後輩のおかず サンプル 02



 乳首を弄った後はしばらくその敏感さに落ち込んで、誘惑に勝てなかった自己嫌悪を覚える。
 でも、喉元過ぎれば熱さを忘れるってやつで、快感の余韻がすっかり引いたらだんだん冷静になってくる。
 それはそれ、これはこれだ。乳首が敏感だろうが俺は普通の男だ。心まで変になっちゃいけない。
 というわけで気を取り直して。宮前は俺が好きなんだと思う。じゃなきゃわざわざリスクを犯して俺の部屋でオナニーするなんて、理由がどこにもない。
 意識し始めたら気になって仕方なくなる。
「おはようございます」
「お……おはよう」
 顔を合わせたのは次の日の朝だった。俺は乳首オナニーで気力も体力も削られた挙げ句、宮前のことを考えて悶々として睡眠時間が削られ、寝不足で目が腫れぼったくなっているというのに、当の宮前はいつもどおりの澄ました顔をしている。
 でも、そんな顔をしても、本当は俺でオナるくらい俺のことが好きなんだろ?
 リビングに座ってコーヒーを飲む宮前の対面に座り、じっと凝視してみた。何かを確かめるみたいに。
 それにしてもムカつくほど綺麗な顔をしてる。雰囲気イケメンとかいうレベルじゃなくて骨格から綺麗なんだと思う。目を伏せてるとまつげの長さが分かるし、肌もニキビ一つできたことがなさそうだ。
 俺の視線に宮前はしばらく知らないふりをしていたけど、少ししてこっちを一瞥してきた。
「……なんですか、何か気になる点でもありますか」
「い……いや、別に」
「そうですか」
 そのまま興味をなくしたみたいに目線を落とし、スマホを弄り始める。
 ……何だか肩透かしだ。いつもどおりすぎる。想像では俺の熱視線で照れて赤面して、可愛げのある顔の一つも見せるはずが。
「まだ何か?」
「な、なんでもないってば」
 スマホから目を離さないまま追い打ちをかけられ、俺は反射的に席を立った。
 けっして逃亡したわけじゃない。朝ごはんを準備するためだ。腹が減っては戦ができないのである。
 宮前に気をとられたせいで、トーストはきつね色を通り越して焦げ茶色になってしまった。バターを塗ってごまかす。これはこれで香ばしくて悪くはないし。
 
 ◇◇
 
 その後も宮前に変化は見られなかった。
 営業部のオフィスで、俺たちの席は隣あっている。宮前が入社してきたときには、何とかお近づきになりたいと女子社員が色めき立ったもんだけど、基本こいつは美人にも等しく塩対応なので、今は遠巻きにされている。モテてるのは変わりない。
「なあ、A社の納期これきつくない? 大丈夫なのか?」
 まずはいつもよりちょっと距離を縮める作戦だ。男は結局、肉体的な接触に弱いと相場が決まってる。
 書類を見せながら横に並んで、過剰なくらい顔を寄せる。やっぱりまつげが長い。それにちょっといい匂いがするような。近くにいないと気づかない程度の仄かな匂いだ。
「ああ、工場には確認済です。それでいけます」
 ……宮前は淀みなく答えた。本当に一切、何の淀みもなく。
「ほ、ほんとにぃ? てか似たようなケースで俺が頼んだらスケジュールが厳しいって突っぱねられたし、ギリギリになってやっぱ無理でしたとかならない?」
「重要な案件なので説得しました。問題ありません。……それだけですか」
 綺麗な顔でちょっと鬱陶しそうにされて、俺のほうが怯んで仰け反ってしまった。
「大丈夫ならいいんだけど」
 動揺一切なし。ついでに仕事でも負けた気がする。引き下がるしかなかった。
 
