読めない男 出会い編2



「どうも〜。部長の真田です。いやあ、こんなに入部してくれるなんて嬉しいなあ」

 たれ目でひょろりとした男が、間延びした口調で挨拶した。

 新入部員は俺の他に女子が8人、男子が4人いた。「今まともに活動している部員は10人くらいだから、ちゃんと面倒は見れないかも」と、部長が苦笑しながら続ける。
あんまりやる気があるとは思えない勧誘だったのにこの成果、かなりすごいんじゃないか。
 にしても、大半の女子が(もしかしたら男子も)あのイケメン目当てでしかなさそうなのは、いかがなものなのだろう。俺としては可愛い女子が何人もいるんだから願ったり叶ったりのはずなんだけど。
この微妙な気持ち……俺は労力を要さず女の子を引き寄せるあの男が、多分妬ましいのだ。認めたくはないけど男として差がありすぎる。
せっかくの女の子もみんながあの男、柴崎さん狙いでは意味が無い。しかし柴崎さんがいなければ将棋部に入る女子などいなかっただろうことは想像に難くない。ジレンマだ。


 2年生である柴崎さんは、意外にも将棋に対してはかなり真剣なようだ。盤の前に座ると目が鋭さを増して精彩を放つ。
すっかり柴崎ファンになった女の子達も、彼が将棋を指しているときにはさすがに話しかけるのも憚られるようだった。
 一方の俺は、柴崎さんに群がる女の子達を遠目に眺めるだけ、という訳でもなかった。小学校以来久しぶりに将棋を指すようになって、その楽しさに再び目覚めたのだ。

「へえ〜結構うまく指すんだ。初心者だって言ってたのに、やるねえハルちゃん」

 新入部員の小手調べを終えてへらっと言った部長は、俺とは比べるべくも無い実力の持ち主だった。
 ハルちゃんという呼び名は気に食わなかったけど、自己紹介の際「春樹だからハルちゃんね〜」
とにこやかに言われ、部員の間ですっかり定着してしまった。 突っ込んでものらりくらりとかわされるだけなので、もう諦めている。

「中学生くらいからほとんどやることもなくなったので全然駄目です。でも久しぶりで楽しいです」
「そっか。いずれは大会で活躍してもらうかもね。うちにはなんてったって柴崎もいるし」
「柴崎さん、ものすごく強いですよね。意外でした」

そう、柴崎さんはうまい。いつも女の子に囲まれているので、対局の様子はあまり見られず、過去の記録を見ただけだが、俺でも分かるくらい圧倒的な実力がある。

「あいつはもう、才能からして違うよね。天は二物を与えずってのは、奴には全く当てはまらないな〜」
「プロとか、目指さなかったんですかね」

 狭き門だけど柴崎さんの実力なら勝負できるんじゃないかと思う。

「あー、昔から家業を継ぐって決まってるみたいだよ。棋士は最初から選択肢になかったんじゃないかな。ここだけの話、あいつの家の会社結構儲かってるみたいだしねえ」

 なんてこった。天は二物どころか、三物も四物も与えるわけだ。

「すごいですねー、イケメンで頭がよくて将棋の才能もあって、家柄までいいとか……そりゃモテますよね。なにかひとつでも分けて欲しいくらいですよ……」

なんだか惨めな気分になり愚痴るように言うと、部長はにっこり笑って言った。

「いやいや、ハルちゃんもセンスがいいよ。鍛えまくったら柴崎を追い抜いちゃうかもよ? それに、見た目だって可愛いじゃん」
「買いかぶりすぎですよ。それに可愛いって……男が男に言うのきついですって」
「あはは、誉めてるのさ。ハルちゃんはこう、犬っぽくて可愛いし格好いいよ。思わず頭撫でたくなるくらい」
「はあ……馬鹿にしやがって……」

部長は変な人だ。いつも笑っているだけに何を考えているのかわからない。でも多分気に入ってくれてるし、話しやすいことは確かだ。歳は2個上だけど、将棋部の中では一番気安く話せる相手になっていた。
 頭を撫でられながら苦笑していると、ふと視線を感じて顔を上げる。

