異世界にて 09



宿屋の自室に戻ると、玲はそれをベッドに横たえた。

「うーん……」

見た目も触った感じも、確かにあのときの獣に間違いない。
しかしあの美しく精悍なアレンと、この可愛らしい動物とがどうしても結びつかない。

「アレンなのか……?」

そっと顎の下を撫でてみると、キュゥ……と間の抜けた鳴き声が返ってくる。
苦しそうではないが深く眠っている様子で、目覚るのはまだ先のようだ。
しばらく寝顔を眺めていると、玲の方も疲れからか睡魔が襲ってきた。
少し考えてから、玲はそっとそれを動かして、自らもベッドに入った。
色々と考えるのは、頭をすっきりさせてからでいいだろう。




「ん……?」

どれくらい眠ったのだろう。
何か物音が聞こえた気がして、玲はゆっくりと目を開いた。

「あ、アレン!」

いつの間にかベッドから獣はいなくなり、部屋の隅にはアレンが立っていた。
暗くてよく見えないが、目が合うとはっとしたように頭を下げられた。
玲が寝ているうちに目を覚ましていたのか。できれば元に戻る瞬間も見てみたかったのに。

「……何故そんな隅にいるんだ? それより、やっぱりアレンがあの獣だったのか」

アレンは少し躊躇った様子で近づいてきて、口を開いた。

「は……すぐにお伝えすることができず、申し訳ありません」
「いや、そんなことはいいよ。何となく合点がいった」

アレンが当初玲を避けていた理由が。

あれほどギャップがある姿を、それも酷く弱った状態を玲にたっぷりと見られたのだ。
もし玲がアレンの立場なら、何となくばつが悪くてどう対応したらいいか困るだろう。
一人納得している玲を、アレンはただ複雑な表情で見守っていた。

「それにしても、あんな姿になれる人間なんて聞いたことがない。レティアの人間は皆そうなのか?」

「いえ、一部の神獣族の血をひいた者のみです。……神獣といっても、私達にその強い力は残されておらず、ただお見苦しい姿を晒すだけなのですが」

本当にばつが悪そうに言うアレンに、見苦しいどころかすごく可愛かったけど、という言葉は飲み込んでおく。
体力が衰えたとき、神力を温存したいとき、心が激しく乱れたとき、あの姿の方が都合がいい特殊な術を使うとき。ときに否応なく、ときに故意的にあの姿に変わるのだとアレンは続けて説明した。

「俺と初めて会ったときは……」
「あの時は鍛錬の最中魔物の群れに襲われ、全て滅ぼしましたが毒を持っているものに体力を奪われていたのです。あなた様に救っていただいたにも関わらず、あのような態度をとってしまい――」
「それはもういいって。それにアレンのおかげで俺はこの村に辿り着けた。お互い様だ」

そこまで言って、玲はあることに思い至る。

「……でも、もうこの村にはいられないのかな」

アレンの話では、レティアの国民は王を待ちこがれていたという。
未だに自分が王だというのは信じられないが、知らないふりをするにはもうこの男と関わりすぎていた。

「――私は、私と一緒に来ていただきたいと思っています。この平和だった村に突如魔物が襲来したのは、あなたの神気を感じとった上級魔族がいることが考えられます。今回の魔物は三下でしたが、もっと力が強いものが来た場合、いくらあなたでも今のままでは……」
「そうか……」

魔物達の襲来が玲のせいだというのなら、やはりここにいるわけにはいかないのだろう。

「それにレティアは今、永い王の不在で揺れています。一部の貴族達は派閥を成して権を争い合い、民は不安な気持ちを抱えている……。それを纏められるのは、唯一あなただけなのです」

