my knight 03
あり
「ロベルト……」
部屋に入ると、ロベルトはうずくまって座っていた。頬には痛々しい痣があり、いつもの飄々とした彼とは違って憔悴し、投げやりなように見える。
「……エイナルか、それに……」
ロベルトはエイナルを一瞥したあと、後ろに控えるサイラスを睨みつける。プライドの高い彼のことだ、顔を殴られ一撃で気絶させられたのは、酷く自尊心を傷つけられたのだろう。
「ロベルト、どうしてあんなことを? 僕は……友達だと思っていたのに」
「はっ、友達ね。いい子ちゃんのエイナルは、そう思ってるのが自分だけだったってことを認めたくないってか? わざわざ俺に会いに来るとは」
「……」
皮肉げな表情で捲くし立ててくるロベルトに、エイナルは二の句がつげなくなる。
――――友達だと思っていた。性格は正反対と言っていいほど違っていたし、エイナルは才気あふれる彼と比べて平凡な人間だったが、それでもお互いそれなりに気を許した友人であったと。だからこそ、昨夜の行動に酷く驚き傷ついたのだ。
「そ、……僕は、」
「昨日も言っただろ? お前とヤってみたかった。そういう風に見てた奴は、士官学校じゃ珍しくもなかったってな。むしろ感謝して欲しいね。俺が傍にいることで牽制になっていたし、お前に気があった筋肉だるまのような教官を追い出したのも、俺だ」
「ムジル教官を……?」
「そうさ、あいつのお前を見る目は明らかに異常だったからな。いつ犯されてもおかしくなかった。暢気なお前は全く気づいてなかったがね。ああ見えて拍子抜けするほど気が小さい男だったよ。ちょっと裏から手をまわして脅したら、蒼白になって田舎に帰っていった」
「そんな、嘘だ」
「嘘なものか。男だらけのむさ苦しい環境で、お前のような奴は格好の餌食になる。自分が信頼していた教官や、一番親しかった友人に、おかしな目で見られていたと知って、どんな気分だ?」
「ロベルト……、やはりおかしいよ。酔った勢いでおかしなことをして、引っ込みがつかなくなっただけなんじゃないのか? 自棄になるなんて君らしくない」
ロベルトの物言いを否定したくて、必死に言い募る。信じられないし、信じたくなかった。
「お前は本当におめでたいな。純朴な顔をして、もしナニを突っ込まれたらどれほど変貌するのか、おおいに想像をかきたてられたよ。昨日の反応を見るに、相当に素質がありそうじゃないか。男としての矜持はボロボロだろうが、認めてしまえば楽になれるし、楽しめるぞ」
「や、やめてくれ、そんな言い方」
「――――いい加減にしていただきたい」
友人と思っていた相手からのあんまりな物言いに動揺していると、無言で後ろに控えていたサイラスが口を出してきた。
「貴方の一方的な感情で、我が主を愚弄しないでいただきたい。男としての矜持とは聞いて呆れる。薬を使って縛りつけ、無理やり友人を襲ったあなたの方が遥かに、矜持を捨て去った卑劣な行為をしているでしょう」
「……サイラス」
絶望的な感情に支配された胸に、サイラスの言葉が染み渡る。
不意をつかれたロベルトは、一気に剣呑な表情になりサイラスを睨みつける。
「……なんだと?」
「あなたのやったことは、騎士として、エイナル様の友人として、それ以前に人として、あまりに卑劣な行為です」
「誰に口を利いている。田舎騎士ごときが偉そうに! ――そういうお前も、内心では俺と似たようなことを考えているんじゃないのか?」
「…………」
その言葉に、いたたまれない気持ちがエイナルを襲う。サイラスが自分のせいでそんな風に誤解されるのは、耐え難かった。
「サイラスは断じてそんな人間じゃない。彼は本当に、誠実で誉れ高い騎士だ。彼を愚弄するのはやめてくれ」
はっきりと言い切ると、ロベルトは鼻白んだように言う。
