読めない男 飲み会編 5
周囲はそれまでの馬鹿騒ぎから一変して、再び水をうったように静まり返っていた。遠くのテーブルの会話が聞こえてくるくらいしんとしている。
俺はその理由なんて考える余裕も無く、ひたすら柴崎さんにしがみついた。
柴崎さんの体はやっぱり見た目よりがっしりしていて、見た目に反して熱かった。
「しばさきさん、ひどいですよぅ……。俺は、おれはぁっ……」
俺は放したら負けてしまうような気がして、そりゃもう全身押し付ける勢いでぎゅうぎゅうと抱きついた。
しかし柴崎さんは無反応だ。……冷たい。
「……ええ、何、あの二人どうしたの?」
「激しく抱いた、って言ったよね?」
「いや抱きしめた、でしょ?」
「まさか私の柴崎さんが〜」
「ハルちゃんの頭がちょっとおかしくなってるだけだろ?」
酔っ払った部員たちは好き勝手言っている。と、柴崎さんの熱いてのひらが肩にかかる。
「……おい」
「うぅー……」
明らかに引き剥がそうとしている。悲しい。
俺はその手を振り払って、柴崎さんの両脇に腕をまわし、さらにきつく抱きしめた。
「……なんだか、親から離れようとしない動物の赤ちゃんみたいだね……」
「いやー、あれはちょっとあやしいって」
ひそひそ話をする外野を尻目に、俺は逞しい胸に頬を擦りつけた。
ああ、なんか鼓動がドクドクいってて面白い。嫌じゃないしむしろ落ち着く感じがして……気持ちいいな。
柴崎さんは今度こそ固まったみたいだ。と思ったらまた肩に手を置かれたけど、今度は引き剥がそうとはしなかった。
……あれ、何で俺抱きついてるんだっけ。……まあいいか。
「――おい、何やってるんだよ川島」
「……あー?」
しかし悦に入る間もなく、俺は不意に強く体を引っ張られた。必然的に柴崎さんと引き剥がされ、不満の声をあげる。
「……お前、また飲んだな。完璧に酔っちゃってるし……バーカ」
見上げると、酷く呆れた顔の黒木がそこにいた。静かな声に反した強い力で、いつの間にか柴崎さんから大分離されてしまった。
「うるさいなあぁー。酔ってないし! いつもいつも、おれのジャマをしやがってー……」
「ハイハイ。……こうなってウザイからやめろって言ったのに。――すみませんね、柴崎さん。こいつ酔うといつもこんなになるんですよ」
「……いや。……いつも?」
黒木は俺に小言を囁いたあと、柴崎さんに営業スマイルで謝ってみせた。柴崎さんはやっぱり酷い仏頂面。抱きついたから怒っちゃった……?
それにしてもタイプの違うイケメンが二人並んでて、女の子達が喜んでそう。なんか全然いい空気じゃないのが惜しいけど。黒木は愛想笑いだし、柴崎さんは相変わらず怖い顔だし。
……というか黒木め、完全に上から目線だ。大体こいつと飲んだことなんて、無理やり飲まされた一度きりしかないのに、なーにがいつもだ。そうやって俺の印象を悪くしようとしたってそうはいかないぞ。人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死ぬべきだと昔の人も言っている。
……いや、恋路と関係ないけどさ。そういえば、あれ、恋路ってなんだ? 恋のミチ……なんてロマンチックな言葉だ。俺と柴崎さんの恋路……なんだそりゃ。そもそも馬なんて居酒屋にはいないから誰も黒木を蹴ってくれない。
「黒木君、ハルちゃんて酔うといつもこんな感じなの〜?」
不意に部長が間延びした声で訊ねた。気がついたら、静かだったその場は再び酔っ払いの声で騒がしくなり始めていた。
「そうですね。今日はまだいいほうなくらいです。いつも記憶を飛ばしてしまうんですよ。介抱するのが結構大変で……」
「そんなこと、ないです!」
黒木の被害者面した物言いに、俺は憤慨して否定する。……確かに記憶はないから、強く言えないのが辛いところだけどさ。
「まあ、体調が悪くなる訳じゃないなら酔っ払ってもいいよー。いざとなったら、僕の家近いから泊められるし」
「部長……」
黒木と比べたら仏みたいに優しい。空気読まないけど。俺は感動した。
「ぶちょう、ありがとうございます〜」
「うわあっ」
