異世界にて 13



王都カンナスは、今まで通ったどの街とも比べられないほど栄えていた。
玲はまず宿をとり、気絶したままのアレンをベッドに寝かせると、情報収集のため一人街に出てみることにした。

アレンによると、西の大陸に渡るにはこの街で渡航許可証を得なくてはならないらしい。
せめてその手続きくらい今のうちに済ませて、少しでもアレンの負担を減らしたいと思うのだが、いかんせんどこに許可証を発行している機関があるのかもわからない。

玲は辺りを見回す。食べ物や装飾品、雑貨などの様々な出店が軒を連ねていて、とにかく色鮮やかでにぎやかな街並みだ。
老人から小さな子供まで人通りもかなり多く、玲は感心するとともに少しの心細さを感じてしまう。
――いや、こんなことではいけない。早くこの世界に慣れるためには、初めて見るものを楽しむくらいでなくては。
そう思いなおして歩いていると、ふと食欲をそそる匂いが鼻腔を刺激した。
途端、腹が音を立てて空腹を訴える。そういえば今日は朝食べたきりだったことを思い出す。
ちらと見てみると、パンを並べた店が目に入った。周囲にはいくつか椅子とテーブルがあり、その場で食べられるようだ。
食欲には勝てず、玲は腹ごしらえがてら店員に訊いてみることにした。

「すみません、これを二つください」

薄い肉と野菜の挟まったパンを二つ注文する。一つは持って帰ってアレンに渡すためのものだ。

「はい、まいど! お客さん、見ない顔だねえ。どっから来たの?」
「ええ、まあ……。あの、西の大陸に渡りたいんですが、渡航許可証はどこで貰えるのか分かりますか」

質問には答えずはぐらかして聞き返すと、店員は少し困った笑みを浮かべた。

「あら、そりゃ残念だったわねえ。今は西への航海は厳しく制限されてるみたいよ」
「え……どうしてですか?」

「西のハイラ諸島を根城にしてる大きな海賊団がいるのは知ってるかい? うちの国の軍艦や商船もたびたび被害を受けててね。その上最近、海軍内部だかギルドの連中だか知らないが、とにかくこっち側の誰かが海賊に情報を流してるのが発覚したらしいんだよ。少なくともその内通者が見つかるまでは、一般人が向こうに渡るのはまず無理なんじゃないかねえ」

寝耳に水の情報に、一瞬言葉を失ってしまう。
渡れないとなればどうするべきなのだろう。素直に待てる期間なのか、何か抜け道を探すべきか……玲には皆目分からなかった。

「お客さん?」
「あ、いえ、ありがとうございました」

慌てて店員に頭を下げると、パンの入った紙袋を受け取る。
とりあえずどこかで腹を満たそうかと思ったが、テーブル席は埋まっていて座る場所はなさそうだった。
もう日も落ちる頃だし、一度宿に戻った方がいいかもしれない。どのみちこれからどうするのかはアレンの判断を仰ぐほかないだろう。
それにアレンが目を覚ましたとき玲がいなかったら、きっと心配させてしまう。
叱られるのも嫌だし、残念だけど帰ることにしよう。そう思い宿に向かって歩き出したとき。

「お兄さん、ここ空いてるよ」
「……?」

反射的に振り向くと、眩しいほどの金髪の男が片手を上げてこちらを見ていた。

「席、探してたんじゃない?」
「え、まあ……」

一瞬ぽかんとしてしまったのは、見ず知らずの人間に突然話しかけられたこと以上に、その男が特別目を引く容姿をしていたからだった。
色素の薄いプラチナブロンドは赤い夕日に照らされ不思議な光彩を放ち、白皙の面立ちはただ整っているだけでなく、特別な気品のようなものを感じさせられる。

「座らないの?」
「いえ、ありがとうございます」

少し迷ったが、親切心で声をかけてくれたのだろうから断るのも何だと思い、玲は勧めを受け男の隣に座った。

「こんにちは」
「……どうも」

間近で見ても、その美貌と並々ならぬオーラが損なわれることはなかった。
どこぞの貴族か、いっそ王子様と言われれば納得してしまうだろう。一応王であるはずの玲よりよほどらしいと思う。
もっとも、供もつけず庶民的な店で一人うろうろしている王族などそういるものではないだろうが。

「西の大陸に渡りたいんだって?」
「まあ……どうやらすぐには無理なようですが」

それなりに距離があったのに会話を聞かれていたのだと知り、ほんの少し警戒心を抱く。
まさか正体がばれるということもないだろうが、アレンには常々知らない者には気をつけろと言われている。
こんなところを見られたら、きっと自覚が足りないと説教してくるだろう。

「残念ながらね。だがこの街もそう悪くはないさ。特にワインがいい。このあたりの葡萄の質は大陸随一だからね。君はいける方?」
「少しなら」
「そう、なら今度――」

その言葉が終わる前に、二人ははっとして視線を一つの方向へやった。
にわかに辺りが不穏にざわつく。

「ま、魔物だ! 魔物が逃げ出したー!」
「いやあああ!」
「逃げろ、殺されるぞ!」
「なっ……」

玲は目を見開いた。視線を向けた先から、人々が逃げ惑ってくる。
その後方から姿を現したのは、胴体は蛇のように長く頭部は狂った獣に似た面相をした、醜悪な魔物だった。

「あれは……見世物小屋から逃げ出したのか」

男のいやに冷静な声を背に、玲は走り出した。
若い女性が逃げ遅れ、魔物の前で尻餅をついていたのだ。

「いやっ、助けて……」

(――間に合え!)

必死に走りながら玲は剣を抜いた。
その勢いのままに、少女に牙を向けんとする魔物に切りかかる。

「くっ……」

金色の光が、頭部に一発入った。油断せず返す刀で胴体を思い切り切りつけると、魔物は耳を劈くような悲鳴を上げ、その肉体を灰に変えていった。
どうやら言葉も解さぬ下級魔族であるのに加えて、見世物小屋とやらに入れられ弱っていたらしい。
なんだか後味の悪い気分を抱えつつ、その姿が完全に消えるまでを見守った。

「あ、あ……」
「大丈夫ですか?」

涙で濡れた目を見開いて呆然としていた少女の前にしゃがんで、視線を合わせる。
ポケットからハンカチを取り出すと、おずおずと受け取ってくれた。

「あ、あり、がとっ……」
「無事でよかった」

頬を染めた少女に礼を言われ、ほっと溜息を吐く。
親か知り合いはいるだろうかと辺りを見回して、自分達が人だかりの中心にいることに気づいた。

「魔法……」
「魔物を、あっさりと……」

皆がこちらを注視し、囁きあう。
魔物がいなくなったことへの安堵と、それ以外の驚き、恐怖といったよくない感情を感じ取り、しまったと思う。
――目立つ行動はするな。極力魔法使いであると知られるな。
アレンに何度も言われていたことだ。
あの状況で少女を救うためには仕方がなかったことだが、ここはさっさと逃げた方がいいかもしれない。
そう決めて立ち上がったとき、剣呑な声が場に響いた。

「どけ、どけ! 魔法使いはどこだ!」

逃げる暇などなかった。
警備の者か兵士か、簡素な鎧を身に纏い腰に剣を差した数人の男達が民衆を掻き分け、あっという間に玲を取り囲む。

「この者、犯罪者の疑いあり! 逮捕する!」
「ええっ?」

有無を言わせぬその宣言を、玲は呆然と聞いた。

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