誠人、ライン作業する。 01 02



今度こそ誠人は固く決意していた。何が何でも「セフレ」を作らなくてはならないと。

あの後例のごとく気を失った誠人が朝気づいたときには、尚紀の姿はなく。
村井に対しては誠心誠意説明したつもりだ。おかしな薬のせいで異様に自分と周囲の男が発情してしまう体質になってしまった、あなたに責任はない、ついでに治し方に心当たりはないか、と。

「仁藤君……そんなフィクションの中の媚薬と呼ばれるようなものは、現実には存在しないんだよ」

可哀想なものを見るような目で言われた。理不尽である。
とにかく医者なら何とかしてくれるんじゃないかという淡い希望は一瞬で打ち砕かれた。

「こうなった以上は仕方がない。責任はとろう」
「いっ、いやいやとんでもない!」

誠人は戦慄した。往診中の村井の薬指には指輪がはめられていたはずだ。既婚者もしくは婚約者がいるのだろう。
しかし今見ると、指輪が外されているではないか。
食い下がってくる村井にとにかく忘れてくださいと頼み込み、誠人は逃げるように退院した。

「はぁ……」

尚紀にも、あれは自分の事情のせいなのだ忘れてくれとメールしたのだが、返信は未だない。
今顔を合わせる勇気はない。よりによって高校生の弟を巻き込んでしまうなんて。
……ほとぼりが冷めるまで置いておこう。完全に逃げ癖がついてしまっていることを自覚しつつ、今はそうするしかないのだった。



体のほうも大問題だが、生活のほうも深刻な状況なのがなんとも悲惨な話だ。
入院中は当然収入がなく、一刻も早く仕事を探さなくてはならない。
何かいい仕事はないだろうか。同僚も客も女性だらけの――そう、保育士なんていい。女性のほうが圧倒的に多いし、何せ相手は幼児なので欲情しない。子供って素晴らしい。
まあ、当然資格など持っていないから無理なのだが。短い現実逃避だった。

「だからつまり、女の人ばかりの職場がいいんですけど」
「……はあ、それはありますがね」

職業斡旋所で誠人は必死に訴えていた。職員の方は仕事なので口には出さないが完全に「女目当てのアホだ」という目である。

「いっいや、何も若い女の子がいいとかじゃなくて、むしろおばさんだらけとかのほうがいいです!」
「……」

今度は完全に熟女好きのアホだと思われた。どうしようもない。

とりあえず年配女性が多いという工場のライン作業を紹介され、えり好みもしていられないのでそこで働くことになった。
行ってみると確かに女性が多い――が、中には男もいた。直接の上司からして中年の男であった。
次にいつあの症状が出るか分からない。やはり決断しなくてはならないのだ。誠人は携帯を握り締めた。


「――嬉しいよ、また連絡してくれて」
「こ、こちらこそありがとうございます、伊勢さん」

「セフレ」になってくれる望みのある知り合いと言えば、彼しかいなかった。
加西も「俺が処理してやる」と尊大に言いはなってきたが、一回一万という恐ろしい条件つきだった。彼が恐ろしいとか以前に借金でもしない限り物理的に無理である。
とはいえ伊勢とも、本当はものすごく顔を合わせづらかった。何せあのとき、加西にバイブでオナニーさせられ感じる声を聞かれてしまったのだ。
しかし伊勢の態度は至って普通で、まずはほっとする。どう思われているかは想像するのも恐いが。
二人で落ち着いた雰囲気の居酒屋に入ることになった。今度はゲイ無関係の正真正銘健全な店だ。

「何飲む?」
「ええと、じゃあ――」

向き合って座ると思い切り視線を感じるが、誠人のほうは伊勢の顔をとても直視できない。
伊勢さん自身には好感を持っているのに、トイレでいやらしいことをされたり、電話でいやらしい声を聞かせてしまったり――とにかくいやらしい思い出しかないではないか。恥ずかしくてたまらない。

「……じゃあ、再会に乾杯ってことで。あの後メールしてもそっけない返事しかこないから、嫌われちゃったかと思ってたよ」
「と、とんでもないです。ただ、恥ずかしくて……」
「そう? それならいいんだ」

やはり気恥ずかしくて目を伏せると、テーブルの下の膝と膝が触れて、ゆっくり擦られた。目の前にはそ知らぬ様子で微笑む爽やかで整った顔。
体がぞくっとする。こんなところで発情してしまったら大惨事である。
誠人は意を決して切り出した。

「あの、あのときの話、改めてお願いしたいんです」
「あのときの話……」
「つまりその、セフレに、なってほしいと……」
ぴく、とテーブルの上の伊勢の指が動く。彼の表情を見る勇気はなくて、誠人は自棄気味に言い募った。

「何も俺を好きになってとか、束縛したいとか、そんな身の程知らずなことは言いませんから。ただその、定期的に……させてくれれば。健全なセフレ関係を築きたいというか」

我ながらスマートさのかけらもない酷い物言いだ。恐る恐る伊勢の方を窺うと。

「嫌だな」
「え……」
「嫌だって言ったんだよ」

笑ってはいたけれど、それはいつもの爽やかな笑みとは違う、冷たさを感じさせるものだった。
正直言って、頼めば了承してくれるのではないかとどこかで思っていた。
前回会ったときは伊勢のほうから仕掛けてきたのだし、結構楽しそう……だった気がする。だから彼にとってもそう悪い話じゃないのではないかと――。
だがそんなの、とんだ思い上がりだったのだ。

「俺、本当は無節操な体だけの関係って嫌いなんだよね。……って、前回性急にあんなことしちゃった俺が言っても説得力に欠けると思うけど。ごめんね、トイレでなんて普段は考えもしなかったのに。あのときは自分が抑えられなかった」