「宮前、たまには飯行かない? 近くの定食屋」
「何故?」
「な、何故って」
「すみませんがこれから外回りに出るので」
「あ、そう……」

「…………」
「…………」
「…………」
「…………はあ…………」

 珍しくランチに誘ってみても、思わせぶりにちらちらと目配せしてみても、一向に反応なし、というかいつも以上にそっけない気がする。
 宮前よ、俺のことが好きなんじゃないのか。恋する乙女とは程遠い態度だぞ。俺のことが好きなはずなのに。……はずだよな?
 でも、と俺は思い直した。今までだって、宮前から好意を感じたことは一度たりともない。
 俺から宮前への印象は、優秀でクール、愛想に問題があって普段は口数が少ないけど客受けはよくて上司受けも何故か悪くない。馬鹿みたいに女にモテるから裏では食いまくってる可能性あり。そんな感じだった。半分は僻みだ。まさか俺のことが好きだなんて、可能性が存在することすら考えたこともなかった。
 あの日の宮前は、溜まりに溜まったものが爆発したみたいだった。普段の様子からは同一人物とは思えないほど熱っぽくて、思い出すたびに……駄目だ、仕事中に思い出したら。変な気分になってしまう。
 つまり宮前は本当は俺にエッチなことをされたいけど、叶うはずがないから普段は絶対悟られないように振る舞ってる、ってことじゃなかろうか。いくら宮前がイケメンで優秀でも、俺たちは男同士だ。俺だって、もし真っ向からぐいぐい来られてたら引いてたと思うし。
 というわけで、俺はもう少し積極的に仕掛けてみることにした。
 
「なあ宮前、今日飲みに行かない?」
「……何故ですか」
「何故って、まあなんとなく飲みたい気分だし。飲みに行くのにそんな理由いる?」
「俺はてっきりまた見知らぬ女性と引き合わされるのかと」
「う……」
 二人で飲むとなれば、下心があるならホイホイ乗ってくると思ったのに。
 確かに前、別部署の女の子に頼まれて、宮前をそうとは知らせず連れ出して二対二で飲んだことがあった。俺は女の子のうちの一人に下心があって、女の子二人は宮前に下心があった。宮前だけが乗り気じゃなくて、結局誰の下心も実を結ぶことはなかったわけだけど。
 今思えば宮前は女じゃなくて俺のことが好きだったんだから、気分を害して当然だ。あのときは悪いことをした。
「今日はマジで二人だよ。奢るしどうよ?」
「……遠慮しておきます。今日中に済ませておきたい仕事が残っていますし」
「え、残業? 働きすぎはよくないと思うけど」
「そういう木野さんは随分余裕ですね。B社へのプレゼンは鳴かず飛ばずだったと愚痴を言ってましたが、その後の進捗はどうなんでしょうか」
「くっ……」
 断られた上に痛いところを突かれて撃沈した。
 ツンデレにしてもツンが過ぎるぞ宮前。

