異世界にて 14



わけの分からないまま長いこと歩かされ、気がつくと絢爛豪華な王宮が目の前まで迫っていた。
しかし、その正門からほんの少し外れたところにある階段を下って辿り着いた先は、王宮の華やかさとは真逆の陰気な地下牢だった。

「おら、大人しくしてろよ」
「いっ……」

兵士は玲に足枷を嵌めると、無人の牢の中へ乱暴に放り投げた。
冷たい石畳に身体を打ちつけるのと同時に、鉄格子が不快な音を立てて閉まる。

「ちょっと待て……! 俺が犯罪者ってどういうことです? 全く身に覚えがありません」
「うるせえな。取調べになったら嫌でも喋ることになる。それまでは静かに待ってろ」

取り付く島もないとはこのことだ。
兵士は億劫そうに頭をかきながら、最後に不穏な言葉だけを残して、さっさと立ち去ってしまった。

「なんなんだ……」

玲は呆然と頭を抱えた。
本当に、何故こんなことになってしまったのだろう。
魔物に襲われている少女を助けた、ただそれだけのことだったはずなのに。
確かにアレンからは、魔法はなるべく人前で使うなと言われていたが、使うことが犯罪になるとは聞いたことがない。
どちらにしろあの場面では使うほかなかったし、後悔する気持ちはもちろんないが。
とにかく今は状況を把握し、一刻も早くここを出たい。
アレンは神獣姿のまま残してきていて心配だし、大事な宝剣を取り上げられてしまったのも非常にまずい。
誰かまともに話を聞いてくれる人はいないだろうかと、鉄格子を掴んで左右の廊下を見回してみたが、薄暗くてよく分からなかった。
ため息を吐きながら、ふと向かいの牢に目を凝らしてみて、玲は瞠目した。

「……っ」

誰かいる。男が、石の壁を背にじっと佇んでいた。
何故今まで気づかなかったのだろうと考えて、はっとする。
視覚で認識できている今でも、まるで風景の一部であるかのように、男からは人間らしい息遣いや存在感が伝わってこないのだ。
アレンに鍛錬中少し習ったことを思い出す。まだ玲には使えない――気配を殺すという戦闘のテクニック。
ただ者ではないと感じて、無意識に喉が鳴った。

「あの……」
「……」
「そちらは、何故こんなところに?」

男からの返答はなかった。
本来見ず知らずの人間に話しかけるのは苦手だし、それがただならぬ相手とくればなおのことだったが、今は状況が状況だ。
何としてもここから出してもらうか、場合によっては逃げるか。いずれにしろ現状では情報が少なすぎるから、今目の前にいる男から探る他ないのだ。

「俺はレイ。セハ村から来たんだけど、身に覚えがないのにこんなところに入れられて……」

何の反応もない相手にひたすら話しかけるのは辛かったが、それでも必死で続けた。
割と淡白な人生を歩んできた玲にとって、こんなに人にしつこくするのは幼少時以来、もしかしたら生まれて初めてかもしれないと自嘲気味に思う。
どれくらい時間が経ったのか、いい加減心が折れかけた頃。
ようやく男が身じろぎし、口を開いた。

「……うるさい」
「……すみません……」

ぎろりと、赤みを帯びた瞳で睨まれ、その時初めて男の顔を見たような気がした。
薄暗くて定かではないが、男は髪も目も赤茶かそれに似た色をしていて、年齢は思いの外若い印象を受けた。玲より少し上か、変わらないくらいかもしれない。
普段なら睨まれたら嫌な気分になるものだが、今に限ってはこちらを認識してくれたことが嬉しくさえあった。

「あの、うるさついでに一つ聞きたいんだけど、カンナスでは魔法を使ったら捕まるものなんでしょうか」
「魔法? お前が?」
「いや……ほんの少し、使えるだけなんだけど」

魔法という単語に、男が今までとは明らかに違う反応を見せた。
一瞬誤魔化そうか迷ったが、男の目からは逃れられる気がせず、玲は正直に話した。

「魔法で魔物を倒しただけで、兵士に捕まってしまったんです。これってどういうことなんでしょう」
「……世には魔法が使えるなどと虚言を吐いて、王宮に召抱えられようとする馬鹿がいると聞いたが、お前もそのくちか。ならさっさと嘘を認め命乞いすることだ」
「ば、馬鹿ぁ?」

やっと受け答えに応じてくれたと思ったら、随分と失礼な物言いだ。

「俺は本当に魔法を使って、女の子を助けました。それだけで何故こうなったのか全く分からなくて、困ってるんです」
「――どちらにせよお前は無知な愚か者ということか」
「む……」

短くも的確な謗りに、何も返す言葉がなかった。
不遜というか、口を開けば人を食ったようなことしか言わない男だ。
それでいて肝心の質問には全く答えてくれないのだから困る。

「……そういうあなたは、何故捕まっているんです?」

相当腕が立つと思われる男がこんなところにいることへの純粋な疑問と、少しの皮肉を込めて訊いたが、返事はなかった。
この男から有益な情報を得るのは無理なのかと諦めかけたとき、廊下から複数の足音が聞こえてきた。
見ると、兵士たちと違って鎧を纏ってはいない、しかし屈強な肉体の2人の男がこちらへ近づいてくる。
話しかけるタイミングを図っていると、彼らは向かいの牢の前で足を止め、鉄格子の扉を開けて中へ入った。

「さあて、いい加減吐いてもらおうか。薄汚い海賊野郎!」
「……!」

突然の衝撃的な光景に、声にならない悲鳴が出た。
男たちは入るな否や、赤目の男に向かって鞭を振り下ろしたのだ。

「おら、吐きやがれ!」
「鞭で済んでるうちに吐かないと、その二枚目が二目と見られない顔になるぞ?」

何度も何度も、鞭が皮膚を裂く音と怒声が響く。
驚いたことに、赤目の男は悲鳴一つ上げずにじっとしていた。激痛であるはずなのにだ。
どんどん傷が増え、血が滲むのを見て、男よりも先に玲のほうが耐えられなくなった。

「やめろ!」

半ば無意識に叫んでいた。もちろん勝算なんて何もない。ただ見ていることなどできなかった。

「――ああ? なんだお前」
「そ、そんなことしても、そいつが喋るとは思えない。時間の無駄だ」

拷問なんて非人道的なこと、してはいけない。そんなことをいくら説いても、きっと彼らには嘲られるだけだろう。
ここが紛れもなく異世界であることをこんな状況で実感させられて、何とも嫌な感じがする。

「なんだてめえ、もしかしてこいつの仲間か? 心配しなくてもお前もじきに取り調べられる。黙って見てろ」
「何せこいつは王子直属の騎士様を何人も吹っ飛ばした大罪人だ。気兼ねなくいたぶれるってもんだ」

男たちはにやにやと笑うと、楽しくて堪らないとばかりにいたぶる手を激しくした。
きっと玲の制止の言葉など、男たちを煽るものにしかならないのだろう。
どうしたらいいか分からず、目も逸らせずじっと男を見ていると、その口が微かに動いた。

『だまっていろ』

声は出さなかったが、確かにそう言ったように見えた。
自分の無力さに対する苛立ちが激しく胸を締め付けて、玲は唇を噛んだ。

「――やあ」

そんなときだった。殺伐とした空気に似つかわしくない飄々とした声が突然頭上から降ってきた。

「……!? あ、あんた」
「また会ったね」

石の壁に寄りかかるように立っていたのは、パン屋で声をかけてきた金髪の男だった。

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