読めない男 飲み会編 4
「ハ、ハルちゃん……? 」
「けっ、けほっ……」
に、苦い。それ以上に喉が焼けるように熱い。
これは、吐き出したほうがいいのだろうか。しかし吐き出そうにも、グラスの酒は順調に食道を通って胃に到達したようで。胃の中までぐらぐらと沸騰しそうな熱さが襲ってくる。
「ハルちゃん、大丈夫ー? 」
「あんまり強くないんだったよねー。お水頼む?」
「あ……大丈夫、です」
珍しく女の子達が心配げに話しかけてくれる。ちょっと嬉しい。情けない心配のされ方だけど。
ここで潰れたりできない。いくら濃い酒だからって一杯くらいなんてことないはずだ。
――うん、多少熱くて、視界がぐにゃぐにゃして、くらくらするが、きっと大丈夫だ。
「ハルちゃん平気〜? 」
「ぶ、部長、飲んじゃってすみませ、ん。大丈夫です」
「ならいいんだけど……」
「部長ー、ハルちゃんにウーロン茶どうぞー」
「気が利くね。はいハルちゃん、飲んでー」
「ありがとうございますー……」
真ん中らへんに座っていた2年生の男子部員が、陽気な声をあげながらウーロン茶をまわしてくれた。
受け取るなり、ありがたくごくごくと飲み干す。
そう、先ほど以上に勢いよく飲み干した。
「……!?っ、ごほっ……」
「あ、あれー? ウーロン茶がここにある? ってことはそれ何だろう」
「なんだろうじゃないよ、なんだろうじゃ」
「うーん……、すいません、それ多分俺のウーロンハイっす」
「えー、そんな。ハルちゃん平気ー?」
「は、はあ……」
なんてこった。余計に全身が熱くなって、まともに答える余裕もなく俺はじっとする。ヘタに動くと確実によろけそうだったから。
そういえば、昔酔っ払ったときもこんな流れだったな。あの時は黒木に、コーラだと言われてラムの入ったコーラらしきものを飲まされたっけ。……俺、成長してないなあ……。
「……おい」
「は……?」
項垂れていると突然低くて深みのある、なんとも言えない美声が頭上から響いた。
顔を上げると、入り口に立った柴崎さんが仏頂面で俺を見ていた。
うわあ近い。やっぱりかっこいい。かっこいいってなんだろう。
「……飲め」
やっぱり無表情で、水がなみなみ入ったグラスを差し出してきた。
――俺のためにわざわざ貰ってきてくれたのだろうか。何故かちょっと胸がきゅんとして、ぼうっと柴崎さんの顔を見つめてしまう。
「……おい」
柴崎さんはしかし少し目を逸らして、早く受け取れと言いたげにグラスを俺の目の前につきつける。
「あ、すみません……」
受け取ると今度こそ間違えないようにと軽く匂いを確認して、ごくごくと飲み始める。
――柴崎さんを疑うなんて失礼だったかも。正真正銘無味無臭のおいしい水だ。
冷たさが気持ちよくて、一気に飲み干した。
「あ、ありがとうございま、す――?」
お辞儀をしようとして下げた頭がくらくらして、体がよろけた。酔わないようにと念じたところで大した意味はなく着々と血に酒がまわってきているらしい。
「……っ」
「あ……」
入り口側に倒れそうになる俺の体を、柴崎さんが支えた。大きく熱い掌で腕を掴まれ、酒による動悸が激しくなる。
「わ、ご、ごめんなさい……、」
慌てて柴崎さんのほうを見上げて謝った。さっき以上に至近距離で目が合って、そろそろ俺の心臓がもちそうにない。
――もう見慣れたいつもの無表情なはずなのに、なんでいちいちこんなにドキドキするのだろう……。
「……いや」
柴崎さんは低く押し殺したような声で答えつつ、ばっと素早く手を離した。
なんだか、面倒なもの扱いされた気がして凹む。というかいきなり手を放されて、情けなくも俺の体は再びよろけて――。
「お待たせいたしました、――って川島っ」
珍しく、黒木の慌てたような声が聞こえた気がした。気がついたら、俺の体はまた誰かの手に掴まれていた。
――――柴崎さん?
