読めない男 飲み会編 3




「あー楽しみだねえ。我が部で男女交えて飲み会なんて久しぶりだ」
「ここの店員さん、すげー可愛い子がいるんだって」
「マジ。ハルちゃんどうなの? 可愛い?」
「はは……すごく美人ですよ」

白石さんのことなら速攻黒木に手つけられてたけどな。俺は内心で毒づいた。
木曜日。割とみんな乗り気だったらしい飲み会の日はすぐにやってきた。俺はイマイチ純粋に楽しめる気分ではなかった。
なんせあれから数日の間に、再び黒木がバイトの女性とイチャイチャしている現場を目撃してしまったり、無駄にパシらされたり、ちくちく嫌味を言われたり。案の定俺の日常は脅かされていた。
しかし今日は違う。俺がお客様であいつは店員だ。クレーマーにならない程度に嫌な注文とかしてやる。

「柴崎さん、楽しみですねっ」
「お酒なにが好きなんですか? いっぱい食べるほうですか?」
「……」

黄色い声が響く方に目をやると、いつもの光景が繰り広げられている。
柴崎さんは相変わらずこれでもかというほど無愛想だ。そんな彼にめげずに近づく女の子たちは、もはや歴戦の兵のようだ。ろくな返答がなくてもめげずにガンガン行く様子は、一生懸命通り越して図太いというか。
彼女達にとってはアイドルを追いかけている気分なのかもしれない。悪い子達じゃないし――――もしかしたら、柴崎さんもいつかほだされる日がくるのかもな。想像してみて胸がモヤっとする。
あんな人だけど、女の子と付き合うことだってあるだろう。彼女達は可愛い。男なら誰だって可愛い子が好き……に決まってる。
柴崎さんには意外とああいう、本人とは正反対の明るいタイプが合うのかもしれない。柴崎さんと似てる女の子って想像つかないし。
……嫌だな。どこがどう嫌ってわけじゃなく、なんか全体的にイヤ。
勝手に気分を害して眺めていると、柴崎さんの視線がこっちを向いた。

「あ……」
「……」

やはりすぐにそらされてしまって、胸のモヤモヤが大きくなった気がする。
最近の柴崎さんはまた不機嫌そうだ。いつまでたってもあのおっかない視線には慣れない。
そう、視線は感じるのに。勇気を出して話しかけてもろくに相手にされなかった。
ちょっとは気を許してくれたのかと思ってたのに……。
気分が上がらないうちに、将棋部一行は俺のバイト先の居酒屋「梟」に到着した。

「いらっしゃいませーっ!あ、ハル君待ってたよ。奥の席へどうぞ」
「あ、はい。よろしくお願いします」
「わーいい感じだねえ」
「なんかいい匂いするし」

テンションの高い部員達を引き連れ、店長に迎えられて中へ入る。
黒木は……と辺りを見回しても見当たらなかった。今日は早番だからもう入ってるはずだが、目に入らないなら精神衛生上それに越したことはない。
気を取り直して、奥の半個室になっている席にみんなを通す。

「ここです。適当に座ってください」
「わー、ソファみたいになってるんだ。寝られるじゃん」
「いや、寝ないでね〜」

部員達があらかた席についたところで、部長と共に入り口付近の席に腰を下ろす。
柴崎さんは、女の子達が隣に座ろうと牽制しあっている間に、部長の隣にさっさと座っていた。つまり俺の隣の隣ってことだ。少し緊張する。

「柴崎さん何飲みますか〜? やっぱり最初はビール?」
「強いのいっちゃいません?」

それでもやはり女の子達はめげずに近くに座り話しかける。は〜、やっぱり面白くない。
なにが強いのいっちゃいません?だ。柴崎さんを酔わせて何をどうこうする気だ。

「ハルちゃん、何飲む〜?」
「っ、あ、はいっ」

――また無意識に柴崎さんのことを考えてしまった。
気を取り直して部長が持っているメニューを覗き込む。

「ビール苦手なんだよね。お勧めとかってある?」
「日本酒が好きなんでしたっけ? これとか、飲みやすいって人気ありますけど」
「じゃあそれにしようかな。ハルちゃんはどうする?」
「俺は……」

どうしようと思いながら、酒の銘柄が並んだメニューに目を走らせる。酒はあまり得意ではないのだ。
そういえば一度寮で無理やり飲まされたことがあった。翌日に残ったのはひどい頭痛と吐き気だけだった。つまり記憶が全く残ってなくて、黒木に「もう飲むのはやめとけ」
と呆れたように言われた。自分が飲ませたくせに勝手なやつだと思いつつ醜態を晒したくないのでそれ以来まともに飲んでない。

