801短編集2 サンプル 02
「可愛すぎたプロポーズ」
生まれて初めて告白というものをされたのは、小学校五年生のときだった。
「ゆいとくん、すき」
結人はまだ子供だったが、相手はもっとずっと子供だった。何せまだ物心がついているとも言えない四歳児だ。
「えー、俺も皐月が好きだよ」
「ほんと? うれしい……」
丸っこくて柔らかい頬を染めた、何とも可愛らしい小さな子。
皐月は友達のきょうだいだ。兄の智昭とは五年のクラス替えで初めて同じクラスになった。たまたま出席番号が並んでいて席も前後だったから、すぐ仲良くなれた。
智昭に誘われ家に遊びに行ったとき、後に運命だったと言われる出会いは訪れた。
最初は存在に気づかず、ドアに小さい体を隠しながらこちらを覗く姿を見つけたときは驚いたものだ。
「あれ……兄弟?」
「あーそうそう、皐月っての」
「さつきちゃんか……はじめまして。結人です。よろしくね」
「あ……」
皐月は熱いものに触ったみたいに驚いて、体を引っ込めてしまった。怖がらせてしまったかなと思いきや、またおずおずと顔を出してこちらを伺ってくる。可愛らしさに思わず顔が緩んだ。
「こっちに来て、一緒に遊ばない?」
「えー、俺とゲームするんじゃないのかよ。そいつまだゲームなんて下手でできないぜ」
「お前、あんなに可愛い子に冷たくないか。……ほら、こっち来て。お菓子食べる?」
少し迷いながら近づいてくる様子にますます顔が崩れる。可愛い。
「皐月ちゃん。仲良くしてね」
「うん……」
「挨拶はいいから、早くゲームしようよー」
結人から見ると、智昭は皐月に対して少し冷たいというか塩対応だった。歳が離れているから面倒を見るように親からよく言われていて、時々疲れるのだという。もしかしたら親が皐月ばかり可愛がるのも面白くなかったのかもしれない。
構ってほしそうなのに適当にあしらわれしゅんとする姿に胸を打たれた結人は、遊びに行ったときは智昭の分まで皐月を可愛がった。それはもう甘やかした。後から思えば、責任がないからただ可愛がっているだけの他人で、智昭を責められた立場ではないのだが、それでも皐月はよく懐いてくれた。
皐月は子供だからというだけでなく、顔立ちも文句なしに愛らしい。「一応言っとくけど、そいつ男だよ」と智昭から真実を告げられたときは少しだけ残念な気分になった。それでも可愛いものは可愛い。
だから好きだと言われたときは、ただ嬉しかった。
「ゆいとくん、ぼくとケッコンしてくれる?」
「え、ケッコン……」
「うん、すきなひととは、けっこんしてずっといっしょにいるんだよ」
可愛い告白の次に遊びに行ったとき、皐月は待ちわびていたとばかりに玄関を開けるなり駆け寄ってきた。智昭にも聞こえないように廊下の隅に引っ張って、しゃがんだ結人にそっと耳打ちしてきた。
男同士なのに、まさか結婚したいというほど懐いてくれているとは。結人は脂下がった。
「うーん、大人になったらね」
「やった! じゃあ、けっこんとどけにサインして」
「え……」
せいぜい指切りするくらいかと思いきや、ドラマに出てくる女の人みたいなことを言い出して結人は面食らった。歳の割にはしっかりしてる気がしたけど、実際聡明らしい。
「けっこんするときは、けっこんしますっておなまえをかくんだって」
「へえー……」
「これに、かいて」
出してきたのは画用紙だった。さすがに本物の書類のわけはないか。
物が残ったら後で智昭に見つけられて、からかわれそうだけど、キラキラした目で見つめられたら断れなかった。
「ゆいとくんとけっこんします。よしのさつき」――四歳なのにしっかり字が書けている。やっぱり末恐ろしい。真似して「さつきくんとけっこんします。わたなべゆいと」と書くと、皐月は嬉しそうに笑った。そんな顔が見られるならいいなと思った。どうせすぐに忘れる子供の遊びだ。と、そのときは思っていた。
◇◇
智昭とは、常に家を行き来するほど仲がよかったというわけでもない。中学では部活も違うしクラスが変われば疎遠にもなる。
次に告白を受けたのは、中学二年生のとき。二度目の告白も同じ相手からだった。
「ゆいとくん、俺と付き合ってくれる?」
「え……」
「けっこんしようって約束したよね」
智昭とまた同じクラスになって、何人かでテスト勉強しようと家に集まったときのことだ。久しぶりに顔を合わせた皐月に開口一番言われた。