「なんだ、お前らやけに庇いあうな。……まさか昨日はあの後お楽しみだったとか? ふん、それはそれは。――――なあ、エイナルはよかっただろう? 俺の手垢がついた後で残念だったな」
「このっ……!」
気がついたら手が出ていた。些細な言い合いをしたことはあれ、本気で喧嘩をしたこともなかった相手を殴りつける。
響いた音は弱弱しく、一撃で昏倒させたサイラスのそれとは雲泥の差であったが。
「エイナル様」
サイラスが諌めるようにエイナルの手を握る。触れられると怒るどころではなくなり、つい短気を起こしてしまったことを反省する。
「……やっぱり図星だったって訳か。お前は」
「シュッセル様」
険のあるロベルトの声を遮るように、サイラスがはっきりと言う。
「今後二度と、あなたがエイナル様に近寄ることはかないません。いかにあなたが名門出であろうと、ハランドの所領で誇り高いハランドの一族を辱めようとするなど、到底許される問題ではない。あなたは方法を間違われた」
「なんだとっ……エイナル、本当にそいつを取るつもりか。しょせんは臣下だろう。俺たちはなんだ」
「エイナル様」
サイラスがエイナルを促す。これ以上の話は無駄だと言うように。
「…………ロベルト、君がどう思っていようと、僕は君を友人だと思って、信頼していた。君といて楽しかったし、友人として好きだった」
「だったら……!」
「だから今回は事を大きくしないよう図らうよ。他の誰相手であれ、次はないと思った方がいい」
「…………」
無言のロベルトを残し、サイラスと共にエイナルは部屋を立ち去った。悲しみと落胆と、それ以外の何かが混ざり合った、複雑な気分だった。
「…………サイラス、すまなかった」
思い出したように痛む体を悟られないように、押し黙って自室に戻った。サイラスも静かだ。空気は重く、弱弱しく謝罪する。
「何故あなたがが謝られるのです」
「何故って。僕のせいで君が侮辱されるはめになった。ロベルトは、皮肉は好きではあったけど、あんな露悪的なことを口に出す人ではなかった。一時的におかしくなっているだけなのか、本当に変わってしまったのか……」
「エイナル様」
不意に、肩に掴まれ、どきりとしてしまう。サイラスは微かに眉間に皺を寄せ、複雑な、恐ろしいとも言える表情をしていた。
「あの男のことを、まだあなたはそんなふうに、」
「え?」
珍しく言いよどむサイラスに、エイナルは首を傾げる。
「……いえ、先ほどは、無礼なことを言いました。本来私はあなたのご友人に意見できる立場ではない。あなたを軽んじたのは私とて同じです。罰を受け、任を解かれても仕方ありません」
「それは違うよ!」
もう聞きたくなくて、エイナルは吐くように言う。
「サイラスは、ロベルトとは違う。僕は本当に、はっきりした理由は言えないけど、酷く驚いたけど、……嫌じゃなかったんだ。ロベルトのときとは違っていた。ただ、君に軽蔑されるのが怖かった。情けない奴だと、汚い奴だと思われるのが――――」
そこまで言って、気がついたらエイナルは、サイラスの腕の中にいた。きつく抱きしめられ、またにわかに胸の鼓動が高なる。
「サ、イラス……?」
「あなたは、本当に――――。私はエイナル様が思っているような人間ではない。私が、あの男に辱められるあなたを見たときどんな気持ちだったか……」
「そんなの……ごめん、聞きたくない……」
「いいえ、聞いてください。私も、あの男と同じです。あなたに許されない思いを抱き、頭の中で……汚していた。だから激しい怒りを覚えました。私には不可侵の存在を、簡単に触れてしまうあの男に。自分を抑えることが出来なかった。騎士が聞いて呆れる。主に許されない欲望を抱く、浅ましい人間なのです」
「え……っと……」
抱きしめられていた腕が緩み、サイラスが離れる。まるで粛々と断罪を待つかのような表情だった。
エイナルはサイラスの告白に、それはもうこの上なく驚いていた。立っていられるのがやっとの衝撃だった。