 結局俺は一人寂しく大衆居酒屋で一杯ひっかけて帰ることにした。生ビールと焼き鳥を適当に頼んでカウンターに腰掛ける。
「なんだー兄ちゃん、若いのに一人で飲んでるのか、寂しいねえ」
「はは……」
「おーい、ちょっとこっち来いよ、一杯奢ってやるよ」
 少ししたら常連らしきおっさん達に絡まれた。あんまりそういう気分じゃなかったんだけど、この場で彼らに逆らうすべはない。行きつけの居酒屋という空間ではこの人達が主だ。会社ではうだつが上がらなさそうですね、なんて口が裂けても言ってはいけない。
「見てくれは悪くないのに、彼女もいないのかあ?」
「いやあ……気になる子ならいるんですけど」
「おっどういう女だ? どうせ顔で選んでるんだろう。そんなんじゃすぐ騙されるぞお。女は心よ、心」
「そりゃべっぴんに相手にされない男の言い訳だろー。本音はおっぱいよ、おっぱい」
 おっさんというのはくだらない下ネタが大好きだ。真っ赤な顔でおっぱいを連呼してはでかい声で笑ってる。
 俺もやけくそみたいに酒を傾けた。酔いが回ってくると、馬鹿みたいだと思ってたやりとりに乗りたくなってくるから困る。
「俺の気になってるヤツは、めっちゃ美人なんですよ。仕事もできるし。性格はクールで、普段はちょっとそっけなくて」
「おっいいねえ。美人秘書みたいな?」
「俺とは縁がないと思ってたんですけど、実はその子が、オナニーしてるのを見ちゃって。しかも俺の部屋で」
 ぶっちゃけると一瞬、さんざん騒がしかった席が静かになる。その後、店中に響くような笑い声がこだました。
「あははははは、そりゃエロいなあ」
「いいねえ、俺もそんな夢見られる若さがほしいよ」
「美人秘書のオナニーか。週刊誌のエロ記事でそんなの読んだぞ」
「いやいや、最近の若者はあんなもの読まんだろ。エロ漫画だろエロ漫画」
 …………なんと。酔っ払ったおっさんさえ、俺の言うことを信じず笑い飛ばされている。
「どうした兄ちゃん、黙っちまって」
「おい、もう帰るのか。もっと聞かせてくれよ、美人秘書の実話をよお」
 俺は黙ったまま、金だけ払って席を立った。
   千鳥足になりながら寮に着いた。このまま寝てしまいたかったけど明日も仕事という現実が待っている。
 居酒屋はかなり空気が籠もってて、スーツからはタバコと酒と煙い臭いがする。消臭スプレーをかけようと脱いだら微妙に汗をかいてるし、髪や下着にまで臭いが染み付いてる気がする。
 明日なんてどうでもいいと思えるほどには楽しく酔ってない。俺はけだるい体を引きずって風呂場に向かった。
 が、脱衣所に入ってから先客の存在に気づいた。電気はついているしシャワーの音が聞こえる。
 寮の風呂場は共用だ。脱衣所もシャワーの数も湯船も、一応複数人入れる造りになってる。でも当然銭湯なんかと比べたら狭いし、できれば一人でゆっくり入りたいって人が多いから、急いでるとき以外は時間をずらして入るのが暗黙の了解になってる。小さい寮だからそれで特に問題なかった。
 引き返そうか迷ったけど、そうしたらまた戻ってくるのが相当面倒くさい。几帳面に畳まれた先客の服には見覚えがあった。
「……」
 俺だって人一倍、他人と一緒にならないように気をつけてた。だって乳首が敏感だから。
 乳首そのものは、ちょっと色がピンクっぽくて、人より勃起しやすいってくらいで、異常な見た目をしてるわけじゃない。ただ、絆創膏を貼ってるっていうのは絶対見られたくなかったから、脱衣所では特に人の存在に気をつけていた。
 もしデリカシーに欠ける先輩達に見つかった日には、からかわれ倒した挙げ句、ふざけて触られかねない。そこで変な声でも出そうものならどうなることか。
 後輩なんかはさすがに触ってはこないだろうけど、ドン引きはされるだろう。噂が広まって、上司や女子社員にまで好奇の目で俺を見るようになるとか、耐えられない。
 でも今日は、いつもの警戒心が働かなかった。酔いが俺の背中を押した。
「んっ……」
 いつもどおり、万が一にも見られないようにシャツを着たまま手を突っ込んで絆創膏を剥がす。
 絆創膏の恥ずかしさに比べたら男の前で全裸になるなんて屁みたいなものだ。躊躇いなく服を脱ぎ捨てて浴室に入ると、目論見通りの人物がそこにいた。
 宮前は俺に気づくと、体を洗う手を止めて一瞥してくる。
「……勝手に入ってくるのはマナー違反ですよ」
「まあいいじゃん。疲れてるしさっさとシャワー浴びたかったんだよ」
 さあどうだ。俺は裸だ。オカズに使って欲情してち〇ぽを扱いてた裸が目の前だぞ。
 反応が楽しみなような、怖いような気がした。なのに宮前は、呆れたみたいに俺をスルーして体を洗うのを再開した。
 え、それだけ?
「あ、あの……」
「なんですか。さっさと浴びたいと言っておいて突っ立って」
「……浴びるけど」