まさか覚えているとは。結人は驚いて固まった。
皐月は七歳になっていた。背は伸びたものの可愛らしい容姿は全く損なわれていない。
一方の結人は第二次性徴を迎え、多感な時期真っ只中だった。自分のことでいっぱいいっぱいで、余裕なんてどこにもない。
「うーん、でも……男同士だと結婚できないんだよ」
「だいじょうぶ、外国ならけっこんできる国があるから」
迷うことなく返されてまた驚く。ちゃんとそんなことまで調べていたのか。
「……で、でもまだ小さいから、付き合うとかはちょっと」
「……大きくなったら、付き合ってくれる?」
「うん、そのときに皐月くんが俺を好きだったらちゃんと考える」
「おーい結人、早く数学のノート写させてよ」
「分かってるって、じゃあね皐月くん」
その日は勉強という名目があるので皐月と遊んでいるわけにもいかず、後ろ髪を引かれながら智昭の部屋に行った。最後に見た皐月は少し、しょんぼりしているように見えた。
このときもまだ、どうせすぐに忘れるだろうと思っていた。七歳なんて子供だ。結人が七歳の頃を思い返せば、可愛いキャラクターのゲームが好きで、流行の芸人のギャグを真似して、夕方にやっているアニメを毎日のように見て、戦隊ヒーローの変身ごっこをして遊んでいた。どれも成長するにつれ少しずつ興味が薄れて、今では何がそんなに楽しかったのかよく思い出せないくらいだ。
子供の好き嫌いなんて、そんな風にコロコロと変わるものだ。
◇◇
次の告白を受けたのは高校生の頃。皐月はまだまだ小さい。それでも顔立ちはしっかりしてきて聡明さを増していた。
智昭とは高校が別れた。部活も熱心にやっていた智昭の進学先の方が偏差値が高いのがちょっと癪に障る。
二年の夏休み、中学の時の友達の集まりで智昭の家に遊びに行った。
いつもどう察知しているのか、家に上がらせてもらうとすぐひょこりと顔を出す皐月が今日はいない。
ほっとしたような残念なような気分になったのも束の間、しばらくしてトイレに行こうとしたときに皐月は不意打ちで現れた。強い目力でまっすぐに結人を見つめてくる。
「結人くん、好きだよ」
「ええっ……ま、まだ?」
「まだってなに? 僕の気持ちは変わらないよ」
結人は少し焦った。皐月もそろそろ小学校の高学年。普通なら同学年の女子に惹かれたりするものではないだろうか。少なくとも結人はそうだった。
――いや、まだ所詮子どもだ。女にムラムラしたこともない子ども。懐いている相手に無邪気に甘えているだけなのだ。
「でも、皐月はまだ子どもから」
「……やっぱり、まだ早かったか」
「それにもう少ししたら、好きな女の子とかできるかもしれないし」
「できないよ」
即答された。そして壁際に追い詰められる。皐月のほうがずっと小さいのにびっくりするような圧を感じて結人はたじたじになった。
「結人くんも、俺との約束忘れて女の人と遊んだりしないでね」
「しっ……してない」
「本当に?」
「…………本当」
思わず嘘を吐いた。周りの男子に張り合ってモテたい女子と付き合いたいと思ってたし、実際一度だけ、文化祭の勢いでいい感じになった女の子と付き合ったことがあった。
しょせん勢いは勢いで、祭の熱が冷めてみると趣味も性格も合わず、相手の「思っていたのと違う」が伝わってきて、キスすらしないまま別れてしまったが。
皐月に後ろめたさを覚えるくらいなら、最初から付き合わなければよかった。あんな小さい頃の約束なんて子どものおままごとで効力はないはずなのに、まっすぐに見つめられると言葉に詰まってしまう。
◇◇
高校が別れた智昭と、大学でまた腐れ縁が復活した。それでももう智昭の家には行かないほうがいい。結人の本能がそう言っていた。皐月と過ごした時間はごく短く断続的だったのに、記憶には鮮明に焼き付いていた。
だから次の再会は家ではなく、結人のバイト先だった。可愛いバイトが多いと評判のカフェで、皐月はどんな可愛い女子よりもキラキラして目立っていた。
「あの子めっちゃかわいくない?」
「ヤバい」
女子達が色めきだつ。一瞬誰だか分からなくて、でも強い瞳は全く変わっていなくて、結人は絶句した。
「――俺と、付き合ってくれる?」
「…………」
中学生になった皐月は、もう小さくて可愛いとは言えないほど背が伸びていた。それでもまだ大人ではない。声も低くなりきっておらず、大人になろうとしている途中の少年の危うさがあった。
