誠人、淫乱体質に。 02
最悪とは、まさにこういうことをいうのだろう。
アパートの狭い一室で、誠人は膝を抱えてうずくまっていた。
一体あれはなんだったのだろう。自分が信じられない。
あの後、店長は筋肉質な身体で誠人に抱きつき、ぎゅむぎゅむと荒々しく尻を揉んできた。
誠人はそれにうっとりとして、イヤらしい声を上げて――。
「――うそだ!」
頭を押さえて激しく首を振る。
直後に女子のバイトがスタッフルームに入ってきたことで、誠人ははたと我に返った。
おかまいなしに勃起したままのものを押し付けてくる店長を押しのけ、何とかジーンズを引き上げ上着を羽織り……。
帰りの短い道中でも、いやに視線を感じた。ただの被害妄想であればいいが、うずく身体はどうにもならなかった。
「なんだったんだ、俺、どうしちゃったんだよ……」
店長なんてどちらかというと嫌いな人種だった。なのにあのとき、誠人は確かにすべてがどうでもよくなる程の快感と恍惚感に酔い、云われるがままに散々淫らな言動をとった。
それを思い出すたび、今この瞬間も身体がうずくのだ。
泣きそうになるのを堪えていると、部屋のドアがノックされた。
ドンドン、ドンドンドンッ!
「……」
またあの男かと、誠人は自棄気味でドアを開ける。
「――悪いけど、今日はとても手伝う気分じゃない……」
「あー、よかった、出た出た。君さ、第三研究室の冷蔵庫に入ってた薬、飲んだでしょ?」
「は……?」
マイペースに言い放つ佐原に、誠人の顔はさっと青ざめた。
「薬って、一体……?」
不本意ながら佐原を家に上げると、誠人は恐る恐る訊ねた。
「オレンジ色のだよ。最近完成したばかりなのに、根こそぎ君に飲まれちゃった」
「オ、オレンジジュースじゃなかったのか。そんな紛らわしいもの、なんで冷蔵庫に……」
「だって、まさか勝手に飲む人がいるとは思わないじゃない。水分補給用のミネラルドリンクなら置いてあったわけだし」
「う……」
そう言われると反論ができない。あのときは疲れきっていて、魔が差したとしか言いようがなかった。
「……で、なんの薬なんですか? あ、危ないものだったら、どうすれば……」
「あれはね、特殊なフェロモンが出るようになる薬」
恐る恐る訊いた誠人に対して、佐原はあっけらかんと言い放った。
「僕が特別に研究して開発したんだ。性欲を増強させ、男を引き寄せ、欲情させるフェロモンさ。残念ながら男ほど性欲に単純ではない女性には効かないんだけど、今の時点でも暇と身体を持て余した貴婦人なんかにはさぞ高額で売れるだろうね。もっとも君がすべて飲んでくれたおかげで、また同じものを作れるかは分からないけど」
「なっ……」
ろくでもない研究とは推測していたが、まさかそんなものを作っていたなんて。
まだ女性を引き寄せる、ならよかったものを。
と憤りながらも、誠人はどこかでほっとしていた。
あの異常な疼きや店長の様子は、すべて薬のせいだったのだ。自分自身がおかしくなったわけではなかったのだ。
「ふ、ふーん。で、効き目はもう切れたんですよね? 佐原さんは全く普通だし」
「え?」
佐原は一瞬目を丸くしたあと、ははっと笑った。
「やだなあ。僕がそんなすぐに効果が切れるような粗悪品を作るわけがないじゃないか。僕の身体には抗体ができているから大丈夫なだけ。いちいち欲情してたんじゃ実験にならないからね」
「……なっ」
誠人は緩みかかっていた頬を引きつらせて絶句した。
「はっきりとは言えないけど、向こう十年は嫌でも効果は保たれるだろうね。嫌でも」
やはり能天気に放たれた言葉は、死刑宣告に等しいものだった。
十年……十年? 365日かける10? 更にうるう年を考慮すると……。
しばし呆然としていた誠人だが、はっと我に返って佐原にすがった。
「な、なんとかならないんですか!? 解毒剤とか、ないのっ!?」
「毒とは失礼だなあ。残念ながら君が摂取してから、大分時間が経っているだろう? もう完全に身体中に行き渡っているよ」
「じゃあ、抗体は!? 抗体を空からでもばら撒けば……」
「抗体は注射しなきゃ駄目。それにまだ試作段階な上作るのにはかなり時間がかかって、今は一人分あるかどうかだし。仮に大量にあったとしても、僕が注射させてくれって言ってみんな素直に聞いてくれるかな?」
自分なら走って逃げて警察に通報する。そう思って、誠人はがっくりとうなだれた。
「――まあ、効果を一時的に抑えることならできる」
「……どうするんですか?」
一時的じゃ……と思いつつも、藁にもすがる想いで佐原を見上げる。
「………………怒らない?」
「? これ以上、何に怒れって言うんですか?」
「そう……。まあ、簡単に言うなら、精液だ。男の精液を身体で受け止めれば、一時的に中和させることができるのさ」
「せっ……」
予想外の答えに、誠人は再び絶句した。
「……今、エロマンガみたいとか思った? でも、その様子じゃ君ももうされたんじゃない? 簡単に言うなら、男のペニスを君の肛門に挿れて、中に……」
「う、うわああああ! そんなことされてません! ちょっと、おかしくなった店長に、ちょっと、かけられただけで……」
更にとんでもないことを言われ、誠人は慌てて否定する。
自分も感じまくって出してしまったことはもちろん伏せたが、おそらくバレているのだろうと思うと死にたくなる。
「かけられただけで済んだ? ふーん。その相手は老人だったか、性欲が弱かったのかな」
「そんっ……」
反論しかけて、そういえばバイト仲間が、『店長はインポで悩んでいる』だとか『悩むあまりこっそり病院に行った』と噂していたことを想い出した。
……インポであれだったら、並の性欲の持ち主ならどうなってしまうんだ……。
忌々しいだけのはずなのに、考えると身体が疼きそうになって、誠人は慌てて佐原を凝視した。
こんなに自分を萎えさせてくれる人間は他にいなさそうだ。
「俺、俺、どうすれば……」
「――ま、僕にも責任はあるから、効果を抑える薬の開発もやってみるさ。金にならないものは気がすすまないし、いつできるか、できるのかすら分からないけどね」
「お、お願いしますよ! 取り掛かってください! 今すぐに!」
「せっかちだなあ。ま、すぐにとはいかないから、君も男の精液を切らさないように気をつけてね」
「なっ……」
最後までとんでもないことを言いながら佐原は去っていった。
もはや怒る気力すら湧かず、誠人はその場に突っ伏した。
これからどうすればいいのだろう。一体、どうすれば……。
――――男のペニスを、君の肛門に挿れて――。
佐原の言葉が頭で何度も繰り返される。
この疼きは、精液をかけられただけじゃ足りなかったから? それをすれば、俺は……。
いやだ、そんなのいやだ――。
それでも、理性の外で何かを渇望している自分がいるかのように、身体がドクンと熱くなった。
end
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