失恋と10万円3話 02



数日ぶりに海斗から連絡が来た。
ここ最近の、自分の想像など遥かに凌駕するような出来事の連続に、正直篤己は疲れていた。
自分の部屋で隼人が男とセックスしているところを見てやけになり、10万円で海斗を買ったのが全ての始まりだった。とはいえ誤解があったらしく、10万円はものすごい剣幕で突き返されたのだが、それは置いておく。
海斗との関係は一度で終わらず、二度目はなんととんでもないことに、隼人に最中の声を電話で聞かれるという、ひどい変態プレイのような事態になってしまった。
当然あれから隼人には会っていない。会えるはずがない。怖すぎてスマホの電源も切っていた。
どうせまめにやりとりするような友人もいないしさして困ることはない。と思っていたらバイトに行ったとき、連絡がつかなかったと文句を言われたので恐る恐る電源を入れたところ――タイミングよく海斗から着信があり、夜に会うことになったというわけだ。

またホテルに行くのだろうか。勝手にいやらしいことが頭に浮かんでしまいそうになる。
それまで性的な経験はおろかキスすらしたことがなかったというのに、海斗に色々されると理性が保てないほど感じてしまう。最初は恥ずかしい姿を晒したくないから必死に我慢するのに、中を突かれるともうわけが分からなくなって、我慢など無駄な努力に終わってしまう。
海斗にもいやらしい、淫乱だと言葉で責められた。そのうち引かれて嫌がられてしまったらどうしようと不安だ。

緊張でそわそわしながら早めに待ち合わせ場所に行くと、まだ十分前だったが海斗はすでに立っていた。
遠目から見てもスタイルがよく、イケメンのオーラを放っている。近くを通る女性がチラチラと視線を送っているのを全く気にする様子もなく、海斗は退屈そうにスマホの画面を見ていた。
篤己はついぼうっとその姿を眺めた。あの人混みの中でひときわ輝いている存在と、成り行きとはいえ二度もセックスして、今だってあの男と待ち合わせをしているのが自分だということにまるで実感が湧かない。
海斗は整った顔をしていて普段はクールな印象なのに、いざコトに及んだら怖いくらい激しくて、この前も失神するまで――。
淫らな想像をしそうになって、篤己は慌てて振り払った。店のガラス面に映った自分を見る。
海斗と並んでもできるだけみすぼらしくならないように服装は気を遣ったつもりだが、おかしくないだろうか。中身はどうやったって篤己なのだから限界はある。ダサいと思われたらどうしよう。

「……おい」
「うーん……」
「篤己」
「うん……って、海斗!」

 仏頂面をした海斗がいつの間にか目の前にいて、篤己は焦った。まだ心の準備ができていなかったのに。
 
「到着してから何分俺を待たせるんだよ」
「ご、ごめんっ、気づいてた?」
「気づかれないと思ったか。すぐに分かんだよ」
「えっ……俺、悪目立ちしてる……?」

 もしかしてこのシャツが少し浮かれたデザインだっただろうか。やはり無難な無地の白か黒にすればよかっただろうか。後悔していると海斗は呆れたようにため息をついた。
 
「行くぞ」
「う、うん……どこに?」
「飯食ってないよな?」

 頷くと、海斗はそれきり特に何も言わず歩き出した。ぶっきらぼうな態度だが、さっさと先に行ったりはせず篤己の隣から離れなかった。
 少し歩いて着いたのはイタリアンの店だった。チェーン店ではないようで、雰囲気のある内装で客層も落ち着いている。
 篤己には馴染みのないお洒落な店だった。女とデートしている隼人をこういう店に迎えに行ったことは何度かあったが……。
 
「嫌いなものある?」
「いや、特には……ピーマンがちょっと苦手なくらいで」
「ピーマン?」
「う……」

鼻で笑われた。別に食べられないほどではないし、言わなければよかった。

「じゃあ適当に頼むよ」

海斗は慣れた様子で注文していく。緊張してキョロキョロしてしまう篤己とは対照的だ。
周りはカップルやオシャレな女性が多く、まるで健全なデートをしているみたいだ。ホテルに直行するのではないかと妄想し、念のためシャワーまで浴びてきた自分が何だか恥ずかしい。
海斗はこんな店で篤己と食事して楽しいのだろうか。嫌なら誘わないとは思うが、自信は持てない。
程なくして出てきた前菜を食べながら、篤己はおずおずと口を開いた。