「ずっと結人くんのことが好きだよ」
「あっ……う、嘘」
「嘘じゃない」
まだ中学生だ。分かっているのに――うっかり皐月相手に赤面してしまった。
はっきり言って可愛いバイト女子達が霞んで見えるほど皐月は綺麗な顔をしている。欠点が見当たらない。こんな子が自分を、兄の智昭からは「アホで抜けてるけど優しいから好き」と馬鹿にした評価を下されるような結人を好きだなんて、おかしな話だ。でもとても冗談には聞こえない。もし冗談でからかっているだけなら、今すぐにでも俳優を目指すべきだ。この容姿に迫真の演技力が加われば売れっ子待ったなしだ。
「でっ……でも、まだ子どもだし、俺より小さいじゃん。付き合えないよ」
「結人くんより大きくなったら、付き合ってくれる?」
「それは……」
皐月は成長期の真っ只中。結人の身長は成人男性の平均程度で止まったままだ。皐月のこの綺麗な顔でそこまで大きくなるのは想像しがたいが……。
慌てていると社員から声をかけられた。うっかりバイト中だということを忘れかけていた。
「渡辺君、ちょっとキッチン手伝って」
「は、はい!」
「……また来るよ」
皐月は名残惜しそうに帰っていった。結人は激しい運動もしていないのに汗をかいて、どっと疲れていた。その日は仕事中にミスを連発することになり、間もなくバイトは辞めた。
「十年と数日目の想定外」
俺は男が好きだ。男好きという呼び方だとちょっと語弊があって好ましくない。心から男を愛でたいと思っている清く正しいゲイなんだ。
何が清く正しいんだって笑われても、二十代半ばまで童貞を守ってきたと告白すればみんな黙る。そして今度は憐れみの眼差しを向けられる。屈辱だ。
ゲイにも色んなタイプがいる。短髪に筋肉質でいかにも男らしい容姿のヤツから、一見ホストっぽいヤツ、アイドルみたいな可愛い系、どこにでもいる普通のヤツまで。俺はまあ、最後の一族だ。そりゃあ華々しくモテるとは言い難い。
だからって全くチャンスがなかったわけじゃない。俺はヤれればいいだけじゃなく、ちゃんと好き合って関係を深めていくパートナーを求めていたんだ。男がそういう男を探すのは簡単じゃないし、それでもいつかは……って夢見てた。
なのに、そんな俺の純情は一夜にして無残に打ち砕かれた。一人の忌々しい侵略者によって。
椎名という男は、ゲイを大まかに分類してもどこにも属さない特別な存在だ。
とにかく容姿は文句のつけようがない。顔は男前で色気があり、身長は百八十を超えているし、良い企業に勤めてて知識が豊富だし、男らしいけど男臭すぎずいい匂いがしそうだし、そんなスペックでなおかつ他人に好かれるように振る舞うことにも長けてる。
ここまで褒めるとまるで俺が椎名に好意を持ってるみたいだけど…………実際、高校のときは持ってた。昔から椎名は変に魅力があって、友好な関係から恋心に変わるまで時間はかからなかった。
しかし、清水の舞台から飛び降りる覚悟だった告白に対する返事は「――は? マジで無理。キモい」だった。酷いとしか言いようがない。
ちょっといけるかもなんて勘違いしていた自分が恥ずかしすぎて、思い出すだけで悶絶する完璧な黒歴史だ。もう十年近く前だから時効と思ってほしい。
俺が失恋の傷を引きずってるうちに、椎名は周囲で評判の美人や美青年と関係を持ち続けた。椎名は俺と違ってゲイじゃなくて、だからってノンケでもなくて、つまりバイだった。男にも女にもモテるので正に入れ食い状態。男の敵であり女の敵でもある。つまり人類の敵だ。
もちろん俺にとっても天敵だ。ただし一方的に。前述の通り椎名にとって俺は論外で眼中にないので、俺が毒牙にかかることは永遠にない……はずだった。
だから、俺がまさかあいつに……尻の中にでかいち〇ぽをハメられ、ガンガン犯されて中出しまでされるなんて、晴天の霹靂としか言いようがなかった。
「くっ……」
俺はずっと苦悶の中にいる。そもそも俺はずっとタチのつもりで生きてきた。そりゃ経験はないけど。脱童貞の前に処女喪失しちゃったわけだけど。
でも、オナニーのときだってタチ側に自分を重ねてシコッてたし、好意を持つ相手も基本ネコっぽい子だった。椎名への気持ちだけは盛大に間違ったけど、そこは視野が狭い高校生だったし仕方ない。
