墜ちる騎士 02 03



クールー王国領の西端に位置するロッカ砦。オルビア帝国の侵略を受けた砦は、兵士たちの奮闘虚しく四日で陥落した。

「おらっ、とっとと歩け!」
「くっ……触れるな、自分で歩ける」

とある騎士がきつく拘束され、野卑な兵卒に突かれながら歩かされていた。白銀の立派な鎧はとうに剥ぎ取られ、死なない程度に痛みつけられた姿は、とても騎士に対する扱いとは言えない。しかし騎士――リヒト・ダリアンは、どれだけボロボロにされようと、目にだけは誇りを宿していた。

「……よく来たな、リヒト」
「……」

少し前までリヒト達が作戦会議をしていた部屋には今は帝国の弾幕が張られている。その中央に壮年の男がどっしりと腰を下ろしていた。戦争直後で荒ぶっている兵卒達も、その男を前にすると萎縮したように大人しくなり、直立不動で敬礼する。
オルビア帝国の将軍、ギルバートだ。武勇と手段を選ばない戦術によっていくつもの戦果を上げ、当代一の名将と名高い男。帝国内では英雄として崇められているという。敵国にとっては英雄どころか災厄でしかない。
そしてそのギルバートの横には、一人の男が護衛するように立っている。他でもない、リヒトを捕らえた張本人だった。
遺恨のある二人をリヒトは睨みつける。

「貴様、将軍閣下に跪かんか!」
「よい。――随分と無駄な抵抗をしてくれたものだな。おかげでこちらの予定も少々狂ってしまったよ」
「それはよかった。抵抗したかいがあったというものだ」
「貴様っ……」
「ああ、お前たちはもう下がっていい」

いきり立つ部下たちに対して、ギルバートはあくまで冷静であり、後ろの男を残して兵たちが下がっていく。リヒト達の決死の抵抗すら彼にとっては計算内だったということだろう。
実際この砦が持ちこたえられる可能性は初めから無に等しかった。物資も人も限らており、多勢に囲まれては補給は不可能、そもそも守りに適した地形ではなかったのだ。十分な援軍でもあれば話は別だが、クールー王国軍の総指揮官である第二王子は、最初からロッカ砦を捨て駒にしたのだ。砦を任されたリヒトの役割は砦を守ることではなく、少しでも長くオルビアの足止めをすることだった。最後には落とされること前提の作戦だ。

「リヒトよ、私のために命を賭けて戦ってくれるか」
「もちろんです、わが主よ」

極秘裏に命じられたとき、リヒトは迷わず是と答えた。
第二王子は明晰さに並ぶものなく、権謀術数に長け、リヒトにはとても計り知れない先を読む力を持つ。現王は心優しいが気弱な性格で、その息子である第二王子は陰りを見せる王国を立て直せる存在として期待されていた。
彼は合理的で、理不尽な命令はしない。リヒトは第二王子に従うことこそ王国の騎士として正しい道だと信じていた。だから落ちると分かっている砦を守って戦い抜いたのだ。

「貴様の戦いぶりは見事だった。だが砦は落ち、助けが来ることはない。分かっているとは思うが」
「ああ……殺すならさっさと殺せ」

リヒトは低く唸るように言った。
第二王子はけっして好んで自国民を切り捨てるほど残虐ではなく、冷酷だともリヒトは思わない。だけど甘い人でもない。捨て駒である砦とわずかな兵たちを助けることはない。情で動けばまた少なくない犠牲が出ることになる。戦局が必ずしも芳しくない今、労力に見合わない戦いはしないと分かっていた。
本当は刀折れ矢尽きるまで戦った後、自決するつもりだった。だけどその道を選ぶ前に、リヒトは剣で負かされた。そう、今ギルバートの横に立っているあの将兵に……。
戦い続けて満身創痍だったとはいえ、一対一で遅れをとったのは一生の不覚だ。しかも歴戦の勇士に負かされるならともかく、相手はまだ若い騎士だ。おかげで雑兵に鎧を剥ぎ取られ縄で縛られるという恥辱を受けることになった。
ギルバートもその騎士も、いくら睨んでも動じず怒りもしない。できることなら彼らが不覚をとり憤る顔の一つでも見てから死にたかった。この状況では無理な話だ。

「死にたいか」
「……生きて辱めを受ける気はない。だが兵達は俺の命令に従っただけだ。俺の首で彼らの命は保証してほしい」
「なるほど、さすが王国の騎士殿だ」

ギルバートがおもむろに立ち上がり、近づいてきた。体格だけならこれくらい逞しい男はリヒトの部下にもいたが、ギルバートには異様なほど威圧感がある。
リヒトには最早何もない。せめて誇りだけは失うまいと、目を逸らすことなく訴え続ける。

「確かにお前の兵たちはよく鍛えられていて使えそうだ。だがお前の命に、こちらと交渉できるほどの価値があると思うか?」
「……ならばどうしろと言うのだ」
「そうだな……お前を私のものにして、それを兵たちやお前の国にまで知らしめる。忠臣と名高いダリアン家の騎士が落ちたとなれば効果は大いに期待できるだろう」
「まさか寝返れというのか! 馬鹿な。私の王国への忠誠心は、拷問されようと揺らぐことはない」

