異世界にて 04



玲がセハ村に辿り着いてから、三月が経った。
感覚が狂っているだけかもしれないが、一日の長さや月の満ち欠けはどうやら地球と同程度らしい。

「玲、鳥を焼いてくれるかい」
「分かりました」

玲を拾ってくれた恩人である女性、アルマが、厨房へ明るく声を投げてくる。
玲は今、アルマが営んでいる小さな宿屋で働かせてもらっている。
村自体は小さいが近くに大きな街道が通っており、それなりに繁盛していて人手が足りないからと。
彼女は玲の境遇を探ることもせず、ただ住まいと職を与えてくれた。
いつ感謝の言葉を述べても

「こっちこそ助かってるんだから」

と明るく笑って言う彼女が、玲はすぐに好きになった。
あの父親のせいで嫌でも家事が身についていたのが、今となってはよかったと思う。
森を歩いているときは、とにかく街に出たら帰る手段を探そうと思っていたが、手がかりが何もない以上は動きようがない。
というのは半ば言い訳で、もう少しこの優しい生活に甘えていたいという気持ちがどこかにあるのが事実だった。

「あー、美味そうだなあ」
「おかえりユーイン」

厨房に顔を出したアルマの一人息子、ユーインに、玲は振り向いて挨拶する。
アルマは夫とは死に別れ、ユーインと二人で暮らしていた。
身元不明の男といきなり同居することになるなんて、多感な年頃の男子には受け入れられないのではないか。
当初はそう考えて不安だったが、それは杞憂であったとすぐに分かった。
ユーインはアルマ譲りの天真爛漫さですぐに玲と打ち解け、友人のように接してくれている。

「なあ、これちょっとつまんでいい? ちょっとだけ」
「これはお客さんに出すものだよ。お前のは後で作るから」

玲の腕を引っ張ってつまみ食いをねだる姿に、少年らしさが垣間見える。
ユーインは175センチある玲と同程度の身長で、体格は玲よりもがっしりしているが、年齢はまだ15になったばかりということだ。
それを聞いたときは少し驚いたが、それ以上に玲の年齢を知った母子に驚かれ、複雑な気分になったのを覚えている。

「ユーイン! レイにじゃれてないで、水を汲んできて頂戴」
「分かったよ、いちいち怒鳴るなよな」

アルマにどやされ、ユーインはしぶしぶ玲から離れる。
そんな態度はやはり歳相応で、自然と頬が緩んだ。

「レイ、お客さん落ち着いたから、それが終わったらあなたもこっちでご飯を食べなさい」
「はい、アルマさん」

微笑んだまま返すと、アルマも気持ちのいい笑顔を返してくれた。
森に飛ばされたことは不運としかいいようがないが、アルマといいユーインといい、人との巡り合いについては非常に運がよかったのだと思う。
幸運といえば、思い返すと森の中であの獣と出会えたのが最初の幸運だったのだろう。
不思議な獣だった。まるでこちらの言っていることが分かるような、どこか人間臭いような。
とにかくあれのおかげで、玲はこの村に辿り着き、アルマ達と出会えたのだ。
あれも仲間も見つけて、幸せになっているといい。
――そしてできればもう一度、あの気持ちのいい毛並みを撫で、あれがじたばたする姿が見たい。こっちはきっと叶うことはないだろうけど。
皿を拭きながら、玲は一人願った。
最後の一枚を拭き終えて、玲は言われた通り自身の食事を持って食堂の席へ座った。
ちょうどそのとき、宿屋のドアが開いた。
何の気なしにそちらを見て、玲は思わず目を見開いた。
一目で村人でないと分かる客の男は、男でも見とれてしまうほどの美形だった。
美しい銀髪に白い肌。女性が振り向かずにはいられないような整った顔立ちだが、碧の目は鋭くどこか近寄りがたい高潔な印象を受ける。
その目が玲の目と合った瞬間微かに揺れたような気がしたのは、きっと気のせいだろう。
まるで嫌なものでも見たように、すぐに逸らされてしまったから。

「あらあら、いらっしゃいませ。お泊りでしょうか。それともお食事かしら?」
「泊まりだ。日数は未定だが何泊かしたい。空いているだろうか」

低く硬質な声もまた美しく、これは困るほど女性に好かれるだろうと玲は男を盗み見る。

「もちろん、うちには予約なんて滅多に入りませんから。ではお部屋にご案内しますね。何もないところですが、くつろいでください」

男は結局玲の方を見ることなく、アルマに案内され2階へ上がっていった。

「――はぁ〜、あんないい男は初めて見たよ」

少しして戻ってきたアルマは、開口一番感嘆したように男を誉めたたえる。

「そうですね……どこから来た人でしょう」
「さあねえ、あんな銀髪は見たことがないよ。美しいってのはああいうのを言うんだねえ。――ああ、あんたのその黒髪ももちろん美しいさ。美しさでいえば、そう負けてないと思うよ」
「はは、それは言いすぎですよ」

フォローするようにアルマは言うが、さすがにそれは盲目過ぎる親馬鹿のような物言いだ、と思う。
しかし、もしアルマが少しでも玲のことを我が子のように思っていてくれているなら――と考えて、目の淵が赤く染まった。
男はマザコンが多いというが、玲も自分で思っている以上に母親の愛情というものに飢えていたのかもしれない。

「――ああもうっ、可愛いねえ! 可愛さなら文句なくあんたに軍配だよ!」

荒れた手で髪をぐしゃぐしゃと撫でられる。

「そ、そんなこと言うのは、アルマさんくらいです」

アルマにつられて、玲も幸せに笑った。

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