読めない男 飲み会編1
「あ、もう4時ですか。俺今日はバイトがあるんで、そろそろ失礼します!」
「あ〜、おつかれハルちゃん」
いつもの部室。俺は時計を見て少し慌てた。
部長に挨拶している間も、覚えのある視線を感じる。
「……」
「あ……、お先に失礼します」
「ハルちゃんばいばーい」
「おー、今度バイト先行くから安くしてくれよ」
「え、ハルちゃんのバイト先どこ?キャバクラだっけ?」
「はは……。居酒屋です」
他の皆は明るく他愛無い会話を交わす中、俺の視線の先の相手は仏頂面でふいっとそっぽを向いてしまう。
――なんなんだよ、訳がわからない。
なんとなく消沈した気持ちで背を向けてドアに手をかけると、部室を出た。また背中に視線を感じた気がしたが、確かめる気にはならなかった。
あれ以来、柴崎さんの態度は相変わらずだったっけど、俺は今まで以上に柴崎さんを意識せざるを得なくなった。そりゃ誰だって意識するだろう。だっていきなり同性に――それも嫌われていると思っていた相手に抱きつかれたのだ。
しかも俺はそのときの柴崎さんを、不覚にも可愛い、とか思っちゃったわけで。ああ恥ずかしい。考えるのはやめよう。
大体、あんなことをしておいて全然態度が変わらない柴崎さんってなんなんだ。俺のことをどう思ってるのかすら全く悟らせないなんて、なんだかずるい気がする。俺なんか、あんなにでかくて無愛想な男を不覚にも可愛いと――って、だから、考えちゃダメだってば。
俺は端から見たらおかしなやつのように頭を振ると、バイト先への道程を急いだ。
「おはようございまーっす!」
店に着くと声を張り上げ明るく挨拶する。
「おっ、ハル君。うーっす!」
俺のバイト先は大学の最寄駅付近にある居酒屋だ。2ヶ月ほど前から土日中心に働いている。店内は小奇麗で、和風の落ち着いた内装がちょっといい雰囲気を醸し出している。手ごろな価格の和風創作料理と豊富な種類の日本酒や焼酎が売りで、若年層にも人気の店だ。
「ああハル君、新しいバイトさんが入ることになったから。系列店で働いてた子だから仕事は出来るんだけど、何かあったら教えてやって。同い年だし、仲良くしてね」
「あ、はい!」
まだ30そこそこで気さくな店長が、着替えている最中に明るく声をかけてきた。
新しいバイトか。後輩ができるのは初めてだ。女の子だったりしないだろうか。いや、期待するとろくなことにならないからやめておこう。
そんなことを考え、頭に紺のバンダナを巻きながら事務所を出る。
「――、なっ!?」
不意の衝撃にひどく素っ頓狂な声を出してしまった。
「――あれ、川島じゃん」
嫌というほどよく知っている顔に出くわした。
「なっ、なんで、黒木がここにいるんだよ!?」
思わず周りも気にせず叫んでしまい、すぐに後悔することになる。
黒木啓志(くろきけいし)。俺がこいつのことを考えるとき、常にトラウマをえぐられずにはいられない。それほど苦手で一方的な因縁のあるこの相手は、俺が小学生のころからの腐れ縁だった。
こいつは、認めたくはないが昔からとにかくかっこよかった。
なんでもヨーロッパの血が入ったクウォーターとかで、ガキの頃から顔よし頭よしスポーツよしの完璧超人だったのだ。
だが男の俺から言わせれば、その輝かしい美点も性格という唯一つの欠点で台無しだったのだが。
何を隠そう、小学生のときスカートをめくって罪を俺に擦り付けたのも、中学生のとき貰ったチョコレートを捨てたくせにいつの間にか俺の悪い噂にすりかえたのも、俺が必死になって入った御陵丘高校の特進クラスに余裕で合格したのも、俺と同室になって散々女とヤリまくりやがったのも、ぜーんぶこいつ、この憎たらしいイケメンなのだ。
俺がモテないのはこいつのせいによるところも大きいと思っていた。逆恨みと言われても仕方がないことはわかっている。だが俺は昔からこいつのとばっちりを一身に受け、時には軽い嫌がらせを受け、指を咥えて常に女をはべらせているこいつを見ているしかなかったのだ。俺が好きになる女の子は、決まってこいつを好きになった。恨んでも仕方がない原因が多分にあることはわかって欲しい。
とにかく、小学校から思春期時代にわたって数々のとばっちりを受けながらもやっと大学生になって離れられたと思った相手が、どういう経緯か目の前にいて、それも俺と同じ格好をしているのだ。我が目を疑ってしまうのも無理はないだろう。
「……びっくりした。何そんなでかい声出しちゃってんの。俺と会えてそんなに嬉しかった?」
「なっ……」
馬鹿にしたような物言いに、かっと頭に血が上る。
くそ、相変わらず人をなめやがって……!