リヒトは声を荒げた。殺される覚悟はとっくにできていた。裏切りは死よりよほど重いことだ。

「ふん、第二王子への忠誠は本物のようだな。お前を捨て駒にした男だというのに」
「あのお方への侮辱は許さない。意味のある戦いだったのだ。せいぜい今だけの勝利に浮かれているがいい」
「意味があるかどうかはこの先の戦局しだいだがな。確かにお前を寝返らせるのは難しいようだ」
「わかったなら……」
「将軍」

そこで、今まで沈黙していた若い将兵が口を開いた。

「なんだ、アレクシスよ」
「その者の処遇、私に一任していただけませんか」
「ほう、戦利品の女にも手をつけない者が珍しいことを言い出す。どう処理するつもりだ?」
「その男は兵にも領民にも慕われているようです。殺してしまっては彼らは必ず反発し、その後の統治に手まどることになるでしょう」
「それは私も考えていた。だがどうする? 油断すればすぐに牙を向くぞ。手足を切り落として生ける人形にでもするか」

ギルバートの言葉はことさらこちらを脅すような意図は感じず、だからこそ必要とあらば躊躇いなくやらせるだろうと思わせた。
ぞくりと悪寒が走る。もちろん何があっても騎士としての誇りを忘れるつもりはないし、ある程度の痛みに耐える訓練は受けている。
だが実際、リヒトは戦いで傷を負うことは幾度となくあっても、痛めつけることが目的の暴力を受けたことはなかった。どこまで自我を保っていられるか、恐ろしく思う気持ちは消しきれない。
ギルバートに対して、将兵――アレクシスは静かに返答した。

「……国のため、よきようにいたします」
「ふむ……それを捕らえたのは貴様だったな。よかろう、好きにするがいい」

こうしてリヒトの身柄は若い将兵に預けられた。自分の命運を握る男をじっと観察する。
帝国人特有の漆黒の髪に日に焼けた肌。背が高く筋肉質で、体格も顔立ちも立派なものだ。落ち着いているが顔には皺ひとつなく、もしかしたらリヒトより更に若いかもしれない。若くして将軍の補佐についていることといい、洗練された動作といい、育ちのよさが窺える。おそらくリヒトと同じく貴族出身だ。

「さあ、早く来るんだ」

死を覚悟で抵抗してみようかと考えるリヒトをアレクシスは急かす。ただ、一兵卒のように乱暴に小突いたりはしない。
見る限り残虐性や異常性は感じられない。敵でさえなければ好感を抱いていたかもしれないくらいだ。
少なくともあの老獪なギルバートよりはましだろう。今はどうにもできないが、何とかつけ入る隙を見つけられないだろうか。できることならもう一度主家の役に立ちたい。
完全に諦めていた希望が微かに頭を過る。リヒトはとりあえずおとなしくアレクシスに連れられ、彼の部屋に入った。

「俺をどうする気だ」
「どうやら名誉ある死を望んでいるようですが、それは諦めたほうが懸命だ。先程も言ったようにあなたが死ねば必ず兵や領民は反発し、殺さなければいけなくなる。我らは無駄な殺戮は望みません」
「く……っ、ならばどうする。俺は絶対に祖国を裏切らないし、話すことは何もない。そもそも国家の重大な話を知れるほどの身分ではなかったからな」
「でしょうね。でなければ簡単に切り捨てられはしないでしょう。可哀想な人だ」
「可哀想などと、馬鹿にするな! 俺は騎士として国と主君のために戦ったまでだ」

憐れまれるのは屈辱だった。第二王子の言葉を思い出す。

「若いお前を危険な戦場に送り出すのは私とて苦しい。だがお前ほど私に忠実で、かつ役目を全うできると断言できるほど優秀な人間は他にいないのだ。……行ってくれるか」

……たとえ捨て駒だったとしても、他の多くの将に同じ言葉をかけていたとしても、リヒトにとって主君からの言葉は誇らしかった。従う以外の道はなかった。

「素晴らしい忠誠心だ。あなたが帝国に生まれていれば、信頼できる同僚になりえたことでしょう」
「ありえない話をするな。……それで、いい加減お前の企みを話せ。ギルバートが言ったように、俺の自由を奪って辱める気か」
「……ああ、当たらずとも遠からずというところでしょうか」

アレクシスが初めて微笑みを見せ、近づいてくる。一見優しい表情なのに悪寒が走った。四肢を引き裂かれる痛みに対する恐怖に見舞われる。

「安心してください、体を切り刻んだりはしませんよ。クールー人は帝国人より繊細そうだ、そんなことをしたらあっさり死にかねない」
「なら、一体……」
「あなたはこれからメスになるんですよ。忠実な俺のメスにね」

何を告げられたのか、理解することはできなかった。

◇◇

「く……っ、こんな……」

アレクシスが手を叩くと、待機していたらしい帝国人の下男がすぐに現れた。戦いで汚れた体はその男によって清められた。
そして用意された衣服を見て、頭にかっと血が上った。それは女物の、いわゆるネグリジェという透けた寝間着であり、下着までも可憐で華奢な女物だったのだ。
当然断固拒否した。だが下男に涙ながらに「従わないなら私が手打ちされてしまう」と訴えられてしまった。
リヒトは下々の者にも優しくあれ、と教えられ育ってきた。自分のせいでこの男が殺されると言われて動揺が走った。
逆らえば下男が一人殺され、かといって現実から逃れられることはなく、また別の誰かが従うまで着させようとしてくるだけだろう。
屈辱に頬を真っ赤に染めながら、リヒトはネグリジェと下着を身に着けたのだった。


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