後から考えると、即座に駆け出していればあの場から逃れられていたかもしれない。
だけど突然3対の視線に晒された創には、咄嗟に動くことなどとてもできなかった。
沈黙を破ったのは、小野寺だった。
「坂木、んな格好で何やってんだ?」
化粧のおかげでもしかしたらバレずに済むかもしれないという期待は、あっさり打ち砕かれた。
「って、やっぱり創!?」
「マジかよ……なんでまた……」
山口とコージは呆けたような顔を驚きに変え、ますますこちらを凝視してくる。
動揺から上手く言葉で出てこないでいると、小野寺が悠然と近づいてきて、ぎょっとするほどの至近距離で低く囁いた。
「――似合ってるな。化粧までして……女装して人に見られることに、目覚めちゃったわけ?」
「……っ!」
息をかけられた耳からぞくぞくした感覚が全身に広がって、咄嗟に手で覆う。
否定しなくては。いや、しかし小野寺の双眸の前でそんな『嘘』をつき通せるのか。
「恵一に頼まれたんだ。しつこくしてくる奴がいるから、彼女のフリしてくれって……」
「へえ、彼女、ねえ」
「確かに、遠目から見たら完全女だな。つーか、近くで見ても……」
「あれ? そんじゃ恵一は?」
そうだ、こんなことになったのは恵一のせいなのに、肝心なときにいないとは。
と思ったとき、タイミングがいいのか悪いのか、化粧室のドアが開いた。
「お待たせ――って、なんでお前ら」
「よー、恵一」
「なんではこっちのセリフだよ。何やってんだよお前」
困惑したような顔で三人を見る恵一に、山口やコージがのん気に挨拶をした。
「よお恵一。俺達の知らないところで、随分楽しそうなことしてたみたいだな?」
「……あー、後でネタにしてやろうと黙ってたんだけど、バレちゃったか」
底の知れない笑顔で言う小野寺に、恵一は髪を指先で弄りながら返答する。聞き捨てならないことを言っていたが、今はそこに突っ込む余裕はない。
「恵一、もう用は済んだんだしそろそろ……」
「ん? そうだな、俺達帰るわ」
恵一の同意を得て、創は胸を撫で下ろす。とにかく一秒でも早くこの場から逃げ出したかったから。
しかし事はそうそう簡単にはいかなかった。
「えー、帰っちゃうわけ? どうせ用もないんだろ?」
「もしかして、この後二人でエロいことしちゃったりして。その格好ならめっちゃ自然ににラブホ入れるしな」
「なっ……」
かっと頬が赤くなった。実際にあんなことをしてしまった後ろ暗さが、創から冷静さを奪った。
「んなわけないだろ! キモいこと言うなよ」
「……なに、ムキになってんの?」
「そうじゃないってなら、もうちょっと残ればいいじゃん。なあ」
恐々と小野寺を窺うと、薄い笑みを返された。逃してくれる気がしない。創は膝の上でこぶしを握った。
「……分かったよ。ちょっとだけなら」
恵一がため息を吐いた。そうしたいのはこちらのほうだ。どうしてこんなことになってしまったんだろう。
「決まりだな。じゃあ」
小野寺は店員の方へ行くと、何か言葉を交わして戻ってきた。
「この店貸しきったから」
「……え?」
予想外の言葉に、一瞬呆けてしまう。
「あれ創、知らねーの? この店っつかビルそのもののオーナー、小野寺んちだよ」
山口がそう説明する。金持ちだということは知っていたが、よりにもよってこの店の持ち主とは。
「でもいいの? いくらなんでも、いきなり貸切とか」
「どうせ昼はろくに客こねえからいいんだよ。この店自体親父の趣味みたいなもんだから」
そう断言されては、それ以上何も言えなかった。
店員は入り口のプレートをcloseに変えて戸締りをすると、小野寺に挨拶して帰っていった。
考えようによっては、他の客にこの姿を見られることはなくなったのだからよかったのかもしれない。――そのはずなのに、何故こうも胸騒ぎがするのだろう。
追い討ちをかけるように、小野寺の提案は創を不安にさせた。
「さて、折角彼氏と彼女が残ってくれたことだし、ゲームでもしようぜ」
◆◇
真冬にも関わらず、トランプを持つ手が心なしか汗ばんでくる。
ゲームのルールは極簡単。カードゲームで一位になった者が、ビリに命令できるというものだ。ただし、あくまで良識の範囲内で、過半数が無茶だと判断するような命令はなし。
悪ノリが好きな仲間内での『良識の範囲』が果たしてどの程度のものなのか。不安ゆえに、創はとにかくビリにならないよう堅実な戦いをした。
最初に負けた山口は、茶を淹れさせられた。しかしその出来は酷いものだったので、次に負けたコージはコンビニまでジュースを買いに走らされた。
確かに良識の範囲で済む命令だ。だけど創の身体は緊張しっぱなしだった。
視線が、どうしようもなく気になってしまうのだ。
左隣に恵一、右隣には小野寺がいて、向かいにはコージと山口がいる。逃げ場のない状況が、創を過敏にさせていた。
