が特別なんてことはなく、多くの客の中の一人でしかなかったが。
背筋がぞくりとした。二条はじっとこちらを見つめている。
これ以上ここにいてはいけない気がする。本能が警鐘を鳴らしている。
「俺っ、そろそろ帰るよ。服、汚れてても濡れててもいいから……っ」
立ち上がって歩き出そうとしたが、何だか体がほてって、力が入らずよろめいてしまった。そこを二条の腕に支えられる。
「大丈夫?」
「あっ……」
細く見えてもやはり二条は男で、思いの外しっかりした力で抱きとめてきた。心臓がうるさいくらいバクバク言って、体が更に熱くなる。
「――俺もずっとお礼を言いたかったんだ。このタオル、ありがとう」
二条が使い込まれた青いタオルを取り出して見せてきた。しかし遠夜には見覚えがない。ありふれたスポーツタオルは二条には似つかわしくないように見えたが、とても大事そうにそれを持っている。
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