彼がそんな風に考えていたなど想像したこともなかった。おかしいではないか。まさかエイナルに気を遣うあまりおかしなことを言い始めたのではないかと。
(違う、サイラスはそういう嘘はつかない人だ。僕は、僕は……)
言いたいことが上手く出てこなくて、エイナルはそっとサイラスの手を取り、その指に口付けた。この国では忠誠の他に親愛と尊敬を現す動作。サイラスは抵抗一つせずじっと佇んでいた。
「サイラス、どうか気に病まないで。僕は、君のことを変わらず尊敬していて、嫌だなんて思ってないし、むしろ……好きだ」
気恥ずかしくて目を逸らしながら言うと、すぐに顔ごとサイラスと向かい合わされる。
「……!んっぅ……」
荒々しく、サイラスの唇がエイナルのそれに重ねられる。奪うように激しく口内を舌で貪られる。未だその動きに慣れることが出来ず、翻弄されて息が上がる。
「はっ……んぅ、ん、ん……」
片手が腰にまわり、片手で顔を押さえられる。何も考えられなくなって、エイナルはサイラスの腕をぎゅっと掴んだ。
「んん、ん……」
(どうしよう、すごく気持ちいい……)
上顎をしつこく嘗め回され、怖気づく舌を引き出されねっとりと絡められる。唾液が卑猥な水音をたて、興奮を煽られる。
お互いの体が、最大限隙間がないくらい密着し、必然的に腰に硬いものがあたった。認識するとエイナルの体はかっと熱を帯びて、自分のそれが反応するのを嫌というほど感じる。羞恥から体を離そうとしても拘束は緩まず、逆にサイラスの太ももでぐいぐいと押されることになってしまう。
「んッんぅ…
ぁあっ……
」
ようやく唇が離れた頃には、どうしようもなく体が昂ぶっていた。
「はぁっ……ん、うぅ……
」
激しい羞恥が襲ってきて、うろたえていると、服の上から大事な部分を握られる。
「あぁっ
ん、だめだっ……はぁっ
」
「大丈夫です……今日は、最後までしませんから」
(そ、そういう問題じゃなくてっ……)
ぐずる子供を宥めるように言われ、どうしていいか分からなくなる。それでも嫌だと感じていない自分に戸惑った。その間にサイラスの手が器用に下を脱がせ、勃ちあがった性器を直接弄り出す。
「あっあ……ッ
ん、はぁ、はあ……」
腰が甘く疼く。酷くいたたまれなくなって、ふと、サイラスの反応している性器が目に入る。エイナルは普段なら考えられないような行動に出た。
「っ……エイナル様?」
「……、僕だけしてもらうなんて、恥ずかしいから……」
言い訳めいたことを呟いて、必死にサイラスの服を脱がせる。
手間取った末に出てきたものはすでに硬く勃ちあがっていた。自分のものより大きく色の濃い肉の棒を見てたじろぎながらも、自棄になって、サイラスの真似をして触り出す。
「……んっ……」
押し殺したようなサイラスの声。多少なりとも感じているのであろうか。嬉しくなって、息を上げながら手を動かす。
「……んっ……
あぁ
ん、んぅっ……ぁんっ
」
驚いて動きを止めていたサイラスも、またエイナルのものを扱き始める。先程までより念入りに、敏感な先端をぐりぐりと擦られる。
自分の声が恥ずかしくて、口を手で押さえようとするが、すぐにその手を剥がされてしまう。抗議する様に手を必死で動かして、サイラスの顔を見て――――壮絶な色気を放つその目と目が合った刹那、更に強く握られ、激しく扱かれる。
「あぁっ!
だめ、あっん
んっ
」
「っ、すごいですね……こんなに濡らして……」
指と言葉で煽られて、昨日あれだけ吐き出したにも関わらず、すぐに限界が来る。自分だけでは嫌だと必死にサイラスの真似をして片手で勃起を擦り、片手で大きな先端を弄る。
「あぁっ
サイラス、もうっ……
」
「……は、ぁ……。エイナル様、いつでも、出していいのですよ」
「っ!ああっん
ああ――……!