――――柴崎さんだ。相変わらず周りには女の子。何を考えているのかまったく分からない、射抜くような視線が刺さる。
 見てる? 俺を? なんでだろう。俺何かした? 共用の冷蔵庫にあったアイスを一個食べたけどもしかして柴崎さんのだった?
俺は不覚にもうろたえてしまった。なんだか居心地が悪くなり、ガタッと椅子を鳴らして席を立つ。

「俺バイトなので、お先に失礼します」
「ああそう、じゃあまた遊ぼうね、ハルちゃん」
「ハルちゃん帰るの? バイバーイ」
「車に気をつけてねー」

 部長、将棋を指すことを遊ぶというのは将棋部部長としてどうなんだろう。続いて声をかけてきたのは美人だと評判の佐藤さんと、かわいらしい山田さんだったが、明らかに扱いが適当だ。でも声をかけてくれただけでちょっとにやける。
 未だに刺さる視線を感じながら、俺はすごすごと部室を出た。
どうして柴崎さんはあんな目で俺を見るのか。未だによくわからない。
 一つ言えるのは、あの目と目が合うと、なんだか……なんとも言いがたい気持ちになるってことだけだ。


 俺の大学生活自体は悪くない感じになっていった。少なくとも高校時代に比べれば2段階くらいは明るいと言っていい。
それなりに友達もできたし、自由度の高い生活は新鮮だ。
 思いつきで入部した将棋部だったけど、いつの間にか俺は昔のように将棋に熱中するようになった。
 柴崎さんの取り巻きの女子達は、しばらくすると目に見えて落ち着いてきた。なにせ彼はあまりにも無愛想で無口だ。その上将棋を邪魔されると露骨に不機嫌になる。はっきり言って怖い。そう思った女の子も少なくなかったようだ。
聞くところによると彼が一年のときもかなりの女子が釣られて入部したらしいが、やはり少し経つと辞めていく人が多かったらしい。


 それはともかく。部室で談笑しているとき、部長に習っているとき。俺はたびたび視線を感じ、正直辟易していた。
 視線の元は、いつも柴崎さんだった。
 初めは勘違いかと思ったが、恐る恐る窺がうたび、彼は確かにこちらを見ているようだった。
目が合うと、すこしの間の後視線を逸らされるのが常だった。
なんのつもりかと問いただそうにも、いくらか減ったとはいえ彼の周りはまだまだ女の子が固めていて、近寄りがたい。
「なんで俺を見てるんですかね?」なんて聞いたら、柴崎さんが口を開く前に周りの女子に一蹴されるだろう。「自意識過剰だ」と。
 
 結局よくわからないまま、気がつくと入学から一ヶ月が経っていた。
 緑が美しく暖かな季節――。俺個人は相変わらず青い春とは無縁なのだった。


 ある日講義を終えた後、俺は部室に向かった。
本来活動は休みの日なのだが、昨日教材を入れたサブバッグを置いてきてしまったのだ。
 鍵を貰いに行くのは面倒くさいから、部長あたりがいるといいなと思いつつドアに手をかける。
ドアはあっさり開いた。安堵して中に入る――と、俺は思わずビクッと身体を震わせてしまった。
 よりにもよって柴崎さんが、珍しく一人で、そこにいたのだ。

「こっ、こんにちは。ちょっと、忘れ物を取りに来ただけなんでっ」

 別に言い訳がましく言う必要ないだろ、と自分に突っ込みつつ、何やら難しそうな本を読んでいる柴崎さんの前をおずおずと通りすぎようとする。
――と、いきなり手首を掴まれた。

「えっ…? ええ? す、すみません!」

びびった俺は、条件反射のように謝ってしまった。

「……お前……」

じろりと睨まれまたびびる。もしかして気に入らないから焼きを入れるとか……いやいや、そんな時代遅れな。それにしても声までイケメンだ。

「……全く、覚えてないのか」

……何を? まさか、柴崎さんのプロマイドを売って一稼ぎしようって部長と話してたことがバレた? それとも、柴崎さんの傘にコーヒー牛乳こぼしたこと? ――いやいや、証拠は完璧に抹消したはずだ。

「お前……小学5年のときに名人戦に出ただろう……?」

 柴崎さんの口から出た言葉は、思いがけないものだった。
小学生5年、名人戦……?

