昼下がりのバイブ夫視点 02



 結婚に愛情など不要だと思っていた。
 自由恋愛が進み、意に沿わぬ結婚を強いられる不幸な人間は減った反面、未婚率は上がり続ける世の中。同性婚が正式に法律で認められたのは数年前のことだ。
 親は一向に浮いた話のない誠一にしびれを切らしたのか、これ幸いと思ったのか。誠一の預かり知らない水面下で話は進められていた。
 結婚願望があったわけではないがさして反発もしなかった。それなりの家柄に生まれた誠一は、すでに親のみならず親族や付き合いのある家からも結婚はまだか、いい人はいるのかと窺われている立場であった。頑なに独身を貫いて、延々とせっつかれ続けるほうが煩わしい。
 結婚相手が誰だろうと大きな問題ではない。が、元々見知っていた相手であることが、拒絶しなかった一因であるのは否定できない。
 楓は、古くから付き合いがある家の子どもだった。

『楓、結城さんの家の誠一くんよ。挨拶しなさい』
『……こ、こんにちは』

 母親の後ろに隠れ、大きな目でこちらを見つめてくる小さな子。可哀想なくらい萎縮している。こういう場が苦手なのだと察せられた。
 無理もない。純粋に親交を深めるという名目で集まった大人は、実際のところ皆何かしら腹黒く思惑を抱えている。幼子にその意味は理解できずとも、鈍感でなければぴりついた空気を感じ取れてしまう。楓は特に感じやすい子のようだった。
 びくついているところを母親に叱咤される。

『はじめましてでしょう。すみませんね、この子人見知りが激しくて』
『いえ、僕ももっと小さいときはそうでしたから。――よろしく、楓ちゃん。僕は結城誠一です』
『あ……』

 誠一も物心ついた頃からこういった席を煩わしく思っていた。ただし楓とは性根から違い、至ってふてぶてしい態度をとっていたが。
 この母親には愛想よくしておけと親から申し付けられている。誠一はしゃがんで楓と目を合わせ、手を差し出した。
 握った手は笑ってしまいそうなほど小さく、柔らかかった。

『せいいち、くん……』

 ずっとビクビクしていた楓が、手を握ると桃みたいな頬を赤くして微かに笑った。もしかしたら知らない人ばかりの場で仲間を見つけた気分だったのかもしれない。
 小学生にして早くも腹黒い大人の仲間入りをしつつあった誠一だが、その一瞬には何というか、虚を突かれた。
 図らずも懐かれてしまったのだから守ってやらなければ可哀想だ。――弟や年下の従兄弟にも抱いたことのない感情だった。楓の笑顔は弱々しく、壊そうと思えばものの数秒で壊せてしまえただろうけど、そうするのは憚られた。

『あっちにケーキがあるよ。食べる?』
『――うん』

 小さい手を握っていたのはほんの一時のことで、その後すぐ親の海外赴任に着いていくことになり、長い間顔を合わせることはなかった。幼かった楓が覚えていなくても無理はない。

 彼の噂は漏れ聞いていた。学業はそれなりに優秀だが控えめで前に出られない性格は変わっていないようだった。久しぶりに見たとき、確かに面影を感じた。しかしどこかおかしな危うさが加わっていた。見合いとは名ばかりの顔合わせのとき、少しの待ち時間で知らない男に声をかけられているのを見たときは目を疑った。
 男はニヤニヤといやらしい顔をして楓に近づく。楓は下心に気づいていないのか親切に応対し、おすすめの観光地などを訊かれ必死にスマホで調べて教えていた。
 何をしている。その男の手にあるスマホで調べさせればいいだけではないか。誠一は足早に二人に近づき、戸惑う楓を連れ去った。
 ――楓との結婚を積極的に拒まなかったのは、不快な想いをさせられる可能性が低いと読んだからだ。
 金遣いが荒かったり束縛が激しかったり、何かと主張をゴリ押ししてくるようなタイプは論外だ。その点同じような家に生まれ、自分の分を弁えていそうな楓なら扱いやすいだろうと。
 が、中年に馴れ馴れしくされる楓の姿を見て、誠一は早速不快な想いをさせられた。
 互いの両親は楓を専業主夫にするつもりらしい。誠一としては仕事を持って外に出て、家庭以外に生きがいや依存先を持っていたほうがいいと思っていたが――考えを改めた。金なら十分に誠一が稼げばいい。

 結婚後も、楓はいつも誠一に余所余所しかった。それも無理のない話なのだろう。
 誠一の親は大事な結婚相手として抜かりなく楓のことを調べさせ学生時代の素行まで把握しており、交際の経験が乏しいこと、下手をしたら結婚まで性行為の経験がないこととも承知していた。
 夫夫として既成事実は必要だ。が、ベッドを共にすると楓の怯えが分かりやすいくらい伝わってきた。
 灯りをすべて消した真っ暗な部屋で、最低限の時間で初夜は終わった。非常に義務的な行為だった。ずっと口を紡ぎ、ただ終わるのを待っている楓の姿は憐れな一方で、覚悟を決めて結婚したにも関わらずそれほどに嫌がって被害者ぶるのかという憤りも覚えた。
 誠一もそれほど性欲が強いわけではない。無理強いする趣味もない。夫夫の営みなど最低限でいい。
 そんな考えが一瞬で覆される光景を目撃した瞬間には、雷に打たれたような衝撃を受けた。
 楓が、バイブで自慰をしていた。普段とは別人のようでありながら確かに楓だった。信じられないほど淫らな顔をして、淫らな声を上げて――。
 ――何故バイブなのだ。頭に血が上って、それから全身が熱くなった。
 楓は性欲に乏しいのだと決めつけていた。そもそも想像することを放棄していたのかもしれない。唯一、誠一に対して屈託ない笑顔を見せてくれた初対面のイメージが頭から消えていなかった、というのもある。楓に性欲があろうとなかろうと、無理やり結婚させられた誠一とのそういう行為を厭っているのは確実だろうから。
 誠一にとっては夫夫でありながらおかしなことだが、いたずらに肉欲で汚してはいけない存在として見ていた。なのに。
 バイブを可憐な穴に咥えこんで喘ぐ姿は、とてつもなく卑猥な存在としてしか映らなかった。


text next