逃げられない おまけ
最近、友人の様子がおかしい。
知り合った当初から星野尚人という男は時折酷く辛そうな様子を見せることがあった。
だが三田は、あえてそれを探るような真似はしなかった。
辛気臭いところを差し引いても、人の好き嫌いの激しい三田にとって尚人はそれなりに付き合いやすい友人だった。話は合うし沈黙も苦にならない。
本人から話してくるのなら別だが、恐らくは触れてほしくないのであろう部分にわざわざ触れる必要はどこにもない。
少し前までは確かにそう思っていた。しかし、この頃の様子のおかしさは、はっきり言って目に余るほどのものなのだ。
突然赤くなったかと思えば青くなったり、頭を抱えて唸ったり、何度名を呼んでも遠い目をしたまま気づかなかったり。
ただ辛そうだっただけの以前より、症状は悪化していると言っていい。
いつから、というのははっきり分かっている。初めて一緒に飲み会に出た日――正確には飲み会にて尚人が酩酊し、仕方なく連れ帰ろうとしたところをあの男が持って帰っていった日、だ。
あのとき一瞬目が合った志水蓮の表情を思い出し、三田は珍しく他人に対して苛つきを覚えた。
だからというわけではないが、ある日尚人を夕飯に誘い、話を聞いてみることにした。いい加減隣で延々とおかしな様子を見せられるのにも飽きてきたところだった。
「志水とは、高校の同級生で友達だった。だけど卒業寸前のとき、俺が友情をぶち壊すようなことを言っちゃって……」
最初は何やら言いづらそうにしていた尚人だったが、酒が入ってくるとぽつぽつと過去のことを口に出しはじめた。
要領を得ない部分もあったが、嘘は吐いていないとその表情で分かった。大学では『表情があまり変わらない、何を考えてるのか分からない、クールっぽくて近寄りがたい』等と評される尚人だが、三田からしてみれば全く見る目がないと一蹴するような意見だ。よく見ると彼の細かい表情の変化は面白いほどで、隠し事には全く向いていないタイプと言っていい。
だから、尚人の言葉に嘘がないことも、同時に他に言えずにいることがあることも、何となく分かった。
「――で、今は友達に戻れたの?」
その問いに、尚人は一瞬の間の後頬をかっと赤くして、視線をさ迷わせた。本当に隠し事の下手な男だ。
その顔を見たら、聞かずとも事の全貌は大体把握できてしまった。
◆◇
「こんにちは。この間はどうも」
構内の一角で出くわしたとき、志水蓮はそんなふうに笑顔で挨拶してきた。
近くにいた女子達が、それだけでざわつ足を止めて視線をよこしてくる。全く完璧な王子様ぶりだ。
「どうも。……君さ、星野に対して、どうしてあんなに回りくどいことしたの?」
ふとその完璧な表情を崩してやりたくなって、三田はいきなり確信に触れた。
しかし蓮はというと全く意に介した様子もなく、
「本人にも言ったけど、ムカついたから。俺のこと好きなくせに、逃げようとするなんてさ。少しくらいお仕置きして当然だろう?」
などと言い放った。
これには逆に三田のほうが困惑してしまう。周りの視線を未だに感じるというのに、この男は気にならないのだろうか。
「ちょっと場所を変えない? 公衆の面前で話すことでもないし」
「そう? 俺はどちらでもいいけどね」
蓮の言葉は無視して、三田は人気のない場所までさっさと歩いた。蓮は文句を言わず着いてくる。掴み難い男だと思った。
「――君、見た目によらず随分いい性格をしているようだけど、さっきみたいな話聞かれてもいいの? 王子様とかいうイメージが崩れちゃうんじゃない」
「別に。確かに皆のイメージとはずれてる発言だったかもしれないけれど、どちらも俺は俺だよ。どちらかを無理に演じているというわけではない」
確かに、あの完璧な優等生ぶりを365日演じるなど、酔狂にしてもそうそうできることではないだろう。あれは紛れもなく彼の素なのだ。
「君の様子が変わるのは、星野絡みだけってことか」
「ああそうか――そうかもね。その星野は優等生で優しい俺を好きになったんだから、たまったものじゃないかもしれないけど」
そう言って蓮は笑ったが、目が笑っていないように見えるのはきっと気のせいではないだろう。
「そうだ、さっきの話の続きだったね。だってあいつは要するに、俺から離れて、俺を忘れようとしたんだよ? 好きって言われてすごく嬉しかったのに、あいつの絶望的な表情で同時に考えてることも全部分かっちゃった。本当、酷い奴だよね」
普段より幾分低い声で言う蓮に、どこか狂気のようなものを感じてしまう。正に可愛さ余って、というやつなのだろうか。
「……彼の口ぶりからして、彼は一方的に自分が君を慕っていると思い込んでいたようだった。それも仕方ないのでは?」
「そんなの関係ないよ。本当に欲しいものなら、なりふり構わず欲しがるものだろ。大体あいつ、俺とセックスしたいと思ったこともなかったとか言うし。ショック療法が一番効果的だったんだよ」
なかった、ということは今はそうではないということか。あまり聞きたい話ではない。
「話は分かったよ。でも、俺にそんなにベラベラ喋ってよかったの?」
「三田はどう見ても口が軽いタイプじゃない、むしろ他人と関わるのを煩わしがる方に見えるからね。わざわざ俺に話しかけてきたことも少し意外だったけど、それってつまり星野に話を聞いたからだろ」
「そうだけど、彼はあくまで友人関係の話として打ち明けただけだ。そういう関係とは一言も言ってなかったよ」
「ああ、そうなんだ。なら改めて言っておくよ」
蓮はまた笑った。一分の隙もないような完璧さで。
「星野は俺のものだよ。あえて一度泳がせておいたけど、もう二度と手放す気はない。三田も余計な心配はしなくていいよ」
「……ああそう」
牽制されているのかとあきれ気味に思う。余裕なようでいて並々ならぬ執着が彼からは感じられた。
あれに気づかないとは、星野は繊細なようでいて意外と図太い男なのかもしれない。
そうでなくてはいつか蓮を受け入れきれず波乱が起きるのは必至だろう。
しかしもしそうなってしまったら、自分が友人を助けてやるのもいいかもしれない。最もあの蓮が尚人を手放すとは思えないが。
友人の未来に思いを馳せるというらしくもないことをしている自分に、三田はため息を吐いて次の講義へと向かった。
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