「ああ、名人戦ってあれか……。でも、何回戦かで、負けちゃったけど……」

小学生将棋名人戦――確かに一度爺ちゃんの友達に勧められ、参加したことがあった。

「お前は負けたんじゃないだろ!」

いつも低いトーンで喋る柴崎さんが大声で迫ってきた。俺はいよいよ怯える。

「……あのときの対戦相手は俺だ。途中まで、俺は確かに押されていた……だがお前が対局の終盤になって、いきなりもういいと言って席を立ったんだ!」
「ええっ!?」

 初めて見る感情的な柴崎さんにびびりながら、そういえば、と俺は記憶を辿る。

 あの時、順調に勝ち進んでいた俺の前に座ったのは、そういえば到底小学生に見えない大人びた子どもだった気がする。あれが柴崎さんだった……?
対局が始まって、今までの相手とは明らかに違うとすぐにわかった。すごく強くて意外性のある手を打ってくる。対局の途中まで、俺は今までに感じたことのない高揚感を味わっていた。今まで見えてこなかった手がどんどん見えてきて目の前が開ける感じがした。途中までは。

「……そういえばあのとき、いきなり腹が痛くなって……多分前日に、学校に放置されてた牛乳飲んだせいかな」

 当時の俺は背が低くて、伸びると信じてとにかく必死に牛乳を飲んでいた。だからまあちょっと拾い飲みというか、牛乳嫌いの子が棚に隠しておいたらしい牛乳を見つけて、つい魔が差した。結果、最悪なタイミングで腹を壊した。
当時何を言ったかまでは覚えていないが、腹を壊したなんて言いたくないお年頃だし、トイレに行くと正直に伝えたりはしなかっただろう。

「……腹……?そんな理由で……。あの後、俺は必死でお前を探した。同年代であんな将棋を指す奴なんて、今までいなかったんだ。なのにいくら探しても、その後の大会でお前を見つけることはなかった。まさか今更見つけるなんて」
「ああ……中学に上がるタイミングで、将棋からは離れちゃったんです」
「やっと再会して、部にも入ったのにお前は部長にべったりだ。将棋の腕もなまってるようだし、正直がっかりしたよ」

そんなことを言われても……。今の柴崎さんは妙に饒舌な上、かなり一方的だ。普段寡黙なのをクールぶってると思っていたが、単にこの人、会話が得意ではないタイプだったのか。
 俺は動揺しつつかすかに優越感を覚えていた。俺が太刀打ちできるところなんてひとつも無さそうなこのイケメンが、ずっと自分のことを探していたなんて。――視線の正体がやっと分かってすっきりした。

「なんか、すみません。俺はずっと将棋してなくて、探されてたなんて思いもしませんでした」

 とりあえず殊勝に謝ってみる。すると、わかりにくい変化だが柴崎さんの表情が若干和らいだように見えた。

「いや……俺もすまなかった。――頼みがある。あのときの盤面を、俺はまだ覚えている。ずっと忘れられなかった。あそこから、やり直させてくれないか」

 忘れられなかった、と面と向かって言われて照れてしまった。男同士なのに。

「それはいいけど、勝負になりっこないですよ。俺ド素人だし。あの頃から成長してないどころか下手になってるレベルかも」
「それでもいい。今から用意するから待ってろ」

柴崎さんは半ば強引に準備を始めた。
うーん、この人、やっぱり言葉が圧倒的に足りない気がする。


 勝負はもちろん俺の大敗だった。でも、明確な実力差があったのに、すごく――楽しいと思った。夢中で打ち込んでいたころを思い出した。

「ありがとうございました。完敗だけど、なんか楽しかったです」

俺は本心からそう言ってお辞儀する。

「――いや、無理を言ったな、すまなかった。俺も……楽しめたよ」

社交辞令かと思ったが、いつもよりなんとなく穏やかに見える顔は、嘘を言っているようには見えない。
もしかして照れてるのだろうか。いや、それはないだろうが、そうだとしたらちょっと――可愛いな。
と思ったところで、はっと我に変える。何が可愛いだ。俺よりでかい、何を考えてるのかわからない男に。なんだか混乱して頭がおかしくなってるようだ。

「それにしても、俺をあんなに見てた原因がわかって、よかったです。てっきり嫌われてるのかと思ってたから」
「――見てた?」

あれ、やばい。無表情ながら穏やかに見えた顔つきが、また険しくなる。俺みたいな人間に見てた、なんて言われたら不快だったか。せっかく苦手意識が軽くなったと思った矢先にこれだ。

