異世界にて 05



男は朝になると宿屋を出で、夜になると静かに戻ってきた。
セハ村は田舎も田舎で、周囲には森と川しかない。そんな場所に全く似合わない男が、何故幾日も留まっているのか、日中どこで何をしているのか。
アルマやユーインも興味津々だったが、4日ほど経っても疑問は解消されなかった。

そんなある日の朝。

「レイおはよー。なあ、昨日の夜聞けたんだけど、あの格好いい人アリオスト大陸から来たんだって! すげーごつくて綺麗な剣持っててさ、俺もちょっと持たせてもらった。それ以上のことは喋ってくれなかったけど、やっぱり高貴な人なんじゃないかなあ」
「……へえ」

食堂の掃除をしていると、起きてきたユーインが楽しげに話し始めた。
アリオスト大陸といえば、西の海を何月も航海した先にあると聞いたことがある。
ますますもってこの村にいることが謎だ。
それにしてもあの男、ユーインには普通に接しているのか。玲と顔を合わせてもすぐに目を逸らすか、端からいないもののように扱うかだというのに。
ユーインと玲とでは社交力が違いすぎるから仕方ないのだろうが、何となく面白くない。

「ん? レイ、どうかした? 機嫌悪い?」
「別に、そんなことない」

見透かされたようでばつが悪くて目を逸らすが、後ろから首に抱きつかれてしまう。

「なんだよー、怒るなよ、レーイー」
「怒ってないって……く、苦しいから、ギブギブ!」

じゃれ合いは弟ができたようで密かに楽しんでいるが、ユーインは玲よりも力があるものだから時々困る。
苦笑しながら、払いのけようと身をよじったとき、階段が微かに軋む音が聞こえた。

「……」

あの男だった。今日は珍しくばっちり目が合う、というか睨まれている気がするのは気のせいだろうか。

「あっ、おはようございまーす!」
「…………ああ」

ユーインが明るく声をかけたことで、視線は外された。
が、なんだか少し胸がもやもやする。
理由も分からず人に嫌われたら、大抵の人間はいい気はしないだろう。
玲も例外ではなく、それで理由を探れるわけでもないのについ男を凝視してしまう。

「あ、朝ごはんは食べないんですか?」
「いや、必要ない」
「かしこまりました。いってらっしゃいませー」

そんな玲の気持ちなど当然おかまいなしに、男はさっさと宿を出て行った。

「はー、やっぱクールだね、あの人! 最初睨まれたかと思ってドキッとしちゃった。もしかして俺達の仲に嫉妬したんじゃない?」
「なんだそれ。ほら、仕事するから一旦離れろ」

なおもぎゅうぎゅうと抱きついてくるユーインを宥めて、玲は仕事を再開した。




その日の夕方。珍しく焦った様子で、アンディという村人の男が宿屋に飛び込んできた。

「あらあらアンディ、どうしたんだい大の男が慌てて」
「ア、アルマ。何だか物騒なことになってるぞ。今日隣村まで行ったんだが、国軍の辺境部隊がどうやらこの村に向かってやがる。大体50人ほどだった。まさか、この辺に魔物が出るんじゃ……」

「辺境部隊……それは確かに、いろんな意味でやっかいだねえ」

魔物という単語に、玲はびくりと反応する。
それの存在、また出くわしてしまったときの対処法などは、以前に聞かされていた。
しかしこのような辺境には滅多に現れることはないし、現れたとしても村人が倒せるような、ごく下位のものだけだ、と。
玲は二人の会話を固唾を呑んで見守る。

「ああ、奴ら国軍とはいえ、実態は金目当ての傭兵崩れの寄せ集めだ。隣村でも食料を奪われた挙句、若い娘を差し出せと……」
「く、ゲスな野郎共だよ。しかし、もし魔物が出るんだとしたら……」
「……アルマさん」

アルマのこんな不安げな表情を見るのは、ここへきて初めてのことだった。玲はアルマの肩にそっと手を置いた。

「――ああ。大丈夫だよレイ」

安心させるつもりが、その笑顔で玲の方が安らぐことになってしまった。
村人達に報せて回るためにアンディが出て行った後、アルマは事情が把握しきれない玲に説明してくれた。
辺境部隊は、主に魔物退治のために派遣される。王都には魔物の出現を予見できるという稀有な力を持った魔道士がおり、その者の命令によって。
彼らの武器には特殊な加護が与えられ、本人の資質にも大きく左右されるが、一般人では相手にならない魔物とも戦える。
ただその力を笠に着て、立場上逆らえぬ一般人に横暴を働くことも多いため、評判は必ずしもよくはない。
しかし魔物から唯一守ってくれる存在が彼らであることも、また事実なのだと。

「隊長がまともならまあ問題ないんだけど、アンディの話じゃあろくでもないようだね。――レイ、あんたは今日は部屋にいなさい。店の方は私一人で大丈夫さ。出てきちゃいけないよ。なあに、魔物退治の方は連中に任せとけばいいだろうよ」
「ど、どうしてですか? どちらにせよそんな人達が来るなら、アルマさんを一人にはしておけません」