正面の二人などは気がつくと食い入るように見つめてきて、そのくせ目が合うと気まずそうに逸らす。そんなときは背筋がぞくぞくしてしまって、気を紛らわすのに必死だった。
だから、判断をミスしてしまったのだ。
「……っ」
「はい、創がビリね」
一位になったのは、今のところダントツで勝率が高い小野寺だった。カードを配っているのも彼なのでイカサマを疑いたくなるほどだが、怪しい動きは微塵も見られないので誰も本気で突っ込んだりはしない。
創は不安げに小野寺を見上げた。
「……んな顔すんなよ。ま、その格好じゃあんまり無茶も言えないし……そうだな、そこの電球でも替えてくれる? 裏探せばあるから」
小野寺はそう言って斜め上を指差した。隣のテーブルの真上に、確かに光を失った電球が一つある。
何も無茶な命令ではない。だけど――。
言われたとおり裏から電球を持って戻ってきたところで、創は固まる。
「どうした? 靴脱いだらテーブルに乗っちゃっていいぜ」
「あ、ああ……」
そんなことをしたら、スカートの中が見えてしまうのではないか。いや、角度的にはギリギリ見えないかもしれない。しかし――。
「どうした? 怖いとか言わねえだろうな」
「っ、言うかよ。そんなに俺のパンツ見たいの?」
冗談で流してしまおうとそんな風に言ったのに、誰も何も言ってはくれなかった。ただ視線だけを感じる。
大丈夫だと自分に言い聞かせ、創は殊更乱暴な動きでテーブルに上った。
汗ばんだ手と焦りのせいでもたつきながらも、どうにか平常心を保とうとする。
下着はギリギリ見えていない、と思いたい。――だけどどちらにせよ、男のくせにミニスカートとニーソックスを履いた姿を、今4人に見られているのは確かなのだ。普通ならまず真冬に露出することなどない太ももの付け根の方まで晒したどうしようもない姿を、仲のいい友人達に――。
ぞくぞくっと背筋に痺れが走って、創は痛いほど強く唇を噛んだ。
これは、本格的にまずい。
何とか新しい電球をはめると、創は急いでテーブルから下りた。
「……終わったよ」
「ああ、お疲れ」
皆の顔を見る勇気がない。今更そんなことをしても何の意味もないのに、創はスカートの裾を押さえながら席に戻った。
「創、照れてんの? マジで女の子みたい」
「なあ……」
馬鹿にするならいっそ嘲笑ってくれればいいのに、山口達はまるで後ろめたい話をしているときのような潜めた声で、そんなことを言う。
じりじりと焼け付くような熱を感じて、創は皺が出来るくらい強くスカートを握った。
それからしばらく、ゲームは淡々と行われた。
負けた者は使い走りにされたり、好きなAVのジャンルを話させられたりと、他愛のない命令が続く。
だからほんの少しだけ油断していたころ、最下位になってしまった創に、一位になった山口がとんでもないことを言い出した。
「なあ……ちょっと脚、触らせてよ」
「なっ……」
どくんと心臓が不穏に脈打つ。
「な、何言ってんだよ、気持ち悪い」
「別にいいだろ、触るくらい」
なんでもないことのような口調とは裏腹に、山口の視線はじっとりと創を捕らえて離さない。
「……お前、ちょっと悪ノリしすぎなんじゃねーの」
意外なことに助け舟を出してくれたのは、それまで口数少なくどこか不機嫌そうだった恵一だった。
自分はもっととんでもないことをしたくせに、ということは今は忘れる。とにかく助けてほしくて創はすがる様に恵一を見上げる。
「――別にたいした命令じゃねえだろ。女じゃあるまいし。なあ」
「あ、ああ、そうだな」
「だよな。そんな格好しといて、今更だろ」
しかし小野寺の一声によって、形勢は一気に決まってしまった。
「3対2で決定。早く触らせてやれよ」
「……、くそっ」
創は自棄気味で立ち上がった。
確かに本来、男が男に脚を触らせるなんて、ただのギャグであって動揺する方がおかしい。
何なら感じてる演技でもして笑わせればいい、そう思ったのに。
「っ、ぁっ」
山口に近づくと、性急に太ももに触れられ、撫で回される。
そのとき出てしまった声は、演技によるものではなかった。
「うわ……すげーすべすべ……」
「……っ、んっ……」
やけに熱い手が、内ももの方に入り込んできて、執拗に撫で回す。
ぞくぞくとした感覚が触れられた場所からせり上がってきて、創は必死に吐息を押し殺す。
「創、もしかして感じてるの……? なあ……」
熱の篭った山口の声は、とてもふざけていると言えるようなものではなかった。
これ以上されたら、反応しているがバレてしまう。もしそんなことになったら――。
「――もういいだろ。座れよ創」
ぎゅっと目を閉じて耐えていると、小野寺がそう声をかけた。山口はどこか名残惜しげだったが、小野寺には逆らうことなく手を離す。
創はふらふらと席に戻った。
次に勝ったのは、恵一だった。火照った身体を持て余す創は最早冷静な判断が出来ず、連続で最下位になってしまう。