「俺は――そんなにお前を……見ていたか?」
「いや、自意識過剰でしたすみませんっ! むしろ俺が、柴崎さんの方をずっと見てたから、勘違いしちゃったんです」
「――お前が、俺を?」

 ま、まずい。混乱してどんどん墓穴を掘ってるぞ。俺は非常事態には弱いんだ。
――ずっと見てたなんて、俺が柴崎さんに、変な気があると解釈できてしまうではないか。

「し、柴崎さんて言うか、柴崎さんの周りの女の子を見てたんです!あんなにはべらせて、うらやましいですよ。特に佐藤さんとか、可愛いですよね! いつも薄着だし!」
「……女……」

 困ったときは女の子の話と軽い下ネタで誤魔化せ。という俺の幼稚な会話テクニックは、この男には通じなかった。その表情は、先ほどまでとは違って、俺にもわかるほどはっきりと不機嫌なものになっていた。

「お前は……女が、佐藤が好きなのか……。あいつらは……俺はべらせてるなんて気はない」

はっとした。もしかして柴崎さんは、佐藤さんか、あるいは他の取り巻きの誰かと付き合っているから気分を害したのかもしれない。

「いや、好きだなんてそんなんじゃ! ただちょっと目の保養にする程度で、ホントに」
「お前は……部長とやけに親しいから、――だと思ってたんだがな」
「え、部長がなんですか?」
「……なんでもない」

やはり機嫌を損ねてしまった。もしかして少し仲良くなれるかも、と思っていたのに。
女の子に囲まれて、嫌味なくらい完璧で、いつも視線で何かを訴えているように見えて――苦手な相手だったはずなのに、開きかけた心を閉ざされたように感じて、俺は何故か気分が落ち込んでしまう。
 俯き気味に、今度こそ帰ろうと立ち上がったときだった。


「!?」

後ろから、何かが、というか明らかに柴崎さんが、覆いかぶさるように抱きついてきたのだ。

「…………」
「あ、あの!?柴崎さん?具合、悪いんですかっ?」

もう、びっくりしたなんてものじゃない。心臓が、これでもかと早鐘を打って――、早鐘を……?
マラソン中のように鼓動が速まる心臓を持て余し、立ち尽くすことしかできない。
柴崎さんも人間なんだな。意外と体温が高い。それに鼓動も感じる。俺のとどっちがどっちか分からないけど。
身体は全体的に逞しくて、女の子が抱かれたがるのも納得だし、敗北感は感じるし、もうめちゃくちゃだ。
心臓がもうオーバーヒートしそう。なんだこれは、一体なんなんだ。

「……すまない」

1分にも1時間にも思えた時間は、ふいに柴崎さんが離れたことで終わった。
――どうしよう。謝られたって困る。柴崎さんは一体どうしたんだ。俺も一体どうしたんだ。わけが分からない。
でもとりあえず、何か言わなきゃ。

「あの……」
「……」
「あの、よくわからないけど、体調悪かったんですか……? 気にしてない、ですから。無性に何かに抱きつきたくなることってたまにありますよね。俺弟がいて、いつもは生意気なくせに風邪ひいたときだけはちょっと甘えてきて、手を握ったら握り返したりしてきて、そういうときは可愛いなーって。まあ十年前とかの話で今はもう全然可愛くないんですけど」

自分でもどうでもいい話だと思いながら思いついたことを垂れ流す。だって、沈黙が耐えられないのだ。引きつった笑みを浮かべ、俺は柴崎さんを伺った。
なんだ、これ。見てはいけないものを見てしまったような――。
柴崎さんは、やなり少し顔を逸らして、端正な眉に皺を寄せて――その耳は、微かに赤くなっていた。
その姿を見た俺は、柴崎さんより真っ赤になってしまったかもしれない。

「すまない」

そう呟くと同時に後ろを向き、柴崎さんは部室から出て行った。
俺はというと、しばらくその場に一人で立ちつくしていた。




 俺は女の子が好きだった。全くモテないし、手を握ったことも、キスをしたこともない。それでも、いつかは好きになった子と付き合って、いずれ結婚することを、まるで乙女のように夢見ていた。
 だけどそのときの俺は確かに、柴崎行貴という読めない男に、微かなときめきのようなものを感じてしまったのだ。
 
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