 いつもどおりの塩対応だ。俺の裸に興味がないっていうのか。何で俺の方が宮前の裸をガン見してるんだ。宮前の裸……。
 まだお湯に触ってもいないのに、のぼせたみたいに体が火照った。改めて見ると宮前は、綺麗な顔をしているけど、やっぱり引き締まってて筋肉がついている。
 無駄な贅肉とは無縁そうだ。特別トレーニングしてる様子もないのに、体質なんだろうか。やっぱり実はあのとき、オナニーじゃなくて筋トレを……いやいや。
 体を洗ってるだけで筋肉の動きが見えて、綺麗な肌の上をボディソープの泡が流れるのに目が釘付けになる。
 比べると自分の体が貧相に思える。腹が出てるわけでも骨が浮くほどガリってわけでもないのに、なんかのっぺりしてるというか……。
 棒立ちしてる間に、宮前はシャワーで泡を洗い流した。何も体を隠すものがなくなる。俺は見ていられなくて慌てて視線をずらし、できるだけ宮前から離れて別のシャワーの前に座った。
 おかしい。本来宮前がするべき反応を俺がとってる。
「く……っ」
 悔しさを噛み締めつつ、煩悩を洗い流すみたいに頭をぐしゃぐしゃと洗った。
 宮前は体を洗ったらさっさと出ていく、と思いきや、当然のように湯船に浸かっている。余裕だ。余裕がないのは俺だけだ。
 湯船に背を向けて体を洗う。無心だ。でも後ろには宮前がいる……。
 もしや俺の姿を観察しているんじゃ、と勘ぐってチラ見してみたけど、宮前は俺なんかいない扱いでゆったりしてる。濡れて肌に張り付いた髪がやけに色っぽい。
 いやいや、色っぽいとか考えるな。
 体が熱い。酔いとシャワーのせいだけとは思えない。乳首がじんと疼く。この前乳首オナニーしたばっかりだから、そこまで疼くことはないと思ってたのに。
 いつも乳首を洗うときには慎重になる。とろみがあるボディソープの泡で擦ると、自分でやっても声が出てしまうことがある。
 長い時間絆創膏を貼っているから、一応ちゃんと清潔にしとかないといけない。慎重に、乳首には触らないように。タオルだと大雑把になってしまうので、乳輪やその周りを、ボディソープをつけた指でゆっくり擦る。
「んっ……」
 いつもどおりにしなきゃ。そういう気持ちが俺を焦らせる。後ろから微かに聞こえる水音にどきっとして、ぬめった指が乳首を掠めてしまった。
「あっ……んっ、ごほぉっ」
 ずきっと鋭い感覚が走って、甘い声が出た。苦し紛れに咳き込んだけど聞こえちゃったかも。どうしよう、どうしよう。
 声をごまかすには遅すぎるのに、酔って混乱した俺は迷采配に出た。シャワーのレバーを一気に限界まで押し上げる。
 当然勢いよくシャワーが出てくる。水圧が痛いくらい肌を叩いて泡を洗い流し、細かい水の飛沫は乳首にも思い切り被弾した。
「あぁんっ……ひあっ、あっ、あっ
 勃起した乳首に、水が凶器になって刺激する。ローターかバイブを当てられたらこんな感じだろうっていう、強くて容赦がない感触に悶絶する。
 俺は必死に手を伸ばしてシャワーを止めた。
「ふああっ……んっ……
 何という失態だ。ここが戦場だったら俺はとっくに戦死してる。浴場でよかった。
 と現実逃避しても、強烈なシャワーのせいで乳首が取り返しがつかないくらいじんじん勃起している事実は覆せない。酔ってち〇ぽは勃たないだろうことがまだ救いだ。……と思ったらちょっと反応してる。
 隠さなきゃ。とにかくそれしか頭になかった俺は――さり気なく湯船側からは乳首が見えないように細心の注意を払いながら、湯船に入った。
「…………」
「…………」
 まあ、さすがに入ってすぐに、正解は浴場から出ることだったとは気づいた。自分で自分にびっくりだ。
 でも入っちゃったものはしょうがないじゃないか。賽は投げられたのだ。
 宮前のどうせ涼しい顔をしてるんだろう。湯船に入って涼しい顔ってどういうことだ。俺はちらっと盗み見る。
 そしたらばちりと目が合ってビビる。意外と涼しくはない顔で、ちょっと上気してて、いつもより瞳孔が開いてて、やけに色気がある……。
「あのさ……き、聞こえてないよな」
「何が?」
「だからその、……なんでもない」
 気まずすぎる。一度入った手前すぐに上がるのもおかしいかと思って、頭の中で悶々と数を数えて百に達したら、俺はそそくさと湯船から上がった。
 服を着て脱衣所を出るときにも、宮前はまだ湯船に浸かってるみたいだった。案外長風呂するタイプらしい。俺だったらとっくにのぼせてる。宮前の裸と俺の馬鹿みたいな乳首のせいで。
 部屋に戻って、ようやく俺は思い至った。――宮前って俺のこと好きでもなんでもないんじゃないかって。
 だったらとんでもない勘違いだ。恥ずかしすぎる。
 俺はベッドの上でバタバタ暴れた。そしたら隣の部屋の先輩に壁ドンされ、仕方なく静かに恥ずかしさに悶えた。
 

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