恵一は、意外なことを言い出した。
「創、そろそろ帰ってくんない? 服、姉貴に返さないとだろ」
「え……あ、ああ」
一瞬戸惑ったが、すぐに恵一が気遣ってくれているのだと気づく。普段はいい加減な男だが、さすがに自分が巻き込んだせいでこんな状況になってしまったことに気が引けたのだろう。
「じゃあ俺、帰る」
「待った。なあ、たかがゲームで帰れってのはないんじゃねえの」
立ち上がったとたん、小野寺に腕を掴まれる。
その瞬間、ああ駄目だ、と思った。
小野寺はリーダー的存在ではあるが、普段は他人にそれほど干渉しない。そんな彼が今日は場を支配して、逆らうことを許さない空気を放っている。
何故今日に限ってそうなったのか、理由は考えたくないが、いずれにせよ小野寺が本気を出したら逆らうことなどできないのだ。
「そうだな、帰れってのはねーよ」
「恵一、独り占めする気じゃねえだろうな」
「何なら俺から麻里さんに連絡しておこうか?」
「……いや、いい」
何故小野寺が麻里の連絡先を知っていたのか、なんて考える余裕はない。
それから二度最下位を免れたが、次の勝負で負けてしまった。
勝った小野寺は
「ちょっとこっちに来い」
と、無理やり創を引っ張って、逆隣に座らせた。
この中では唯一気遣ってくれる恵一と離されて、言い知れぬ不安に襲われているところに、小野寺は容赦なく命じた。
「そこで膝立てて、スカート捲って見せろよ」
「なっ……何言ってんだよ!」
何を言い出すのだろう。そんなことできずはずがない。だって、もしそんなことをしてしまったら――。
「何で? パンツなんて、体育の着替えでも当たり前に晒してんだろ」
「だって……そんな……」
普段とはわけが違う。創が履いているのは、レースで面積の小さい女物の下着だ。
山口やコージは、目元を赤く染めてぎらぎらとこちらを見つめてくる。
背筋がぞくぞくする。
見られたらきっと何かが壊れてしまう。見せたくない。だけど――――見てほしい。
どうしようもない衝動が、創の身を貫く。
熱に浮かされたような顔で、創はスカートの裾に手をかけた。
「……うわ……」
「マジかよ……」
膝を立て、スカートを上に捲くると、白いショーツに包まれた股間が晒された。
もともと面積の小さいつくりの上、女にはないモノのせいできつくぴったりとしており、レースの部分はペニスのピンク色がはっきり透けてしまっている。
サイドは紐になっていて、引っ張ればすぐにほどけて全てがあらわになってしまう心もとなさが劣情を煽る。
滑稽、と笑うには、あまりに卑猥な光景だった。
「っ……や、見ないで、見ないで……」
「――何言ってんの。見てほしいんだろ……? なあ、見てって言ってみろよ。女物の下着穿いてる恥ずかしいところ、見てほしいって……」
小野寺が、ぞくぞくするような官能的な声で囁く。
耳から熱が全身に広がって、理性の糸が切れる音が聞こえた。
「……っ、見て、おれの、恥ずかしい姿、見て……っ。やらしいショーツ穿いてる変態なとこ、見てほしいっ……」
言葉がするする出てきてしまったのは、それが創の心底欲していた、本能的な本音だったからだろう。
嫌に静かな店内に、ごくりと唾を飲む音が響いた。
「うわ、創ノリノリじゃん……」
「マジでやらしいな……」
じっとりとした視線と言葉が創を犯す。
恵一の方を窺うと、未だ不機嫌そうながら熱の篭った目で凝視され、びくんと脚が震えてしまった。
つい先ほどまで、ここで恵一にペニスを弄られ、指マンで散々感じる場所を突かれてイかされてしまったのだ。人の見ている前で恥ずかしい言葉を口にして、女みたいな声で喘いで――。
「ぁっ……は、ぁ……」
ペニスが脈打って、下着が更にきつくなる。山口やコージが、興奮したように息を荒くするのが分かった。
「――さて、もう一勝負するか。お前は次が終わるまでそのままだ。いいな?」
「う、ん……」
小野寺が命令してくる。もう逆らえるような状態ではなかった。
皆の意識は明らかにカードより創に向いている中、奇妙な空気でゲームが始まる。
小野寺から手渡されたカードは、今までにないほどいい手札だった。考える余裕などなく、創はそれをそのままテーブルの上に放り出す。
「坂木の勝ちだな。どうする?」
「ぁ……」
「考えてみれば、お前だけそんな格好でちょっとフェアじゃなかったからな。今回は出来る範囲で何でも叶えてやるよ」
言ったのは、今までは一度もビリになっていなかった小野寺。
何でも、ということは、帰ると言えばきっと帰れる。何なら家までのタクシー代でも出してくれるだろう。小野寺はそういう男だ。
なのに創の口を突いて出たのは、全く別の言葉だった。
「……俺のこと、触って……。変態な俺に、いやらしいことしてほしいっ……」
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