「な、なんで黒木がここにいるんだよ!?大体その格好、……おま、お前が新しいバイト……?」
「見りゃわかんでしょ?店長の話聞いてなかったの?」
「うぅっ……」
ムカつく。非常にムカつく。見えてるものを信じたくない俺の気持ちを分かれ。
「おーいハル君、黒木君、挨拶が終わったら開店準備頼むよー」
「はーい!」
「は、はいっ!」
店長が俺とやつの名前を並べて呼んだりするから、これが現実だと認識せざるを得なくなる。なんて無情な話だろう。
「ぼーっとしてないで早く行けよ」
「わかってるよ!ここでは俺の方が先輩なんだからっ……」
命令するな、とは頭の中でしか言えなかった。こいつに歯向かったところで成果が得られないどころか痛い目を見るだけというのは、長年の経験が物語ってる。勝てる要素がない。
気をとられてミスなんてしたくない。いないものと思って仕事を始めた。
「おつかれー。いやあ、黒木君予想以上に仕事ができるね」
「お疲れ様です。前の店でも同じような仕事をしていましたから。でも勝手が解らないところもあって川島君には迷惑をかけてしまいましたから、早く完璧に覚えられるようにします」
感心している店長に、黒木は至極爽やかな笑顔で言い放った。
心にもないことをよくもしゃあしゃあと……。
黒木は確かに優秀だった。適当にやっているようで仕事が速くミスもしない。酔っ払った面倒な客をいなすのもとても上手い。
それに黒木が呼んだのか知らないが、明らかに黒木狙いの女性客が何人も来ていた。おかげでいつもより忙しく、俺はくたくただった。
一方働きながら余裕で愛想を振りまく黒木の様子は、まるでホストみたいだった。
だから嫌なんだ、こいつは。
「じゃ、二人ともお疲れさん」
「お疲れ様でした!」
上がり時間が同じだったせいで黒木と一緒に事務所に入り、着替えることになる。俺は存在を無視して黙々と汗ばんだ服を脱ぎ始めた。
「……川島、久しぶりなのに態度悪いね」
「は……」
少し面白そうに声をかけられて、俺は動揺を悟られまいとする。
放っておいてほしいと思ったところで、こいつは俺の気持ちなどおかまいなしに言いたいことを言う奴だから無意味だ。
「お前、A大通ってるんだろ? T大目指してたのになぁ」
「う、落ちたんだから、仕方ないだろ……」
いちいち嫌なところをついてくる。お前がいつもいつも俺達の部屋に女を連れ込んでやらしいことをしていたから勉強に集中できなかったんだよと言いたい。
「残念だったよなあ。お前と一緒の大学に行きたかったのに」
「そ、そう……」
馬鹿にしやがって。
こいつは俺が二年生のときから志望していたT大に、余裕綽々で合格した。しかも何故か受かったことを隠していたので、クラスメイトの間では海外の大学に行くとかいう噂が立っていた。どこへでも行ってしまえって気分だった。
こいつとの縁がとうとう切れたという意味では、T大に落ちてよかったと思っている。結果的にA大に入ったおかげで出会えた人もいるわけだし。
「ああそういえば、お前彼女とかできた?さすがに大学生になったんだから、そろそろ脱童貞しなきゃヤバイよね」
「……」
「コンパ三昧で大変だろ? 俺も最初の頃は上手く断れなくて無駄に体力消耗したよ。――お前の彼女ってどんな子?」
「え、えっと……」
あああああ! こいつは絶対愉快犯だ。俺がどれだけモテないか知っているくせに……くそっ。
「彼女なんて、できてないよ……仲いい人ならできたけど」
どうせ見栄を張っても恥をかくだけだから正直に言う。まあ最後にちょっとだけ見栄を張ったけど。俺にだってなけなしのプライドくらいあるのだ。
黒木は微かに眉を吊り上げた。
「へえー、彼女まだいないんだ。川島はシャイだからなあ。女友達は可愛いの? 彼女ができないなら紹介しようか?」
嬉々とした顔がムカつく。本当にどうしようもないほど嫌味ったらしい奴だ。そのくせ他のやつの前では猫を被っていい評判を得ているのだからたちが悪い。
「いらないよ。どーせ黒木の周りにいるような女子に合うわけないし」