ユーインは山一つ越えた街に出かけており、帰りは明日になる予定だ。
どうしてアルマを一人にできるだろうと抗議すると、諭すように視線を合わせられる。

「いいかい。ああいうやつらは大抵、見境がないもんなんだ。あんたみたいな若くて綺麗な子は――あ、今、また親馬鹿だと思ったね。親馬鹿で結構だよ。とにかくね……」

しかしアルマが言い終わる前に、宿屋のドアが荒々しく開かれた。

「――おうおう、本当にしけた村だなあ。一番の宿屋と聞かされて来てみればこれか」

開口一番の無礼な物言いに、玲は鼻白む。
数人の男達を従え、靴の泥もそのままに入ってくるこの粗暴な男が、どうやら噂の隊長らしい。

「レイ、あんたは部屋へ行ってな」

アルマは玲にしか聞こえない声量で囁くと、庇うように前に立った。

「いらっしゃいませ。辺境部隊の方とお見受けしますが、まさかこのような田舎の村に魔物が……?」
「あ? ああ、魔道士様はそうおっしゃったが、疑わしいもんだな。こんな村襲ったってびた一文の得にもならないだろうに」
「ええ本当に。魔物どころかこそ泥だって、何も盗る物がないと裸足で逃げ出しますわ」
「はは、違えねえ」

男の機嫌を損ねぬよう応対するアルマに、玲は感心する。
アルマなら大丈夫だろうと思うが、彼女の言うとおり部屋にひっこんでいる気にはなれなかった。

「ま、とにかく俺達はこの辺鄙な村の救世主様なんだ。それなりの対応をしてもらわねえとな。まずはありったけの酒と豪華な料理――それと、若い女だ」

嫌な予想を少しも覆すことなく、男は高圧的に言い放った。
酒と料理はまだしも、女性をもののように差し出せなんて、到底聞けることじゃない。

「――恐れながら、ここは見てのとおり小さな村。若い女といえば今は身重の者か、年端もいかぬ娘しかおりません。そちらはなにとぞご勘弁を」
「んん? なんだと?」

男の声音がにわかに鋭くなり、アルマの胸倉をつかむ。

「それしかいねえってことはねえだろ。何だったら部下に、一軒一軒探させてもいいんだぜ? ああ、なんだ、あんたが相手したいってのか? あいにく俺は若いのが好みだが、考えなくは――」
「っ、やめろ!!」

怒りに頭がかっと熱くなった。玲は男の手を反射的に払って、二人の間に割って入った。

「あんた! 部屋に戻ってなさいって……」
「ああ、なんだお前?」

隊長に楯突いたことで、周りの男達も剣呑にざわめき始める。

「申し訳ありません……しかしどうぞ、お許しください」

玲は何とか怒りを抑えて声を絞り出す。
魔物を倒す力を持つ彼らに逆らってはいけない。ここだけの問題ではなく、村人全体の命に関わるかもしれないのだから。
自分に魔物を倒す力があれば、こんな奴らの言いなりにはならないのに。
ふとそんな埒もないことを過ぎらせながら、玲はただ頭を下げた。

「隊長、ちょっと痛い目見せてやりましょうか」
「そうですね、俺達は命がけで守ってやろうってのに、とんでもねえ態度だ」
「そうだな――おい」
「……っ!?」

いきなり顎を掴まれ、強引に上向かされて、玲は目を見開く。

「――珍しい色だな。髪も目も夜の闇のように真っ黒だ。それにこの肌、田舎の子供にしちゃあ随分とお綺麗だ」
「なっ……」

頬をねっとりとした手つきで撫でられ、嫌悪感にぞわりと鳥肌が立つ。
見回すと部下の男達も下卑た笑みを浮かべながら玲を凝視しており、酷く混乱する。

「よし決めた。おかみ、女が無理だってんならこいつで勘弁してやるよ。へへ、今王都じゃ男遊びが流行ってるって言うからな。一度試してみたかったんだよ」
「そ、その子はどうぞご勘弁をっ……ああっ」
「アルマさんっ!」

すがり付こうとしたアルマを、部下の男が突き飛ばした。
倒れこんだアルマの名を悲痛な声で叫ぶと、男は苛ついたように玲の腹を殴った。

「うぁっ……」
「おかみが大事ならおとなしくしときな。おかみのほうもだ。何せ魔物狩りの前で皆興奮してるから、はずみで何があるか分からねえぜ?」

何と卑劣な物言いだろうか。しかしこの状況では多勢に無勢、下手を打てば本当にアルマを害されねない。
玲は痛みと怒りに唇を噛んだ。

「ま、この村の救世主である俺たちに逆らおうなんて気は最初からないだろうが、一応な。ああお前ら、見たいならついて来い。一人はおかみを見張ってろ」

男はそう言って、玲を荷物のように抱えて二階へ向かう。
部下達もまた、一番下っ端らしき者を一人残し、歪んだ笑みを浮かべながら隊長に続いた。

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