初めてあのときのことに言及されて、誠人ははっとする。
正常な状態だと思っていたが、実はフェロモンの効果が少し出ていたのではないだろうか。確かに優しげでいかにもモテ慣れている伊勢にしては、かなり強引というか切羽詰った感じだった気がする。
とはいえ完全に飛んでしまったときの感じとは違っていたのは確かだ。とすると、恐ろしいことだが普段の状態でもフェロモンが少しずつ垂れ流されているとか……。
残念ながらそう考えれば合点がいく経験がいくつかあった。店長に追いかけられたり、店長に追いかけられたり……。
何だかどんどんまずいことになっている気がする。泣きっ面に蜂もいいところだ。

「え、ええと、あの時は俺も悪かったから、忘れてください」
「忘れるのは無理かな」

何だか徹底的に否定されている。もうどうしたらいいのか分からない。

「それに俺はむしろ束縛したいし、されたい。心が何もない行為なんて空しいだけだと思わない?」
「っはい、そう思います。お互い一人の相手を尊重するのが一番です」

ぐうの音もでない正論で説教されているようで、床の上に正座した方がいいような気がしてくる。

「本当にそう思う? これからはちゃんとそうする気がある?」
「もちろんです。俺だって本当は、不特定多数となんて嫌です。でも俺、その、体質的にセックスができないと困るというか」
「……」

沈黙が落ちる。刑事に取調べを受ける犯罪者はこんな気分なのだろうか。
いや、何か違う気がする。

「……俺に断られたら、どうするつもり? この前みたいにバイブでエッチなことするの?」
「そ、それは、その」
「正直に答えて」
「……別の人を探すしかないです。本当に変なこと頼んですみません。とんだ身の程知らずでした」
「……」

再びの沈黙が痛い。事情を知らない人間からしたら誠人の物言いは完全にただの好きモノのそれだ。好感を持っている相手に軽蔑されるのは辛い。伊勢の問いからは逃れられるような気がしなくて、馬鹿正直に話してしまった。
反応を窺ってびくびくしていると、不意に伊勢の手が誠人の手に重ねられた。

「いいよ。セフレになろう」
「え……」

あまりにも予想外で、誠人はぽかんと口を開けてしまう。

「いいんですか? だって俺……」
「条件がある。これからは俺以外の相手とは決してしないこと。それが守れないなら無理だ」
「それはその、伊勢さんが、たくさんしてくれるなら……」

ぎゅっと、握られた手に力がこめられる。

「本当に君って……。いいよ、たくさんしてあげる」

やけに色っぽい表情で微笑まれ、落ち着かない気分になる。
どうやら無事、自分にはもったいないくらいの「セフレ」ができたらしい。

「そうやって赤くなってるところを見ると、とても遊んでたようには思えないんだけどな。一体どんな奴が君を仕込んだんだろうね」
「し、仕込んだ……」

脳裏にあの忌々しい店長から始まり、フェロモンの犠牲者たちの顔が次々浮かんでは消え――最後に佐原の顔が大写しになった。
全ての元凶はあの男である。自分の意地汚さを棚に上げて恨めしく思う。

「まあいいよ。過去のことはお互いなしにしよう。忘れるんだ、いいね?」

憎憎しげな顔をしていたであろう誠人を気遣ってか、伊勢は優しく言ってくれた。本当にいい人だ。

「じゃあ――そろそろ、出ようか」




誠人は酷く緊張していた。これから伊勢と、自らの意思でセックスをするのだ。それはフェロモンの効力による行為とは明らかに違う。
男同士の行為への嫌悪感は失って久しいし、伊勢のことは信頼できると思っている。だけど何と表現したらいいのか、自分の何かが変わってしまうような気がして、少し怖いのだ。

「あれ、誠人?」

いよいよホテルのほうへと向かおうと繁華街を歩いていたときだった。

「悠!? ひ、久しぶり」

大事な友達と、あまりよろしくない状況で遭遇してしまった。

「お前退院してたのか。体調はもう大丈夫なのか?」
「ああ、元々大した怪我じゃなかったし。今日は彼女と遊んでたのか?」
「いや、サークルの飲みが終わったところ」
「――友達?」

伊勢が半歩ほどこちらに体を寄せ、訊いてくる。
「セフレ」となった相手と一緒に悠と会話するのは何となく気まずくて、誠人としては早めに立ち去りたいのだが。

「はい、高校からの友達です。悠、こちらは伊勢さん。友達、なんだ」

セックスが頭につく友達ですとは口が裂けても言えない。

「初めまして」
「……どうも」

微笑を浮かべる伊勢に対して、悠は少し訝しげな顔をしていた。正直言って悠くらいしか親しい友人がいない誠人に、年上でお洒落なイケメンの友達というのがピンとこないのだろう。

「じゃあ悠、またな。伊勢さん行きましょう」
「ちょっと待って誠人。お前入院してたときもすぐには連絡寄越さなかったけど、色々大変なんじゃないのか? いつも言ってるけど、困ったことがあったら遠慮するなよ。お前が一人で抱え込んだりしたら、ろくなことにならなそうだし」
「悠……」

悠の言葉はいつだってありがたい。お釈迦様かとすら思う。

「ありがとな悠。でも新しいバイトも始めたし、とりあえずは大丈夫だよ。それに――」
「誠人君の悩みなら、俺が解決してあげられそうだし、ね」

伊勢が誠人の肩に手を置いて、意味ありげにそんな風に付け足した。実際とんでもない意味があるので内心焦る。

「そ、そういうことだから、じゃあ! 伊勢さん行きましょう」

誠人は引きつった笑みを浮かべて別れを告げると、伊勢を促して歩き出した。これ以上悠と向き合っていてはボロを出しかねなかったから。


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