実際こいつの周りにいる女の子はほとんどがこいつ狙いだった。――柴崎さんと同じだ。こいつや柴崎さんに恋する女の子にっとては、俺なんて眼中にない論外扱いだろう。
「――――そうだね、その顔と、体じゃな……」
「うっ……」
黒木は着替え中で半裸の俺の体をじろじろと見回してくる。
――どうせインドアで生っ白いよ。コンプレックスを見透かされているようで気分が悪い。
もう疲れきってさっさと帰ろうと服を手にとると、不意にスマホが鳴り出した。
「あ、俺だ……」
「なに、嬉しそうにして。まさか女の子?」
黒木が目ざとく覗き込んでくる。無視する口実ができた。さっさと帰れ。
スマホを取り出すと部長の名前が出ていて、すぐに通話ボタンを押す。
「もしもし?」
『もしもし〜、ハルちゃーん?』
「ぶ、部長……? 酔ってるんですか?」
いつも以上に間延びしていて上擦った声だ。部長は酒が好きらしいから、どこかで飲んでいるのだろう。
『あのさ〜、ハルちゃんが帰った後ちょっと話してて、ハルちゃんの店で部のみんなで飲みたいなあって〜』
「え……」
『行ってみたいって子が多いんだ〜。迷惑じゃないなら、どうかなあ』
唐突な提案に少し驚くが、特に問題はない。むしろ客が呼べるなら店長も喜んでくれるだろう。
「いいですよ、日にち決めてくれれば俺が予約入れるんで」
『よかった〜。今柴崎と飲んでるんだよ。柴崎も行きたいって、ほら代わって〜』
「ええ!?」
不意打ちを食らって鼓動が速くなる。
「も、もしもし……?」
『……ああ』
柴崎さんの声だった。落ち着かなくてそわそわしてしまう。
電話越しでまで俺を惑わすなんて!
「あの、うちの店、いいですよ!雰囲気いいし、料理もお酒も色々あって、楽しめると思います!」
『……そうか』
動揺を誤魔化すように勢いで言うと、低い美声が返ってきた。愛想は悪いがなんとなく穏やかで、優しいとすら思える声で。
更に胸が高鳴って、顔が熱くなるのがわかる。
柴崎さんは今どんな顔をしてるんだろう。酔っ払っうのかな。酔っ払ったら勢いで、いつもより和やかに話したりできるのかな……。
って妄想するな俺。
「――――川島。そんな格好でいたら風邪ひくよ」
「っ、うわっ」
突如、黒木が携帯側の耳元で囁いてきた。吐息にびくりと震えてしまう。
まだいたのか。途中から存在を忘れられてたのに……。
『……どうした』
「い、いえっ、なんでもひゃっ」
応えようとしたら、むき出しの背中の真ん中を指の先でなぞられて、無意識におかしな声が出てしまった。
『……おい、』
「す、すみません!ちょっと今取り込んでるので失礼します。飲み会の日程決まったら教えてください!」
俺は柴崎さんの返事を聞かず、慌てて電話を切った。変に思われたかもしれない。
「……おい、さ、触るなよ、電話中に」
「怒るなって、マジで相手女の子だった? 楽しそうだから妬いちゃった」
黒木は全く悪びれることがない。
こいつは心底根性が捻じ曲がっている。放っておいても周囲にはいくらでも人が集まってくるくせに、人畜無害な俺をからかってそんなに楽しいのだろうか。
――柴崎さんと喋るの、久しぶりだったのにな。
「そ、そうだよ!女の子!――ああもうこんな時間、早く帰らなきゃ……」
「ふーん……」
やけくそのように言って、今度こそ私服を乱暴に着る。
さっさと帰ろう。これからも一緒に働かなきゃならないのは憂鬱で仕方がなかったが、今考えても仕方ない。
「じゃ、お疲れ様!」
「あー、一緒に帰ろうと思って待ってたのに」
「急いでるんで!」
にこやかに言われたが、冗談じゃないとばかりに返して、返事も聞かずに事務所を飛び出した。帰りまで一緒だなんて、本格的に神経が磨り減ってしまう。
夜の帰り道は静かで、重い雲が空を覆いつくしていつもより暗かった。
「向こうの声、丸聞こえだったんだけど」
黒木はすっと無表情に戻って呟く。もちろん俺には知りようがなかった。
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