」
びゅるっ、びくびくびくっ、びゅるっびゅるるー…
熱の籠もったサイラスの吐息に煽られ、エイナルは精を吐き出した。サイラスにも達してほしくて、惚けてしまいそうな頭を叱責して、必死に手を動かす。
「くっ……エイナル様……!」
「んっ、あっ
あぁ……
だ、出して……
ふー……
」
ドプッ、ドプッ、ビュルルルっ
少しして、サイラスも精を吐き出した。安心すると、一気に体の力が抜けてぐったりとする。エイナルは眠気を受け入れて目を閉じた。
「エイナル様…………――」
サイラスの囁き声が耳をくすぐった。言葉の意味までは聞き取れなかったけど、なんだかとても心地よかった。
「ふう……」
纏められた書類に目を通し終えて、エイナルは溜め息をついた。
――あれから。表面上は今までと特に変わらない日々が続いていた。
ロベルトはすぐに王都へと帰された。気にならないわけはなかったが、察したサイラスに仏頂面で「今は会うべきではない」
と窘められた。
今でもあの飄々とした男のことを思うと胸が痛む。信じがたいことをされたけれど、気の置けない大事な友人としての彼が頭から消えうせることはなかった。当然許せない気持ちと同時に、あんな形で友人を失ったことに対する喪失感が凝りになっている。
いつか時が解決して、友人として修復できる日が訪れるかもしれない。くよくよと引きずっていても仕方がない。数日の間にエイナルは自分の心に決着をつけた。
サイラスにも前向きな気持ちでそう話したのだが、やはり眉間に皺を寄せた仏頂面をされてしまった。
侮辱してきたロベルトにサイラスがいい感情を持っているはずがない。言うべきことではなかったと、浅慮を後悔するはめになった。
そして、二人の関係はというと。
「エイナル様、こちらの書類にサインを」
「――っあ、うん……って、うわあっ……!」
一瞬物思いにふけたとき声をかけられ、慌てて書類を受け取ろうとして。足元の本に躓き、エイナルは情けない声を出してバランスを崩す。
その体を、間一髪のところでサイラスの逞しい腕が支える。
「ご、ごめんっ……」
抱きしめられる形になって、エイナルの胸は高鳴りかっと赤面してしまう。
サイラスは流れるように体勢を整えさせると、さっとエイナルから離れて呆れた声を出す。
「エイナル様、足元に本を積むのはお止めください。それにまた上の空になられて」
「悪かった! すぐ整理するよ」
誤魔化すために体を反転させ本を拾いつつ、エイナルは高鳴ったままの胸を持て余していた。
あの嵐のような一件以来、表面上の二人は忠実な騎士と未熟な主という元の関係に戻っていた。
本当に表面上だけのことで、エイナルは内心戸惑ってばかりの日々を過ごしていた。あからさまに態度に出てしまうほどに。
(サイラスは、あの二日間のことなどなかったことのように完璧な騎士として接してくる。でも、僕は)
サイラスの行いは、薬を使われ性的な衝動に収まりがつかなかったエイナルに、従者として仕方なく対応したに過ぎないのかもしれない。そう考えると、酷く虚しい気持ちになるのだ。
彼は未だに忠実に仕えてくれている。十分すぎるほど恵まれているのに、悶々とせずにいられない自分はなんと我儘なのだろう。
「……エイナル様?」
「ああ、目を通してサインしておいたよ」
「また――……」
「え、なに?」
また怒らせてしまっただろうか。最近のエイナルはサイラスのことばかり考えて気が散っているから。
公務そのものは以前と比べたら身についてきたのだが、集中して向き合えていない瞬間があることを、サイラスならすぐに見通してしまうのだろう。
「ごめん、すぐぼうっとしてしまって……なんとか、今日の仕事はこれで終わったから――」
サイラスは何も言わなかった。彼が何を考えているのかわからなくて、エイナルはこっそり溜め息を吐いた。
いい加減認めざるをえなかった。自分がサイラスに抱いている、どうにもできない特別な感情を。
「エイナル」
「はい兄上、何か……?」
晩餐の後自室に戻ろうとしたエイナルを、アルセニーが呼び止めた。
「少し話そう。――体調はもういいのかい」
「はい。……ロベルトのこと、便宜を図っていただいてありがとうございました」
「大事な弟のためだ。当たり前だろう」
アルセニーは穏やかに笑いながら言う。
名門騎士家の嫡男と、地方公爵家の庶子との暴力沙汰。ともすれば面倒な問題になりそうなことを、アルセニーは酒の席での戯れとして大事になるのを避けるよう取り計らった。エイナルにとっては非常にありがたいことだった。ロベルトやシュッセル家にとってはもっと切実にありがたいことだろう。兄に感謝してほしい。
「それで、お話とは」
「ああ。サイラスのことだ」
「サイラスが何か……?」
アルセニーの口からその名が出ただけで、酷くどきりとしてしまう。アルセニーの表情が、穏やかなものから真剣に変わる。
「彼と少し話をしたんだが……、お前の騎士を辞することを考えているようだった。お前の心次第だが、彼から切り出すには相当な理由があると思ってね」
「え……?」
瞬間、目の前が真っ暗になるような心地がした。
「彼には意欲があったし、お前たちは良好な主従関係を築けると考えていた。だが今は以前にも増して余所余所しく見える。しっかり話をしておいたほうがいいと思ってね。もしお前が彼を手放したいと言うなら、ローゼについてもらうことになるかもしれない」
「……」
アルセニーの言うことを必死に理解しようとして、どうしても苦しくなった。
――――サイラスが、エイナルの騎士であることを辞める……? 本当に、サイラスに見限られてしまうのだろうか。
(――――嫌だ。離れたくない! 誰にも、可愛いローゼにも、サイラスを渡したくない……)
エイナルは今度こそはっきりと自覚した。身勝手で貪欲で、狂おしいほどのこの感情の意味を。
「――兄上、サイラスと、話をして参ります」
「……わかった。自分の感情を押し殺しすぎるな。信頼している者くらいには、ぶつけてしまうことも必要だ。――――もちろん、私にもそうしてほしいと思っている」
「はい、ありがとうございます……!」
多くを語らずとも理解してくれるアルセニーに感謝し、エイナルは部屋を出た。
「サイラス……?」
サイラスの部屋の前まで来ると、はやる気持ちを抑えきれずノックする。しかし息せき切って待てども返事はなかった。
(……いないのか。どこにいるんだ?)