「うーん、どうしよう……」

みんなの前で酔いつぶれるわけにはいかない。でも素面では酒の席に馴染めそうにない。一番度数低いのって何だっけ、とまだ決めかねていると。

「いらっしゃいませ、失礼いたします!」
「げ……黒木……」

聞きなれた声が耳に飛び込んできて、顔がぴくりと痙攣する。
黒木はこちらを一瞥して小馬鹿にしたようにふんと笑い、次の瞬間には愛想よくおしぼりを配り始めた。

「あの人かっこいい……」
「ハルちゃん、あれ誰っ? 学生? 名前教えて」

向かいに座っている女の子達が、黒木の顔を認識した瞬間色めき立つ。
さっきまで柴崎さんに一途みたいな顔をしていたのに、正直すぎていっそ清々しい。

「どうぞ」

奥から配っていた黒木があっという間にこちらまで来て、極上の笑顔で女の子達にお絞りを差し出す。
ムカつくほど外面はいい。俺だってこいつが赤の他人で、本性を一切知らなければ、好感を持っていただろう。

「あ、ありがとうございますっ」
「わあ、暖かくて気持ちいい! 素敵なおしぼりですね」
「ありがとうございます」

そんなブランドものを褒めるみたいに。ただのチェーン店仕様のおしぼりだぞ。
黒木はこの短時間のうちに、顔と愛想で完璧に女の子達の心を掴んでしまった。この世の不条理のようなものを改めて見せつけられる。

「――いやあ、川島がこんなに楽しそうな部活に入ってるなんて、羨ましいな。可愛い子ばかりだし」
「あっそ……」

黒木が笑顔でさらっと言う。女の子達はもはやぽーっと赤らめた顔で黒木を眺めているのみだ。
――くそ、簡単に騙されちゃって。こいつの心を物理的に開いて、ドロドロした中身をみんなに見せつけられたらいいのに。どれだけスカっとするだろう。

「お飲み物のご注文よろしいでしょうか?」
「えーっと生6つと、カシスオレンジ2つと……ハルちゃんは?」
「あ、俺は……」

黒木の登場に気をとられて決められてなかった。慌ててメニューに視線を戻す。

「川島、強くないんだから程ほどにしとけよ……?」
「う、うわっ」

不意に黒木が耳元で囁いてきて、肩が大げさに跳ねた。
言いたくないが耳が弱いのだ俺は。

「わ、わかってるよ! 急に耳元で喋るなよ……」

なんて気を落ち着かせながら言った瞬間――物凄く強い視線を感じて、俺はまたしてもびくりとする。
――もうわかりきってる、柴崎さんだ。視界の隅に入った柴崎さんは、やはり鬼のような形相をして俺を見て、シンプルに怖い。

「……カ、カシスオレンジでいいです」

視線から逃れるように黒木に伝える。
黒木は柴崎さんを一瞥し、何か合点がいったような顔をした、ように見えた。注文をさっと確認すると、耳元で「飲みすぎて迷惑かけるなよ、俺に」
とまた囁いて出て行った。
――――だから、耳は弱いんだって……。赤くなったであろう耳を押さえながら、俺はただならぬ気配を放つ柴崎さんに悩むことになるのだった。


「えーそれでは〜、カンパーイ 」

部長のいつもどおりの間の抜けた声が響く。始まる前からどっと疲れてしまった。

「ねえ、あのお友達かっこいいね! あんな人がいるなら事前に言っといてよー。うちらと同い年?」
「黒木くん、下の名前はなんていうの?」

甘い酒をちびちび飲んでいると、女の子達の質問タイムが始まる。俺についてこんなに食いつかれたことは一度もない。
まあ、昔からこんな扱いには慣れてるけどさ。

「黒木啓志、T大生で俺達とタメだよ。友達っていうか、小学校から高校が一緒だっただけ」
「えーT大だって、頭までいいんだ、すごぉい!」
「幼馴染なんて羨ましいなあー」

おい、柴崎さんのファンじゃなかったのか。もういいのか柴崎さんは。すっかり黒木に騙されている女の子達に内心で突っ込む。
黒木と比べたら、いくら無愛想でも、何考えてるか分からなくても、柴崎さんのほうがよほど……って、そんなこと考えてどうする俺。

「あれが前に言ってた幼馴染の子か〜。確かにすごく格好いいねえ」

質問攻めから逃げた俺に、部長が最初から強い酒を呷りながら声ををかけてくる。楽しそうだ。この人はいつも。

「そうです。どう思いました?」
「うーん、愛想はすごくいいよね。学校の人気者って感じ?」
「やっぱり部長でも……、ホント外面だけなんですよ。本性はそりゃもう酷いなんてものじゃ」
「誰が酷いって?」
「うわっ!」

