異世界にて 10



西への出立は数日の後と決まった。
玲がいなくとも再び魔物が村を襲う懸念があったため、アレンが村を守る結界を完璧に張り巡らせてくれることになったのだ。
村の人達には、アレンが同郷の人間であることが分かったため一緒に国に帰ることになった、とだけ伝えることにした。
魔物の出現が玲のせいかもしれないことは伝えておくべきかと思ったが、アレンに止められた。
それを知ったところでどうにかなる訳ではないし、余計な不安を植えつけかねないだけだ。魔物については厳重な結界を張るから心配することはない、と。
言われて納得するとともに、どこかほっとしている自分がいた。気のいい彼らなら玲のことを責めたりはしないだろうが、最後の最後に気まずい別れになるのはできれば避けたかったから。

「レイ、本当に行っちゃうの? 俺達を置いて」

ユーインが戻ってきて村も落ち着きを取り戻しつつある日、玲は彼とアルマに一番に旅立つことを伝えた。

「ごめんユーイン。――アルマさん、あなた達がいなければ今の俺はいません。それなのに、恩も返せないまま去ることをどうか……」
「何言ってるんだい。恩ならもう十分過ぎるほど返してもらったよ。村の連中にだって、いい子を拾ったなあって散々羨ましがられてんだから。この子だってね、ただただあんたが好きだから寂しいって言ってるだけさ」

アルマが本心から言ってくれていることは、その目を見れば分かる。
ユーインの方に視線を移すと、泣きそうな赤い顔で見つめ返された。

「そ、そんなことは言ってないだろ! でも本当、恩とか関係ないよ。故郷なんてさ、もうこの村ってことにしちゃえば……いてっ」
「わがままを言わないの。全く、図体だけはでかくなってもまだまだお子様だねあんたは。――正直言うと、寂しいのは私も一緒さ。でもあんたは思慮深い子だ。ちゃんと考えて決めたことなんだろう? それなら母代わりとして、その道を祝福するさ」

アルマはユーインの頭を叩くと、玲に笑いかけながらそう言った。
胸の辺りがぎゅっと切なくなる。二人が大好きだから、寂しいのは玲とて同じなのだ。

「アルマさん……ありがとうございます。ユーイン、ごめんな。俺はレティアに行く。でもこれが最後のお別れじゃない。また会いにくるから」

それは本心だった。アレン色々と話を聞いたところ、かつて絶大な力を持ったレティア王は、遥か遠くの地へ一瞬にして移動する術が使えたという。
非常に難しい術らしいが、自分が王だというならいつかそれを会得して、いつでもここに来られるようになりたいと玲は思っていた。

「……分かった。約束だからな。破ったら、イヤだって行っても俺から押しかけるから」
「ありがとう、ユーイン。約束だ、必ずまた会いにくる」

納得してくれたらしいユーインに、玲はほっと息を吐いた。
元々人を困らせることを言う子ではなかったのだ。それだけ玲と離れがたく思ってくれていることが嬉しくもあり、少し切なくもあった。
そんな風に考えてしんみりしていたとき、アレンが宿屋に戻ってきた。

「アレンお帰り。どうだった?」
「は、順調です。あと3日ほどで発てるかと思います」

結界張りはアレンに全て任せている。
自分にもできることはないか聞いたが、

「いずれお教えいたしますので、今は体力を温存なさってください」

とあっさりかわされてしまっていた。

「そうか……。任せてきりでごめん、ありがとう」
「とんでもございません。ありがたきお言葉です」

人前ではできるだけ砕けた態度で接して欲しい、とは言っているのだが、アレンは相変わらずだ。
直立不動で玲を見つめる様子に苦笑しながら

「とりあえず、座りなよ。疲れてるだろう」

と正面の椅子を勧めれば、一礼してからようやく腰を下ろす。
二人にはさぞ奇妙な光景に映るだろうな、と反応を窺おうとしたところ。

「……レーイ。お願いがあるんだけど」
「ん、なんだ?」

ユーインが横からぎゅっと抱きついてきた。
少し苦しかったが、何かあるならできるだけ叶えてやりたいと思い、されるがままで聞く。

「今日から出発まで、俺の部屋で一緒に寝ようよ。色々話したいし。な、いいだろ?」

ガタッと、正面あたりで椅子が音をたてた……気がする。何せ顔をユーインの胸のあたりに押し付けられてしまっていて、周囲が見えない。

「ユーイン、ちょっと苦しい……。俺は別にいいけど、そんなことでいいのか? ベッド、狭いんじゃないか?」
「え、ええっ!?」

自分で提案したくせに何故か焦ったような声を出すユーインとほぼ同時に、今度はグラスをテーブルに叩きつけるような音が聞こえた。
何か見当違いなことを言ってしまっただろうか。

「ほら、いい加減くるしいって。……俺、何かおかしいこと言った?」

意外にあっけなく開放されてユーインを窺うと、何故か頬をひきつらせていた。
そこではっと気づく。
てっきりユーインは寂しいから一緒に寝たいのかと思ったが、冷静に考えたら15になる男子にそれはないだろう。

