読めない男 飲み会編2



胃がじくじくと痛む。この不愉快で無視できない痛み、久しぶりに思い出させられた。
青天の霹靂のようなあいつとの再会で、忘れかけていたトラウマが呼び起こされた俺は消沈しっぱなしだった。
よりにもよって奴とバイト先が被るって、どれだけ奇跡的な確率なんだろう。腐れ縁なんて、腐って切れて消えてしまえばいいのに。
とにかくイヤーな気分だった。

「はよーっす……」

挨拶の声も知らず憂鬱なものになってしまう。

「おっす、ハルちゃん」
「おはよー」

俺の淀んだ気分とはまるで無関係に、部室には日常ののんびりとした空気が流れている。
無意識のうちにきょろきょろと室内を見回し――――彼を見つけてどきりとする。

「ああハルちゃん」
「……」
「こ、こんにちは……」

柴崎さんは珍しく女の子に取り巻かれておらず、部長と何か話をしていたようだ。俺と目が合うと眉間に皺を寄せて不機嫌な顔になって――。いい加減見慣れてはきたが、今日は一段と強面だ。

「あの、昨日電話で友達がふざけちゃって、いきなり切ってすみませんでした」

伺うように謝ってみるけど、反応無し。ただでさえ黒木のことで凹んでるっていうのに、余計落ち込んじゃうよ……。
うなだれる俺を余所に、部長が相変わらずののらりくらりとした口調で切り出してきた。

「あ〜、飲み会の日、軽くアンケートとったんだけどさ、来週か再来週の木曜とかどうかなあ? 金土は混んでるから避けたいんだよね」
「俺は多分来週で大丈夫ですよ。人数は……」
「15人くらいかな」
「解りました、確認してみます」

そうだ、飲み会をやるんだった。みんなが俺のバイト先に来てくれるなら張り切るべきなんだろうけど、今は複雑な気分だ。何故って、木曜日と言えば確か奴がシフトに入っているはず……。

「ああそういえば昨日酔っ払って電話しちゃったんだけど〜、ごめんね、バイト中とかじゃなかったぁ?」
「あ、大丈夫ですよ、ちょうどバイトが終わったところだったんで」
「……」

なんだか鋭い視線を感じてどきりとする。
柴崎さんだ。やはり今日の彼はいつにも増して凄みがある。
――やっぱ昨日のあれ、失礼だったよな……?

「……何をしていた」
「へっ……?」

話しかけられるとは思わず、ビクリと体を震わせてしまった。
やっぱり怖い。何って、何を聞きたいのだろう。
柴崎さんはその一言以外何も言わずに黙って睨みつけてくるばかりで、俺が喋らないわけにはいかなくなる。

「えっと……あのときは着替えてたんですけど、バイト先のやつが、彼女かとか言ってからかってきて。失礼しました」
「……」

ひ、ひいっ。正直に言ったのに不機嫌オーラが限界突破してるっ。

「あれ、ハルちゃんて彼女いるの〜? 」

その場の空気をわかっているのかいないのか、一人マイペースな部長があっけらかんと聞いてくる。
二人きりの会話には耐えられそうにないので、俺は部長の助け舟に乗ることにする。

「いやあ、彼女なんているわけないですよ。俺、悲しいくらいにモテませんから」
「そうなの?ハルちゃんこんなに可愛いのになー」
「いっ、痛いれすっ」

部長がへらりと笑いながら俺の頬を抓る。実際には痛くは無かったが、変な声を出しながら笑ってしまう。
――――ピシッと、空気が凍った気がした。や、やばい。柴崎さんから禍々しいオーラが出ている。
こういうふざけたやりとりは柴崎さんにとって地雷らしい。

「あっ……も、モテると言えば、俺のバイト先の奴も、ちょっと顔とスタイルと頭がよくて金持ちだからって、やたらモテてムカつくんですよね。小中高と一緒で大学でやっと別れたー!って思ったらバイト先まで同じになっちゃって」

口に出したくもないやつの話をまくし立てる。柴崎さんは興味がないとでも言いたげに何か難しそうな本を読み始めてしまった。
――そんな露骨につまらなさそうにしなくたっていいのに。
まあ、不機嫌に睨みつけられるよりはましだろうと思い直す。

「へぇ〜、幼馴染ってやつか。でも気心が知れてて楽しそうじゃない」
「それがひどいんですよ。横暴で気遣いとは無縁で、嫌がらせが大好きで。そのくせ他人の前では猫を被るから、誰にも俺の受けた理不尽の辛さをわかってもらえなくて!」