踵を返して再び館を駆ける。所在に見当がつかなくて、しらみつぶしに探すしかなかった。サイラスが普段何をしているのか、騎士として以外の彼のことは何も知らなかったから。
「君、サイラスを見なかった?」
「エイナル様!……いえ、そういえば夕刻見かけたきりで……申し訳ありません」
「そうか。ありがとう」
騎士や使用人に手当たり次第聞きながら探し回って、とうとう館の中に見つけることはできなかった。
館から出て馬屋や庭の方にまで出向くが、やはりサイラスの姿は無い。
「はあ、はあ……どこにいるんだ、サイラス」
エイナルは途方にくれ、いつしか館からだいぶ離れたところに来てしまっていた。
美しい星の下をあても無く歩きながら、エイナルはサイラスのことを想っていた。
いつから彼を特別な存在として見ていたのだろう。ずっと憧れの対象であり、反面強くコンプレックスを刺激される男でもあった。
気がついたらそれ以上の意識をするようになっていた。あの一件はきっかけにすぎなかった。
今まで気づかなかったのが不思議なほどに、どうしようもなく彼に惹かれていたのだ。
「理由なんて、やっぱりよくわからないけど……」
ふっと呟いて胸を押さえた。
気がついたらあの場所――――幼い頃から好きだった丘にエイナルは立っていた。
そこで驚きに目を見開く。
「……サイラス?」
サイラスはそこに立って、静かに星を見上げていた。凛とした、凪いだ海のような静かな表情をして。
熱いものが喉から胸にこみ上げてきた。
「サイラス!」
「――エイナル様?またこのような場所にお一人で」
「サイラス、僕は君に言いたいことがあって来た」
何故彼がこんな場所にいるのか。そんなことはどうでもよかった。これまで考えもしなかったのが嘘のように、今は言わずにはいられなかった。
「サイラス……今から伝えることは、主君失格だと思う。だけど君が僕から離れるつもりなら、その前にどうしても言いたかった。僕は、君が――」
黙って聞いているサイラスの目を見つめ、エイナルは想いを告げた。
「君が好きだ」
言ってしまって、エイナルは息を整えながら俯いた。とてもサイラスの顔を見続けていられなかった。
批難されることも覚悟していた。明確に、主従の関係を越えた想いを抱いてしまったのだから。
それでも想いを打ち明けられたことに後悔はなかった。
「……賭けを」
「え……?」
サイラスが目の前にいた。彼は静かに、だが何かを押し殺したようにその口を開く。
「賭けをしようと思いました。臣下にあるまじき賭けを――。あなたがもう一度ローゼ様につけと命じられるか、何も言わずに私を手放すのであれば、あなたを解放してさしあげようと。――――でももう手遅れだ。あなたはわかっているのでしょうか」
「何――?」
真意を確かめる前に、エイナルはサイラスに強く抱きしめられていた。
「っ、サイラス……!」
サイラスの言ったことは、全ては理解できなかった。ただもう一度熱い彼の腕の中にいることが 不思議で、そしてとてつもない幸せを感じた。
エイナルはサイラスの体を抱きしめ返した。サイラスの抱く腕もより力が強くなる。
「サイラス、兄上から聞いた。僕から離れようとしていると――」
「あなたはシュッセル様を想っているように見えました。そんなあなたを見ているのは耐えがたかった。――――いつか自分の激情に任せてあなたを壊してしまうことが恐ろしかったのです。以前にも言ったでしょう。私は騎士にあるまじき人間だと」
サイラスの告白は予想だにしていないものだったが、喜びが心を満たす。
「サイラス、君がいなくなるかもしれないと聞いて、いてもたってもいられなくなったんだ。ロベルトに対する友情とも、優秀な騎士に対する尊敬とも違う。僕のほうこそ主君失格だよ。――――それでも、僕の傍にいて欲しい。ずっと、僕の騎士として」
「――――エイナル様……」