20歳と15歳の男同士が一つのベッドで寝るなんて、想像すると中々シュールな光景だ。
もしかしたら子ども扱いされたと、彼のプライドを傷つけてしまったかもしれない。

「ああそうか。冗談だ、布団持ち込むから」
「いい、いいよ! 一緒のベッドで寝よう!」

力強く言われ、どうやら杞憂だったらしいとほっと息を吐く。
この際狭さやシュールさは我慢しよう、と思ったのだが。

「――私は反対です」

他愛のない会話をしているときは徹底的に無口なアレンが、珍しく口を挟んできた。
何やら憮然とした表情に、玲は首を傾げる。
この話題のどこにそんな表情をする要素があったのか、いまいち分からないのだ。

「な、何でアンタがんなこと言うんだよ? 別にいーだろ、積もる話もあるし」
「お話は構いませんが、共に寝るというのは賛同いたしかねます。レイ様は旅に備えて体力を蓄えていただかなければなりません。いびきや寝相で寝不足になられることがあっては……」
「失礼な、俺はそんなにガキじゃない!」

……アレンは見た目より心配性なのかもしれない。二人の会話を聞いて、つい笑みがこみ上げてきた。

「大体アンタはこれから旅の間ずーっとレイと一緒に寝られるんだろ。野宿とかさ。あー楽しそう、羨ましいな」
「何を……い、一緒に寝るなどと恐れ多い……」
「はは、そういえばすでに一度同じベッドで寝たもんな」

当然あの可愛い姿の方のアレンと、だが。
と思い出して微笑ましくなっている玲を尻目に、ぴたりと言い合いが止まった。
アレンもユーインも、面白そうに成り行きを眺めていたアルマでさえ、レイを凝視している。

「……えーと……」

その後玲は、アルマやユーインから非常に返答に困る質問責めを受けた。





3日後、予定通り結界はアレンによって完璧に張られ、玲たちは旅立ちの日を迎えた。

「元気でのう、レイ」
「寂しくなるけど、故郷に帰れることになってよかったわね」
「また遊びに来いよ!」

短い付き合いだったにも関わらず、多くの村人達が集まって別れを惜しんでくれる。
これだけ暖かい人たちに出会えた自分の幸運を再認し、玲は笑顔で応対していった。

「レイー」
「トムス。体調はもういいのか?」
「うん、だいじょうぶ。レイ、どっか行っちゃうの? また会えるよね?」

見上げてくるトムスの可愛らしい顔に、愛しさが湧いてくる。

そっと頭に手を置くと、

「ああ、そのうち会えるよ。今度はいっぱい遊んであげる」
と言って、柔らかな髪を心いくまで撫で回した。

「うん!」

トムスは照れたように笑って、母親の元に走っていった。

「――レイ様は、非常に子供に好かれますね」

そう言ったのは、傍らに立つアレンだ。
すると逆隣に立つユーインが憮然とした様子でアレンを睨む。

「……なんか今、俺を見て言わなかった?」
「気のせいだろう」

いつの間にかそれなりに仲良くなったらしい二人はとりあえずおいておき、玲はアルマに向き直る。

「アルマさん、本当に色々ありがとうございます。……母の記憶がない俺にとって、勝手なことですがあなたは本当の母のような存在でした。離れても、ずっと幸せを祈っています」
「……やだね、やめておくれよ。今生の別れじゃあるまいし。また会えるんだろう? それまで精々くたばらず、かわいい息子のことを待ってるさ」
「はい……」

鼻の奥がつんとしてくるのを、こぶしを握り締めて我慢する。
門出に涙は不吉だという。いつかくる再会のためにも、笑って別れたい。
そう思って、ユーインの方を見ると。

「……ユーイン、泣くなよ」

ユーインはいつの間にか涙ぐんでいた。

「な、泣いてない! もう行け、早く行けばいいだろっ」

そんな様子に何だか胸を打たれ、玲はユーインの身体を抱きしめた。

「ほら、また会えるって、散々約束しただろ」
「……うう、分かってるよ、これは汗だ……」

身体は大きくても、やはりこんなときは彼を弟のように感じていたことを思い出す。
背中を撫でてやると、ユーインも思い切り強い力で抱き返してくる。
そんな様子を、アレンは複雑な表情で見守っていた。

「――――アレン、行こう」

ユーインとの長い抱擁が彼の方から解かれると、レイはアレンに切り出した。
いつまでもこうしていては、どんどん離れがたくなってしまうだけだ。

「……行ってらっしゃい」
「はい……行ってきます!」

最後にアルマと抱擁を交わすと、レイは村人皆にそう言って、ゆっくりと踵を返した。

「レイー、元気でなー!」
「またなー!」
「キャーアレン様ー!」
「気をつけろよー!」
「愛してるわー! 絶対また来て下さいねー!」

村人が二人の後姿に向かって、口々に叫んでくる。何かおかしな言葉も混ざっていたが。

「……お前、モテモテだな」
「……」

長い旅の幕が今、上がろうとしていた。

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