さすがに女の子達には聞こえない程度の小声で話していたつもりなのに、料理を持った黒木が現れた。何故こうもタイミングが悪いのか。

「おーうまそう! 腹へったー」
「刺し身こっちにくださーい」
「かしこまりました」

雑には見えないのに手早く料理を配った黒木が戻ってくる。俺が通り道に座っちゃっているから誰の目にも不審には映らないだろう。

「――で、お前の仲のいい子って誰?」
「うぐっ……」

だから耳はやめろ。というか仲のいい女の子なんていないと見抜いているくせにしつこい。
そしてやっぱり柴崎さんの視線が怖い。たまの飲み会くらい素直に楽しませてくれ……。

「あっ、柴崎さん飲み物、次は何にしますか?」

空に近いグラスに気づいた女の子が甲斐甲斐しく話しかける。他にイケメンが現れてもそれはそれで、柴崎さんへの思慕が変わることはないらしい。

「……生ビール」

柴崎さんは無愛想かつ不機嫌に言い放つ。
ここまでくると無口というか、いかに一生のうち口数少なく暮らせるかという挑戦でもしてそうなレベルだ。

「生お一つですね。――……あれがお気に入りの『柴崎さん』、ね」
「……!」

もういい加減にしてくれ、と抗議する間もなく、含みのある風に囁いて出て行く。

「……なんだか親しい空気出しちゃってるね〜」
「はは、そんなことないですって……」

能天気な部長の声に苦笑いしか出ない。俺は疲れていた。
柴崎さんをちらりと見ると、相変わらずの仏頂面でひたすら酒を口に運んでいる。
――なんだかとても楽しんでいるようには見えなくて、憂鬱が強くなる。せっかく俺のバイト先に来てくれたんだから楽しんでほしいのに、いつも以上に不機嫌なままじゃ……。

「……柴崎さん、何か食べたいものとかないですか? 炭火焼とか、おいしいですよ」

勇気を出し、多少入った酒の勢いで恐る恐る話しかけてみる。しかし柴崎さんは無言だ。
――炭火焼、嫌いなのだろうか。慌てて他に好きそうなものを思い浮かべて言ってみる。

「あ、鮪のたたきとかどうでしょう? 新鮮で、大根おろしがよく合って人気があるんですよ――」
「……今あるものでいい」
「っ、そうですか……」

そっけなくそう言われ、俺は撃沈した気分だ。もうちょっと愛想よくしてくれてもいい……いや、柴崎さんだから仕方ないのか……。
所在無くなってしまい、誤魔化すようにグラスを傾ける。

「はぁっ……」
「お待たせいたしました。――――っておい川島」
「黒木……梅酒飲みたい」

ちょうど空になったグラスを差し出しながら黒木に頼む。飲まないとやってられない気分だった。

「大丈夫か? ――間違っても店汚したり迷惑かけるなよ」
「っ、大丈夫だよ。昔よりは強くなってるし……」

囁いてくる黒木の、面倒はごめんだと言いたげな口調にムカッとして言い返す。
こいつは本当に耳元で話すのが好きだな。人前でも最大限の嫌がらせを的確に繰り出してくる。

「はいはい、とにかく無理はするなよ」
「わかってるってば、迷惑なんてかけない……」

黒木の背に内心で舌を出しながら、なんとなく頭がぼーっとしてくるのを感じる。

「ハルちゃんお酒弱いの? 少し顔が赤いよ」
「ホントだ。可愛い〜」

部長と女の子、佐藤さんが俺の顔を覗き込んで楽しそうに言う。子ども扱いされている気がして面白くない。

「いや、酔ってないですよー。まだ一杯目だし……」
「そう? まあ無理はしないでねー。まあ顔に出るとわかりやすいよね。柴崎なんかは、全然顔に出ないんだけど」

部長が黙っている柴崎さんにしれっと話を振る。相手が不機嫌であろうとおかまいなしな姿勢は見習いたい。

「あ……」

すっと顔を上げた柴崎さんと目があって、反応に困ってただ見つめてしまう。
やはり少し酔っているのかもしれない。顔が火照って、頭の回転が鈍い。

「……」

いつものことだが、少しの間のあと無言で顔を逸らされてしまった。いつものことなのに酔のせいかよけいに落ち込む。
――結局のところ、柴崎さんは俺のことが、嫌いなんだろうか。抱きついたりしたくせに……。もしかしてあれは本当に具合が悪かっただけで、意味なんて探してみてもどこにもなかったのだろうか。
俺が勝手に勘違いして意識しちゃってただけだったとか……。
俺って酒を飲むとネガティブになるのかな。考えれば考えるほど暗くなっていきそうで、吹っ切るように目の前にあるグラスを傾け――。

「あ、ハルちゃん、それ僕の焼酎……!」
「うっ……」

部長が叫んだときには時すでに遅し。
暴力的な度数の酒を、運動後に水を飲むような勢いで喉に流し込んでしまった。

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