過去が頭を過ぎりムカムカしてくる。俺は今まで奴から受けた被害を愚痴り出した。

「――――で、結局大学は別れて結果オーライと思った矢先に再会ですよ。ひどいと思いませんっ?」

うんうんとひたすら穏やかに耳を傾けてくれる部長に、スカートめくりやら寮での不純異性交遊やら、つい長々と今までのろくでもない思い出話をしてしまった。
少し冷静になってちらりと柴崎さんを見るが、相変わらず仏頂面で本に目を落としている。
こんな非生産的な愚痴聞きたいわけもないか。少しだけ面白くない気分になる。

「でもさあ、その彼はハルちゃんの前でだけ本性を見せるんでしょ? それだけハルちゃんに気を許してるってことなんじゃない?」
「そ、そんなことはないと思います。見下して馬鹿にしてるんですよ」

部長が切り出した言葉は、考えたことも無いようなものだった。
心を許している――? ものは言いようだ、到底そんな綺麗なものじゃない。あいつはいつだって、道端の雑草を踏みつけるがごとく俺を踏みつけてきたのだ。

「うーん、そうかなあ。でも話を聞く限り、まるで好きな女の子を苛めて気を惹こうとしてるみたいじゃない」
「すっ……」

思わず言葉に詰まる。
何事にもポジティブな部長らしいといえばらしいが、ピントがずれすぎとしか思えない。

「なっ、ないない、絶対ない! 第一あいつは何もしなくても美人が寄ってくるような男ですよ」
「まあ例えだけどさ、そういう人間が自分をさらけ出せる相手っていうのは、実はすごく大事だったりするんじゃない?」
「い、いやあ……」

――自分をさらけ出せる。うーん……。と考えてみたが、やはりそんなものじゃない気がする。もしそうならもう少しまともな扱いをしているはずだ。長年に渡る俺への扱いの一貫性を考えるに、本当にストレス発散の道具扱いとしか思えなかった。

「ねえ、柴崎もそう思わない?柴崎っていかにも好きな子を睨みつけちゃいそうなタイプだし、相手の気持ちがわかったりして」
「ぶっ、部長!」

うわあ、なんて恐ろしいことを!
怖いもの知らずなのかそれだけ柴崎さんと気心が知れているのかは解らないが、部長の発言は聞いている方としては心臓に悪い。

「……」
「あっ、あの……。すみません……」

――――柴崎さんは何故か部長ではなく俺に視線を向ける。そりゃあもう、今日の不機嫌顔の中でも飛び切りの恐ろしかった。
でも今のはどう考えても部長の失言だろう。俺を睨まなくても……。

「なに〜柴崎図星だった? ごめんごめん。――ハルちゃん、その彼ってもしかして柴崎みたいなんじゃないの? 」

部長よ、何故わざわざ謝罪の言葉の前後に逆鱗に触れるようなことを言うんだ……。

「……」
「全然似てないですよ! あいつはうるさいし、本当に横暴だし! 俺は、柴崎さんの方が格好いいと思うし、あいつにはうんざりしてるけど柴崎さんのことは好きです!」

と、慌てて叫んで。その場はしばし無言の時が流れた。
二人とも驚いたように微かに目を見開いて俺を見た。
――――あれ?俺何言ってるんだ?

「ぷ……っ、ハルちゃん大胆告白〜? 妬けるなあ」
「……真田、うるさい」

少しの間の後、部長があはは〜と笑い出す。柴崎さんはぼそりと毒づいた後、何事も無かったかのように無表情で本の上に視線を戻した。その表情からは何も伺い知れないが、とりあえず険がとれた……気がする。
――ほっとしつつ、何故か少し寂しい気分になったのだけど。

「こっ、告白とか変な意味じゃなくて! 部長はすぐに変な方に話を持っていきたがるの辞めてくださいよー」

笑ってみたものの内心ではなんだか恥ずかしくて顔が熱くなる。

「ごめんごめん、ハルちゃんの反応おもしろ……可愛いんだもん」
「だから、それはもういいですって……」

なんだかどっと疲れてしまった。ただでさえ黒木の件で消耗しているというのに。
俺は気分転換に同級生と対局でもしようと、二人から離れた。



「おはようございます」

イヤだと思っている事柄ほど避けがたいというのは、人生で学んできた教訓の一つだ。俺は憂鬱な気分になりながらバイト先の入り口をくぐった。
今日はあいつとシフトが丸被りだ。早めに来たからまだいないだろうと事務所のドアを開け――――。

「おはようごっ……!? 」

俺は呆然とした。何故って、そこにいたのは。

「きゃっ、川島君……っ」
「――――おはよ」

黒木と、バイト仲間の白石さんだった。白石さんといえば俺の二つ上の大学生で、彼女目当てに飲みに来る男性客がいるほどの美人だ。俺も密かに憧れていたりするのだ。
それはいい。何に驚いたかって、黒木が白石さんの腰に手をまわして、今にもキスしそうなほどくっついていた。