真摯に玲を見つめるアレンの目に嘘は一切ない。
玲は少しの間目を閉じて考えた。
アレンの言葉を受け入れたら、想像できないほど大きな責任を負うことになるだろう。途中で放棄することなど到底許されぬほどの。
玲は地球への未練を捨てられそうにない。あの放蕩父親は未だに失踪したことにすら気づいていなさそうだが、大学の友人やバイト仲間には心配をかけているかもしれない。
苦労も多く手放しに楽しい日々とは言いがたかったが、忘れてしまうには20年間の思い出は多すぎた。
しかし。当初予想していたとおり、玲はあの石――レティアの宝玉に導かれてこの世界へきたのだという。ならばレティアという国から目を背けていては、どの道元の世界へ戻ることは一生できないだろう。
受けても固辞しても、地球に帰れる可能性は殆どゼロに近いということだ。
玲は思い返す。森でアレンに助けられたこと、先ほど村を守ってもらったこと。
……これが運命というものなのだろうか。今まで信じたことなどなかった言葉が、自然と頭に思い浮かんだ。
玲はゆっくりと口を開いた。

「――はっきり言って、俺は王なんて器じゃないと思う。元の世界への未練もある。それでも、アレンは俺に王になってほしいと言うのか」
「……迷われるのは当然のことだと思います。しかしあなた様は間違いなく正当なる王位継承者です。たとえあなたがどれだけ時間をかけて迷われても、私の忠誠は決して変わりません」

アレンの瞳はひたすらまっすぐで、揺らぐことなく玲を見つめている。
玲は少しの沈黙の後、決意した。

「分かった。アレン、俺を導いてくれ」
「――陛下、本当によろしいのですか」

アレンが目を瞠る。もう少し長期戦になると踏んでいたのかもしれない。
正直勢いで言ってしまった感はなきにしもあらずだったが、もう後戻りはできない。

「村にいたくたって、魔物に滅ぼされたら元も子もないからな。元の世界に戻れる算段もないようだし。それに……レティアって国に、行ってみたくなった」

それが嘘のない本心だった。
村から、アルマやユーインから離れるのは寂しい。しかしその気持ちに負けてまた村が魔物に襲われたら、今の玲では倒せる自信も根拠もない。
この男に着いて行こうと思う。レティアとはどんな国なのか、自分が本当に王なのか、飛ばされたのは運命だったのか、自らの目で確かめてみたい。

「よくぞご決意なされました。――では、宝剣をあなた様にお返しいたします」
「うん……」

魔物を消滅せしうる、王にしか抜けないという宝剣。先ほど初めて触ったばかりだというのに、何故か胸がざわつく様な不思議な感覚を受けるのは、自分が王である証だというのだろうか。
とにかくもう後戻りはできない。玲はそれを強く握り締めた。

「――我が主よ。レティア国聖騎士アレン・エレスフォード、生涯あなたに忠誠を尽くすことをお誓い申しあげます……」

誓いの言葉と共に跪くと、アレンは玲の手をそっととり甲に口付けた。その姿はまるで一枚の絵画の世界のように美しい。

しかし一方の当人である玲は、慣れないことに狼狽を隠すのがやっとであった。

「……ああ、よろしく、アレン。ところで」

咳払いをすると、玲は離された手をさりげなく後ろで組みながら言う。

「陛下……?」
「その王とか陛下とかいうの、やめないか? これから旅をするなら、聞かれて面倒なこともあると思うし」
「いえ、しかし……」

アレンは不服のようだが、レイにしたら重要な問題だ。
ただでさえ真っ黒の髪はこの世界では目立つらしい上、更に比ではないほど目立つキラキラした男と旅をすることになるのだ。
この上陛下などといちいち街中で呼ばれれば、どれだけ悪目立ちすることか。想像するだけで頭痛がしてくる。

「レイでいいよ。呼び捨て……は無理だろうけど」
「とんでもありません。そのような恐れ多いこと」

言い終わる前にきっぱりと否定される。そうだろうとは思っていたが。

「とにかく、陛下はやめよう。頼む」
「……分かりました、レイ様」
「う、うん」

自分で命じておいて、初めて名前を呼ばれたことに気恥ずかしさを覚えてしまう。
そんな反応をしてしまう自分がまた気恥ずかしくて、訝しがるアレンに顔を見られぬようそっぽを向いた。

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