「お、美味しい。ここ、結構よく来るの?」
「たまに」
「そうなんだ。……デートでとか?」
「――気になる?」

海斗の、少し鋭い目と目が合って言葉に詰まる。

気にならない、といえば嘘になる。そもそも二回も関係を持っておきながら、篤己は海斗についてほとんど何も知らないのだ。
どこに住んでいるのか、学生なのか社会人なのか、年齢すらも。最初の印象で勝手にホストだと思っていたが、それだってはっきり確認したわけではない。
まずは少しでも海斗のことを知ろうと決めて今日会いに来たのだ。だけどいざ本人を目の前にすると躊躇ってしまう。
海斗が自分のことを話したがったことはない。無闇に踏み込んでいいのか計りかねていた。

「気になるっていうか……俺は、こういう店来たことないし」
「へえ? あんたもデートくらいしたことあるだろ」
「デート……」

デートらしいデートなんてしたことがない。デートの送迎のほうがよほど経験豊富だ。
そう告げると、海斗は意外そうな顔をした。

「何それ。付き合ってたんじゃないの」
「付き合ってた……のか、もう分かんないな。とにかく恋人っぽいことは本当に全然してなくて……ただの男友達とか、むしろパシリって言っていいレベルっていうか」
「……」
「たまに、学食で一緒に飯食べるくらいはあったけどさ。でもあいつ、俺がフライ定食頼んだらカニクリームコロッケ勝手にとるし、日替わりランチの鯖塩焼きも勝手に食うし、そのくせ俺には嫌いな野菜とか押し付けるだけで。ほんとジャイアンみたいっていう……か……」

話しているうちに海斗の眉間に皺が寄っていくことに気づいて、篤己は焦った。何か気に障る話をしてしまっただろうか。相馬にはウジウジした自虐がうざいと時々言われる。やめようと思ってはいてもつい愚痴が出てきてしまうのだ。

「ええと……だから、こういう店初めて来て、ちょっと緊張してるけど、めちゃくちゃ美味しいし、嬉しいなっと」
「……ふーん。こういうところ苦手だったんなら悪いと思ってるけど」
「まさか! 本当はさ、会ったらすぐホテル行くのかな、とか思ってたんだけど。でも結果的にちゃんと風呂入ってきててよかったよ。汗臭い体でこの店に入るのは申し訳ないし」
「は?」

ぽろりと本音が出てしまい、海斗が面食らったような声を出す。
かあっと頬が熱くなり、篤己は慌てた。

「い、いや、きっ期待してたってわけじゃなくて! まじで! ちょっと想像しかけたけど、すぐやめたし!」
「……」
「ごっ、ごめん……」
「……だからやたら……な匂いがしたのか」

真っ赤な顔で言っても説得力皆無だろう。海斗は小声で何か呟いたきり黙ってしまい、そうなると篤己も黙々と料理を食べるしかなくなる。
折角の美味しいピザやステーキも味がしない――ということはなく、はっとするほど美味しかった。 つい笑顔で口に運んでいると時々海斗から視線を感じて、慌てて表情を引き締める。気まずさというスパイスはいかんともしがたかった。

「行くぞ」

しっかりデザートのティラミスまで食べきると、海斗はさっさと席を立ってあっという間に会計を済ませた。
慌てて払おうとしたけど、「いらない」と一蹴された。
怒らせたか、呆れられてしまったかと落ち込んでいると、腕を引かれ足早にどこかへ連れて行かれ。

「…………あれ?」

あれよあれよという間に、とても綺麗な、ラブホテルの中にいた。
デジャヴだ。
海斗は篤己の手を離さないまま部屋に入って鍵を閉めると、性急にベッドに引っ張って押し倒した。

「ああああの! 何故いきなりこんなことにっ……」
「お前が誘ったんだろ」

低い声で一言凄まれ、海斗の綺麗な顔が目前に迫る。
心臓が壊れそうなくらい早鐘を打ち、頭がくらくらする。

「ちょ、ちょっと待って! 俺、歯磨いてないし、汗かいたからシャワーも浴びたい!」
「風呂入ってきたんだろ……? 俺とするのが嫌なの?」
「入ってきたけど、緊張してまた汗が出てきてっ……折角するならちゃんと綺麗にしたいっていうか……」

顔を赤くしながら言うと、海斗がため息を吐いて上からどいてくれたので、篤己は慌てて洗面所の方へ走った。
イタリアンを食べたあとの歯を念入りに磨くと、そそくさと服を脱いで浴室に入る。
まだ鼓動が速い。というかこれからのことを想像すると、とても冷静になれそうにない。
自分からシャワーを浴びるなんてやる気満々だと思われただろうか。いや、最初のときからして自分から誘ったんだから今更だけど、あの時とは関係も変わってる。
一緒に夕食を食べて、当然のようにホテルに来た。それでも海斗を目の前にすると落ち着かない気分になってしまう。

「……あ、また髪洗っちゃった」

ごく自然に、流れるような動作で洗ってしまった濡れた頭を抱えて落ち込む。また海斗に呆れられてしまう。

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