「あ、私先に準備してるねっ」
「ああ」

白石さんは慌ててその場を飛び出した。対する黒木はなんでもないことのように平然としている。こんなこと慣れたものだから。
俺はと言うと、多分白石さん以上に動揺して、ぽかんと突っ立っていた。
し、白石さん、色っぽい顔してたなあ……。清楚な美人で、男から声をかけられても上手くあしらう人って印象だったのに……。

「――――はあ、お前って昔からほんっとに間が悪いね」

ぼうっとしていた俺に、黒木が呆れたように髪をかきあげながら言う。

「はあ……?」
「そういえば寮で俺のセックス聞いてたこともあったよな? いくらモテないからって、覗きはよくないよ。変質者にでもなったらさすがに俺も付き合いきれないし」

は――――?
そのあまりの言いように、何かがプチンと切れる音が聞こえた。

「ふ、ふざけるなよっ。いつ俺が覗きしたっていうんだ! お前が、場所も考えずに盛るから……。第一いつ白石さんとそんな関係になったんだよ?バイト始めてまだ……一週間も経ってないじゃん」

俺が黒木にこれだけ物を言うなんて、久しぶりかもしれない。小学生のころから、逆らっても勝てないし余計からかわれるだけだと悟ってしまっていたから。
でも、俺だってもう大人だ。言いなりになっていた頃とは違うのだ。

「なにその態度。生意気になったなー川島も。あ、もしかしてお前美由紀が好きだった? お前ってああいう目がでかくて清楚っぽい見た目の子が好きだもんなあ。いつまで高望みしてるんだか」

馬鹿にしきった口調だ。もうすでに美由紀だなんて名前で呼んでいやがるし。どれだけ手が早いんだこいつは。

「そんなんじゃないよ! ただ、事務所でああいうことはよくないし……」

断じて白石美由紀さんが好きだったわけじゃない。ちょっと美人だと思ってただけだ。思っていただけで、付き合うとかは無理だって言われなくても百も承知している。

「――ああそうだっけ。川島には友達以上恋人未満の可愛い女の子がいるんだったな」
「うっ……」

売り言葉に買い言葉で言ってしまったことを持ち出されて内心で動揺する。こいつはどうせそんな存在がいないことはわかっているのだ。
けど俺だって、見栄をはりたいときはあるわけで。

「そ、そうだよ。白石さんは美人だけど変な気持ちは持ってないし」
「ふーん。……つまらないの」
「え、何……?」
「いいや。――――ああそうだ、まだ俺達は時間に余裕があるよな。俺コーラが飲みたいんだけど」

黒木が話を切り替えてきた。
って、この言い方は俺をパシリにする気満々だ。だがもう言いなりにはなりたくない。

「はあ、飲めば……?一応冷蔵庫にソーダあったと思うけど」
「やだなー川島、俺はコーラが飲みたいんだよ。外に自販機があるだろ」
「……ソーダもコーラも似たようなものじゃん」

なんて図々しい俺様なんだ。水道水でも飲んでろってんだ。……とは、思っていても言えないのが物悲しい。
――部長、あなたの推測はやっぱり完全に間違っていますよ。こいつにとって俺は便利なパシリでサンドバック、ジャイアンとのび太の関係から友情を完全に抜いたようなもの。ただしこのジャイアンは対外的には出来杉君だから非常にやっかいだ。

「あのね、俺は美由紀に呼び出されて折角早く来たのに、何もできずに終わっちゃって凹んでるの。お前が来なければ、今頃何してたと思う? あの子向こうから俺に――」
「うっ……わかってるから変なこと言わないで! 買いに行けばいいんだろ、行けば!」

なんて奴だ。俺はそれ以上聞きたくなくて慌てて承諾してしまった。染み付いたパシリ癖は、簡単には治ってくれないようだ。
黒木は長い指で千円札を取り出し、不遜に笑う。

「お前って本当に免疫ないねー。俺のセックスまで聞いちゃってるくせに」
「もういい。俺もジュース飲みたいと思ってたから買ってくるよ」

黒木の話を遮ってさっさと事務所を出ようとする。――本当はジュースなんて飲みたくもない。

「ああ、川島」
「なに……?」

まだなにかあるというのだろうか。バイトが始まる前からこっちはクタクタなのだが。

「木曜日に大学の友達とここで飲むんだってな。しっかりもてなすから、楽しめよ」
「あ、うん……」

黒木にしてはまともな物言いだった。と見せかけて、部活の女の子の貞操が危ぶまれる。近づかせないようにしないと。
俺はうんざりしながら外へ出た。

「はあ、もう嫌だ……」

再会して一週間しか経っていないのにメンタルが削られまくってる。あいつは俺にとって、本当に疫病神なんじゃないだろうか。
億劫なまま3分ほど歩いてたどり着いた自動販売機は。

「……これ、コーヒーの自販機じゃん」

コーラはどこに売っているのだろう。俺はまたがっくりとうなだれるのだった。

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