そんなタチ(のはず)の俺に、椎名は容赦なく責めて、初めてのアナルを強引に拓いて、「お前はメスだ」なんて、心にも体にも何度も何度も教え込むみたいに……。
思い出すと背筋に悪寒が走る。何でああなったのか。家に押しかけて椎名に出来心で買ったオナホを見つけられ、面白がられてオナニーしてみろって命令された。
そうだ、完全に遊ばれてた。……遊ばれてたんだ。
何で俺にハメる気になったのか知らないけど、たまたま溜まってたんだろう。キモくて無理な俺にハメるくらい。くそ、あいつのせいで高校時代の傷まで抉られて胃の辺りが痛みっぱなしだ。
何せ椎名は、俺の告白に「マジで無理。キモい」と残酷に突っぱねた男だ。忘れたくても古傷はずっと残っていて、こういうときには鈍い痛みがぶり返す。
断り文句なんて「恋人がいるからごめん」とか「友達としか思えない」とか、いくらでも言いようはあっただろうに。椎名への淡い感情は、あの瞬間粉々に打ち砕かれたんだ。粉々になったものは二度と元通りには修復できない。
ネットで知り合った男と会うことになってて、やっと童貞卒業の希望の光が見えた矢先のことだったから尚たちが悪い。その相手――トモヤとはとても会える状態ではなくなって、泣く泣く約束をキャンセルした。
会ったわけじゃないけどトモヤをいいと思ってた。椎名なんてクソだと思ってた。だけど抱かれたあの日以来、ずっと椎名ばかりが俺の頭の中を占領してトモヤのことは約束すら忘れかけてた。
あいつにとっては完全に気まぐれの遊びに違いないのに、俺は今までの人生そのものを揺るがすような衝撃に打ちのめされてる。なんて不公平なんだろう。
「真生くんじゃん、久しぶり」
「ど、どうも」
俺は久しぶりにいつものゲイバーに足を運んだ。足繁く通えど通えど相手が見つからなくて、ふてくされて、それでも何だかんだで誰かが飲みの相手になってくれた、仲間の集まる実家のような場所。
でも今となっては実家さえ安心できるとは言い難い。今日は大丈夫なはずだけど……。
「んだよ、いつにも増して挙動不審だな。久しぶりだから店の入り方も忘れたか? ち〇ぽの入れ方は忘れないのにな」
「おい、真生くんはち〇ぽの入れ方も知らないよ。酷いこと言うなよ」
「うるせーよ、入れ方くらい知ってるって」
初っ端からしょうもない下ネタいじりの洗礼を受ける。この程度でへこたれてたらモテないゲイなんてやってられない。
今日の先客は時々つるんでるゲイ仲間二人。ふっと哀みの笑みを向けられた。
「真生くん、それジャンボジェットを運転したことないやつが運転のやり方知ってるって吹くようなもんだよ」
「何でジャンボジェット? せめて車でいいじゃん車で」
「いやほら、難易度的に適切かなって」
「んだよ、じゃあ誰か教習してくれんのかよ、俺に入れ方を」
「……」
「……」
「……無言やめろよ」
「あーほら、ジャンボジェットだってまずはシミュレーターとかで練習するもんだろ? 知らないけど。つまりさ、最初から人間相手に実践しようなんて無謀はやめて、練習してみたら。オナホとかで」
「無謀……人間相手にヤるのがそんなに無謀……?」
誰も俺に入れさせてくれるヤツはいない。そんなこと知ってたけど、オナホって単語にびくっとする。挙動不審が復活してしまいそうだ。
椎名に煽られてオナホにち〇ぽを突っ込んで、腰を振らされた。サラダ油をドバドバ注がれたからすごく滑って、気持ちよくて、高い声が嫌でも出ちゃって、「こんなんじゃメスにしかなれない」なんて罵倒されて……。
「……」
「おーいどうした真生、怒った?」
「まだシラフなのにからかいすぎたか。悪いな、お詫びにオナホ今度買ってやるからさ」
「うるせー」
ビビってるなんて思われないように慎重に店内を見回す。今日は椎名は来ない。来ないって分かってなきゃ来れるかってんだ。
何せ椎名は界隈では有名人で、色んなヤツがお近づきになりたいと狙ってるので、情報を集めるのは簡単だった。ちょっと個人情報の扱いが怪しいゲイの情報網によると、昨日から出張に行っていて、帰ってくるのは明日らしい。
椎名の顔なんて今はとても見られない。こっちは弄ばれた被害者だっていうのに、なんで避けて回らなきゃいけないんだか。
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