俺は感動もそのままに、今度は部長に抱きついた。うまく口がまわらないからか、無性に抱きつきたくなる。部長は柴崎さんと比べるとちょっと細いなあ。
「あはは、ハルちゃん抱きつき癖があるんだねー。可愛いなあ」
部長が子供にするように頭を撫でてきた。大の男にする行為じゃないけど……まあいいか。
「――お前なあ。言ったそばから……」
またしても、ベリっと音がしそうな勢いで引き離されてしまった。もちろん黒木によってだ。
「痛い! なにすんだよぉ」
「大人しく飲めないなら追い出すけど、いいの?」
「うぅっ……」
ふと顔を上げると、まだ微妙に視線を集めていた。いや、主に集めているのは黒木だろうけど、……なんだか約一名からの視線がすごく痛い気がする。
黒木の言いなりになるのは悔しいけど、まだ帰りたくない。仕方ないから俺は席に座りなおした。
黒木も俺の隣に腰を下ろそうとする。
「く、黒木君、こっち空いてるから、座りませんか? ちょうど料理もこの辺にいっぱいあるし」
嫌だなあ、と思った瞬間佐藤さんがそう声をかけて、俺は内心ガッツボーズをする。
「――そうですね、喜んで」
「わーい! さ、どうぞ」
案の定、黒木は愛想良く席を移った。こいつが可愛い女の子の誘いを断るなんてありえないからな。
……佐藤さんが食われたら嫌だけど。どうか騙されないでくれ、将棋部のアイドルよ。
「黒木君、何飲む〜?」
「うーん、焼酎飲めますか?……じゃあ焼酎をボトルで頼もうかな。その方が安く済むし」
「えー、黒木君てお酒好きなんだ? ていうか焼酎とか飲むんだー。ワインかシャンパンとか好きそうなのに」
「はは、なんで?」
「だって、なんかお洒落そうだし」
「なにそれ。別にこだわりとかはないよ。家だと安いから発泡酒飲んだりするし」
聞きたくなくても聞こえてくる中身のない会話に、俺はイライラしていた。
俺の前では安い酒は味が薄くてまずいとか、大人ぶって言ってたくせに。人前では鼻につかない言動をするのが憎らしい。俺のことも人だと思ってくれ。
なんとなーく眺めてると、黒木と目が合って、勝ち誇ったような、バカにしたような笑みを浮かべられた。
――ホント、ムカつく!
「ハルちゃん、甘いのなら飲める? カルーアミルク飲みなよ」
「あ、ありがとう、ございます……」
できあがって機嫌がよさそうな部員達が、飲み物を差し出してくれた。
気を取り直して飲むぞ。…………甘い。
「……ねえ、実際ハルちゃんて、柴崎と何かあるの?」
「柴崎って女関係の噂全然聞かないからさ、怪しいと思ってたんだよね。実はやらしー関係とか?」
「なんですか、それー……」
いつの間にか2年の部員に挟まれて尋問される。もう席はぐちゃぐちゃえみんな好き放題してる。うーん、ちょっと楽しいぞ。
「さっき抱いたとか言ってたからさー。なんか、柴崎とハルちゃんならありえそうっていうか」
「絵ヅラが汚くないからねー」
肩に手を置かれ、内緒話のようにコソコソと聞かれる。
聞かれて、またこの前のことを思い出す。――うわ、こっ恥ずかしい。
「ええとですね、だいたっていうのはあ、おれが、しばさきさんに……」
「……おい」
なんて説明しようかなーなんて考えてると、不意に地を這うような声がかかる。
「ひっ、柴崎……」
「お、怒るなよー、別に俺は、いやらしいことを聞き出そうとなんてしてないから。なあ」
「は……?」
あっという間に二人は席を立ってしまった。なんかよくわからないけど、俺は固まる。
だって見上げた柴崎さんの顔は、またしても酷く怒っている感じで。
「うぅ……」
見る顔見る顔不機嫌で楽しそうじゃないものばかりで、本気で凹む。
「ごめん、なさい……」
かすれた声で謝ったけど、やっぱり無反応。
あ、やばい。また涙が出そう。情けない
……見られたくない。俺はふらつく足で、なんとか席を立った。
「……おい、」
声が空耳なのか現実のものなのかすら、よく解らなくなっていた。
「うう……」
トイレに着くなり、まともに立っていられなくなって壁に寄りかかった。
汚いかな、いや、うちのトイレはいつも清掃が行き届いてて綺麗だ。っていうか、俺の安物の服が多少汚れたって、どうでもいいけど……。