うう、またしてもすみません……。
「お前、ソッコー酔ってるのかよ……」
心の中で謝りつつさっきより少し体温が低いな、と思って目を開けたら、俺もいつも着ているこの店の紺の制服が視界を埋め尽くしていた。
呆れる声に顔を上げると、声と同様呆れ切った黒木の顔が至近距離にあって。
「う、うわぁっ、なんで黒木がっ……」
「なんでって、お前が倒れ込んだんだよ。失礼なやつ」
左手にグラスを持った黒木が、右手で器用に俺を支えていたのだ。
「ハルちゃん大丈夫? あ、飲み物まわしますー」
「お気遣いありがとうございます」
俺の心配をするついで、というよりは黒木に話しかけるついでに俺の心配をしたのであろう女の子が、可愛らしい声を上げながら黒木の左手から飲み物を受け取った。
黒木は俺に対するそれとは180度違った声でにこやかに答える。当然女の子はメロメロだ。
その完全な営業顔に、いつものことながらイラっとする。
「――お前、マジで酔うと面倒なんだから自重しろよ。もう遅いけど。これ以上飲むな」
黒木は腕を掴んだまま、俺にしか聞こえない小声でうんざりしたように言う。必然的にまた耳元で囁く形になって、体がびくりと震える。
なんだよその言い様、ムカつく。高校の頃無理やり飲ませたのはお前のくせにさ。
俄然反抗心が芽生えてくる。
「う、うるさいなあっ。俺だって、もう子どもじゃないんだから、平気ですー。黒木に迷惑なんて、かけないんだから」
ムキになって言い返す。相変わらず掴まれたままの腕をさりげなくほどこうとするが、意外に黒木の力は強くてそれは叶わない。
「言い草からしてガキくせー。はっきり言うと、店の中で吐かれたり寝られたりすると迷惑なの。俺はもうすぐあがりだけど、店長に迷惑かけたらとか考えないわけ?」
「うっ……、そんなこと……」
大丈夫、と言い切れるだけの自信はなくて俺は黙り込む。酔ったときの記憶がないからだ。
高校の頃の俺、一体何をやったんだろう。
「それに――……、仲のいい柴崎さんの前で醜態晒したくないだろ?」
「……っ」
含みのある黒木の言葉に柴崎さんの方を見て――俺は無意識に震える。
ま、またしても睨まれている。最早人殺せそうな視線だ。怖い。
すでにちょっと迷惑をかけてしまったし、余計にダメなやつと思われて、溝ができてしまいそうだ。俺はにわかに泣きたくなった。
「うう、馬鹿、大丈夫だよ、放せよう……」
情けない声が出てしまう。熱いし視界は霞むし、柴崎さんには睨まれるし黒木は相変わらずだし、もうぐちゃぐちゃな気分だ。
うう、いい大人がこんなことでは泣かないぞ。……でもなんだか悲しい。俺ってもしかして泣き上戸なんだろうか……。
「……なに変な顔してるの、すっげーブサイクだよ」
「う、うるさいなっ」
囁き声で馬鹿にされ、カチンときて、次の瞬間には更に凹む。
イケメンにブサイク扱いされるとぐうの音も出ないじゃないか。俺はそんな変な顔を柴崎さんに晒していたのか。穴があったら入りたい。
「も、もう、早く仕事戻れよ。放してよ」
「……ちっ。俺だって好きで女の子でもないウザいやつを支えてやったんじゃねーよ。もっと感謝しろよな」
憎まれ口を叩きながら、ようやく黒木の手が離れた。腕に体温と感触が移っていて、なんだか変な感じがする。
「……あのう、二人って仲いいんですねっ」
「黒木君、今日10時までなんですよね? ハルちゃん酔ってるし、よかったら一緒に飲みませんか? 仲のいい幼馴染がいれば、ハルちゃんも安心して飲めるでしょうし」
「私一杯奢りますからっ」
「お腹空いてませんか? 何か頼みますよ!」
話しかけるタイミングを見計らっていたのであろう女の子達がここぞとばかりによくない提案を始める。というかいつの間に黒木のシフトを把握したのだろう。よくわからないけど、さすがだ。
そして俺、完全にダシにされてる。とりあえず仲のいい幼馴染ってところは全力で否定したい。ただの腐れ縁だ。
黒木は一瞬考えるような素振りを見せた後、爽やかな笑顔で答えた。
「そうですね、川島も心配ですし、部外者の俺が入ってもいいのなら。こんな素敵な方がいるんですし」
黒木は心にもないことを言いやがりながら、女の子達に流し目を送った。一見どの子に言っているのか特定できないようにだ。いやらしい奴だ。このままじゃ佐藤さんか山田さんが食われる危険性が……。いやいや、もしかしたら二人まとめて……。
許さんぞ黒木。うちの部のアイドルに手を出したら俺が黙っていない。
「で、でも、部の飲み会なのに、黒木は関係ないし……」
断固阻止しようとさりげなく部長に言うと、へらっと笑って返された。
「全然構わないよー。去年は近くで飲んでたサラリーマンと途中から一緒に飲んだくらいなんだから。ハルちゃんも仲のいいお友達がいたほうがいいでしょ?」
ああ、部長の空気読んでるのか読んでないのかわからないマイペースさを忘れてた。俺が黒木をよく思ってないの知ってるはずなのに。わざとかと疑いたくなる。
そりゃ俺だって、愉快なサラリーマンとなら嬉々として一緒に飲んだよ。たとえそのサラリーマンがパワハラ気質で説教されても、延々と若い頃の武勇伝を語られたとしても、黒木と飲むよりはまだ気疲れしないだろう。