サイラスはふっと体を離し、エイナルの足元に跪いた。
そしてその手をとり、恭しく唇をつけた。
「この命尽きるまで、私はあなたの騎士です。ずっと昔から。――――愛しています、エイナル様」
「サイラス……!」
いてもたってもいられず、エイナルはしゃがんでサイラスに口付けた。羞恥を捨て切れなくて唇の端に羽のような口付けを落とし離れようとするが、すぐにサイラスの熱い唇が深く合わさってきた。
「んっ……んん……」
腰を強く抱かれ、唇を吸われ、口内を激しく貪られて。
何も考えられないほどに、気持ちが良かった。
「ん、ふっ……んぅ……はぁ……」
「ん……エイナル様……」
唇を離した頃にはすっかり目が潤み、快感で体に火がつきかけていた。目が合ったサイラスも、常より明らかに熱の篭った瞳をしていて。
強く幸せを感じながらも、やはり羞恥を捨てきることができずに目を逸らしてしまった。
「……あなたは何故そんな風なのでしょうね。場もわきまえず理性が抑えられなくなりそうです」
「そんな……」
壮絶に色気のある声で囁かれて、それはこちらのほうだと返してやりたくなる。
「――ですがさすがにこんなところであなたに不埒な行いをしたら、アルセニー様に首を切られてしまいそうです。さあ、館に戻りましょう」
「兄上……兄上には本当に感謝しなくては。僕が君と話をするよう背中を押してくれた。首を切るだなんて、そんなことする訳ないよ」
不埒な行い、という言葉にどきりとしてしまった自分を誤魔化すように、早口で捲くし立てた。
本当にアルセニーには感謝してもしつくせない。
だが、と考えて、エイナルはにわかに不安な気持ちになる。
「――僕らのことが知られたら、周りからは批難されるだろう。僕は子供を残すことを期待されていない立場だけど、家名に傷がつくことは兄上も黙っていないかもしれない。――――それでも、サイラスは平気……?」
「他所の人間はともかく、公爵家の方々は差別するようなことはしないでしょう。それでももし貴方を謂れのない中傷を受けたときは、必ず私が守ります。心配しているのは、もう少し別のことなのですよ」
「別のこと……?」
サイラスの言葉に内心の喜びを隠し切れない声で聞く。
「ええ。あなたはアルセニー様にとても愛されていますから。それに、他の兄上方にも。不埒な自分の身を案じてしまいました」
エイナルは少し面食らう。サイラスでも冗談を言うのだろうか、と。
「もし万が一君に危険が及ぶなら、僕が君を守るよ。……頼りないだろうけど」
するとサイラスも微かに驚いたような表情をして、次の瞬間小さく微笑んでいた。
「本当に……あなたには困ったものです。それにもう、誰に言われようがあなたを離す気はありません。それがアルセニー様であろうと、国王であろうと、あなた自身であろうと」
「す、すごい……殺し文句だね。でも僕だって同じだ。君を守るよ」
信じられないほどの幸福で浮つく自分を自覚しながら、エイナルは言った。あふれ出すような、紛れもない本心を。
サイラスはまた少し笑うと、エイナルの手をとった。
「――――さあ、参りましょう」
「うん……」
二人は静かに館へ向かって歩き出した。
「そういえば、どうしてサイラスはあそこにいたの……?」
今まではそれどころではなかったが、ふと疑問に思って問いかける。
「それは――――あの場所は私にとっても、大事な場所だからです。ずっと、昔から――」
「え……?」
サイラスはそれ以上何も言わず、星を見やった。
「そっか。何かあるんだろうね。いつか教えてほしいな――」
「……ええ」
エイナルの声にサイラスはただ、エイナルの手を強く握ってきた。
この先何があってもこの手を離さない。心中でそう誓いながら、エイナルは強い幸福を噛み締めていた。
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