胸が変に痛くて、それを誤魔化すようにどうでもいいこと考えるけど、気分は浮上しない。
――柴崎さん、俺と目が合うときはいつもいつも、ほぼ9割くらいは、怖い顔してる。ホントに何か嫌われるようなことしたっけ。――いやしていない。これ反語だ。
「そんざいが、気にくわないとか……」
そういえばそんなことを黒木に言われたこともあったな。
確かにあの男前と比べたら平凡だし、要領よくないし、モテないし、頭もよくないし、家もビンボーだし……。
「はぁ……」
なんなんだろうこの感情。ヤバイ、泣けてきた。――俺、酔ってるなあ。泣き上戸だから、黒木にあんなにウザがられたのかなあ。
「……何やってるの」
「うっ……」
トイレのドアが開いたと思ったら、入ってきたのは黒木だった。
どうしてこいつはいつも、一々嫌なタイミングで現れるんだ。
「っ、なんでも、ないっ」
「……お前――」
咄嗟に壁の方を向いて見られまいとした顔を、しかし黒木は強引に肩を掴んで覗き込んできた。
「……な、何泣いてるんだよ。いい歳して恥ずかしい奴」
「……うるさいっ、くろきに関係ないだろ!」
ムカついて声を荒げると、馬鹿にしたように溜め息を吐かれる。
「……もしかして、失恋でもした?」
「なっ……」
――失恋?俺が……柴崎さんに……。――いや、ありえない。俺は可愛い子が好きなんであって、いくら男前でも……嫌われてる相手に……。
嫌われて、いる……。
「……ひっ、く……」
無性に悲しくて、とうとう我慢できず嗚咽がこぼれた。なんとか我慢してたのに、よりにもよってこんな奴の前で。――個室に入っておけばよかった。
「、おいっ……」
「うぐ……もっ、ほっとけっ、あっち行けよっ……」
「……また酷いブサイクになってるよ。――だから飲ませたくなかったんだ。俺、汚いもの見るの嫌いなんだよね」
「うぅっ……」
汚いもの呼ばわり……。とっととどこかへ行ってくれればいいのに、こいつはこの期に及んで傷を抉るようなことを言ってきやがる。どうしようもなくムカつく。
もう嫌だ。全部嫌だ。柴崎さんの馬鹿。黒木のアホ。……何で、俺泣いたんだっけ。どうでもいい。復讐してやる。復讐……。
「おいいい加減、…………っ!?」
「ふっぅ……」
俺は黒木に、タックルするような勢いで抱きついた。
この女好きで女に好かれる嫌な男は、男にくっつかれるなんて心底嫌なはずだ。いつも馬鹿にして見下してる俺相手なら尚更、鳥肌とか立ててたりして。いい気味だばかめ。
俺は黒木が嫌がる顔を想像して、どんどん腕の力を強くした。涙が黒木の服に染み込んだけど知ったこっちゃ無い。ざまあみろだ。
二人とも薄着でうっすら汗をかいているから、熱い体温とか肌の感触が、ぼーっとした頭でもそこだけリアルに感じられる。さあ、嫌がってみせろ。
しかし。――すぐに引き剥がされるに違いないと思っていたのに。何故か黒木は、中々動かなかった。
「……?」
反応がなさすぎるとちょっと怖い。もしかして……キレた?
俺は少し腕を緩めて、のろのろと顔を上げてみた。
――――あれ?
「黒木も、よってるんじゃん? かお赤いし……」
ちょっと涙まじりの情けない声でそんな風に言ったら、黒木と目が合って。
「……だから、そのツラやめろバカ」
溜め息混じりに言われたけど、やっぱり引き剥がそうとはしなかった。
……なんか、余計ムカつく。嫌なくせに。嫌がると俺が喜ぶってわかってるから、反応しないのか。
俺はもう意地になって、黒木の顔に顔を近づけた。まるでキスするみたいに。
「おい……?」
……アップで見ても、ホント文句のつけるトコがない顔。やっぱりムカつく。
しかし……ふふふ、これはもう鳥肌レベルで嫌に違いない。
……嫌、で仕方がないだろうに、中々突き飛ばさないなあ。こいつも酔って鈍くなってるのかな。ちょっと顔赤いし。
でも後には引けないぞ。どうしよう――――。
俺がちょっとひるみかけたその時。再び、トイレのドアが開いた。
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