内心で愚痴りながら、ふと視線を隣の柴崎さんに移す。
――やっぱり今日はずっと不機嫌だ。なぜ。
「し、柴崎さんはいいんですか?」
何がいいのか自分でもわからないが、とりあえず聞く。
「…………俺には関係ない」
そりゃあもう、ブリザードでも吹き荒れてそうな冷ややかな声だった。ちょっと泣きそう。
「……じゃあ、上がったら少し混ぜて貰おうかな。幸い今日は他のお客様の引きが早いですし。もちろん料金は俺も頭数に入れてください」
少しの間静観していた黒木が笑顔で言った。なんだか事態がどんどん面倒くさい方向にいっている。
「ホントですかっ、楽しみですー」
「黒木君何が好きなの? 今のうちに頼んでおくよー」
「おかまいなく。店長にサービス頼んでみますよ。ではまたあとで。――――お前は飲むなよ」
……二度と戻ってくるな。
最後にしつこく釘をさして出て行った黒木に内心で毒づきながら、俺の反抗心は膨れ上がる。
黒木があれだけ言うってことは、多分相当酔った俺に嫌な目に合わされたに違いない。
くそう、いつも俺が散々な目に合わされてるんだ。そうだ、記憶が飛ばない程度に飲んで、あいつを困らせてやる。
「ぶちょー、おれの、梅酒はどこですかぁー」
「ハルちゃん、飲んで平気なの? ソフトドリンクにしてたほうが……」
「らいじょーぶですっ! まだまだイケるし、黒木がいますからっ」
どんどん気が大きくなってくる。黒木が困った姿を想像したら、楽しくなってきたぞ。さっきまで泣きそうだったのが嘘みたいだ。
「ハルちゃん飲め飲めー」
「つーかすでに酔っててかわいー」
周りがはやしたててくる。この後潰れようが知ったこっちゃない大学生のノリだ。俺は完全にそれに乗っちゃってる。
「……そう? じゃ、はい。一気はダメだよー」
「はいっ」
受け取るなりごくごくと梅酒を飲む。焼酎とは違って、甘くて美味しい。ふわふわする。幸せだ。
「ハルちゃんいい飲みっぷりー」
「……あつい〜」
陽気な酔っ払いの声が遠くに聞こえる。頭がぽーっとする。
「あはは、暑ければ脱げ脱げー」
「去年は青木が裸踊りしたんだぞー」
「ええー……」
さすがにそれにはひっかからないぞ。そんなことしたら、女の子からドン引きじゃないか。
「あのねー、女の子もいる場で……」
部長が控えめに諌める。酔った風に見えて、意外と常識がある。優しいなあ、お兄ちゃんて感じだ。空気は読まないけど。
「えー、でもハルちゃんなら別にいいですよー。なんか生々しくないし」
「青木先輩はちょっと……だけど」
「ひっでー、俺の鍛え抜かれた体を否定するのかっ」
「ってことでハルちゃん、許可も出たし、脱いじゃえばー」
うーん、女の子にそう言われると悪い気はしない。とりあえず、羽織っていたシャツを脱いでTシャツ一枚になった。少し汗をかいた肌が涼しくなる。
「おおー、いいねー」
「ハルちゃん色白っ」
にわかに注目が集まっている。ノリがおかしい。なんだ、みんな俺より酔ってるんじゃないか。
いつも地味で目立つ奴の影に隠れていた俺が注目を集めている……。
何故か俺もノリノリになった。しっとりと汗ばむTシャツに、勢いで手をかける。
「おおっ」
腹までTシャツをまくり上げて。
「……」
いきなり手首を掴まれた。
「ぶちょー……?」
隣にいると思われる部長の名を呼んで見上げると、そこには眉間に皺を寄せた、心底不機嫌そうな顔をした柴崎さんがいた。
「……やめておけ。店側がいい迷惑だ。……お前も普段店員をしているならわかるだろう」
「……あ、う……」
いつまでも聞き慣れないブリザードのような声を聞いて、俺は正に凍りついた。周りも静かになる。
まったくそのとおりだ。まるで軽蔑されたように言われて、今度こそ泣きそうになる。
柴崎さんの手はやはりすぐに放され、俺が脱いで丸めて椅子においていたシャツを投げられる。
「……あれ、どうしたのー。この辺静かになっちゃって」
トイレから帰って来たらしい部長のいつもの声が聞こえた。みんながはっとしたように別の話題を始める。
でも俺は、それどころではなくて。また泣きそうになる。上がっていたテンションは、奈落の底まで下がりきってしまった。
「し、しばさきさん、ごめんなさい……。おれのことっ、きらいに、ならないでください……」
柴崎さんに嫌われたら悲しい。嫌だ。泣きたくなるくらい。
そう思って言ったのに、柴崎さんは一瞬俺を見て、うんざりしたように目を逸らして無視した、ように見えた。
俺の中で何かがぷっつんした。
「失礼します、少し混ぜてもら……」
「――――っ、し、しばさきさん、俺を、あんなに、はげしくだきしめたのに、もうきらいになるんですかあっ……!」
俺はがばっと柴崎さんの体に抱きついた。
「っ、何してるの川島……!」
珍しいあいつの焦ったような声と、にわかに凍りつくその場の空気。
が、俺はすでにそんなこと知ったこっちゃない状態だった。
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