根暗な淫魔 02



突然だけど俺にはサキュバスの血が流れている。ふざけた話だが残念ながら事実だ。
子供のときは、自分が周りと同じ普通の人間だと信じて疑わなかった。異変に気づいたのは思春期にさしかかった頃だ。
何かがほしくてたまらない。エロい知識が増えだす時期だし、最初はムラムラしてるってことだと思ってオナニーしまくった。でも一瞬の快感が得られるだけで、欲求は治まるどころか膨れ上がる一方だった。
そりゃもう猿みたいにオナニーしたけど全然駄目。さすがにおかしいと思って俺は悩んだ。
悩んで悩んで、どうしようもなくなったとき、唯一の家族である父親が異変に気づいて様子を窺ってきた。
正直父親に相談するなんて抵抗ありまくりだったけど、そうも言っていられないくらい切羽詰っていた俺は意を決して打ち明けた。
それに対して父親は安心させるように微笑みながら言ったんだ。

「言いにくいんだけど、お前の母さんはサキュバスだったんだ。その血を引いちゃったんだなあ」

とても言いにくいことを言っているようにはみえない能天気さだった。開いた口が塞がらなかった。
更に父親は後日、死人に鞭を打つように追い討ちをかけてきた。

「調べてきたよ。インキュバス……男の淫魔のことね。インキュバスは本来女性の精を奪うものだけど、サキュバスと人間のハーフはサキュバスの性質だけを受け継ぐんだそうだ。つまりだな、言いにくいんだけど、お前に必要なのは男の精だ」
「…………」

父親を本気で殴りたいと思ったのは、そのときが初めてだった。

◆◇

「加藤君、週番の仕事なんだけど」
「……俺が、やっとく」
「あ、そう?」

話しかけてきた女子はすぐ離れて、友達のもとへ行った。

「声ちっさー」
「加藤ってマジ暗いよね。いっつも一人で下向いてるし」
「ね、漫画とかアニメばっか見てそう」
「わかるー」
「これ聞こえてたら呪われそう」

聞こえてるけどな。
俺は五感が並の人間より優れているらしく、陰口がもろに聞こえてしまうのは割とよくあることだ。慣れてはいても気分がよくないことに変わりないけど。
それ以上は聞くまいと、俺は逃げるように教室を出た。



「……でもさ、なんかちょっと、いい匂いしたんだよね、変な感じ」
「えー、何それ?」


◇◆

淫魔というのは、標的を篭絡するために魅力的な外見を持ち、特有なフェロモンのようなものを出しているらしい。特に目には力があるんだとか。 自分が淫魔であるなんて認められなかった俺は、中学のとき担任の男教師に突然体をまさぐられて以来、目が隠れるほど髪を伸ばし常に伊達眼鏡をかけるようにしている。
いつも下を向いて、男とも女ともできるだけ関わらないようにしてきた。見るからに根暗なオタクそのものだ。
そんな俺に親切にする物好きも、世の中にはいた。

「加藤。それ、重そうだから手伝うよ」

爽やかに話しかけてきたそいつの名は南宗也(みなみそうや)。同じクラスの生徒で、とにかく愛想のいいイケメンだ。
爽やかで、勉強もスポーツも上位で、何より誰にでも親切。少女漫画のヒーローを具現化したみたいな男だ。

「べ……別にいいのに」
「俺も教室行くところだから、ほら」

南は俺が持っていた教材を半分以上持って行った。
――ホント、「いい奴」。同じクラスになってから、いつも一人でいる俺に何かと声をかけたり親切にしてくれる。物好きもいいところだ。
廊下を歩きながら、俺の内心なんて知るべくもない南が笑顔で話しかけてくる。

「――加藤ってさ、彼女とかいないの?」
「は? い、いるわけないだろ」
「そうなんだ。好きなタイプは? クラスで誰がいいとか」
「そんなの……、」

何でそんなこと聞くんだ。俺はどこからどう見ても彼女いない童貞野郎だろ。からかってるのか?

「たとえば水野さんとかは?」
「水野さん? そりゃ可愛いと思うけど……」

水野さんは同じクラスで、目が大きくて可愛い感じの子だ。俺の悪口を言ってるところも聞いたことがなくて優しそうだから、密かに好感は持ってる。

「じゃあ、水野さんにもし告白されたら付き合う?」
「は? ないない」
「ないんだ? 可愛いのに」
「ありえないって、分かるだろ、俺があんな」

あんな可愛い子に相手にされるはずがないし、想像しても虚しいだけだ。

「そうなんだ、変なこと聞いてごめんな」
「別に、いいけど……」

そこで教室に着き、俺は教材を置くとそそくさと南から離れた。人気者の南にはすぐ人が集まってくる。俺は隅っこにいるのが一番落ち着く。

「南、手伝ってたの? やさしー」
「南と加藤君って、高低差ありすぎ」
「確かに真逆って感じ。よく話せるねあんな暗いのと」

――それも全部聞こえてるけどな。

「そんなことないよ、普通にいい奴だよ」
「へー、分かんねーわ、暗いしいっつもつまらなそうじゃん、あいつ」

耳が悪くても聞こえるような声で言い放ったのは、久瀬慶太。こいつもイケメンで目立ってるけど、外見からチャラくて女子を食いまくってるらしく、南と違って一部では反感も買ってるタイプだ。
はっきり言って俺は嫌いだ。聞こえてないふりをして文庫本を読む。
俺の学校生活は、基本的にはこんな感じで虚しく過ぎていく。これからもそうなのだろうと思っていた。

◇◇

それを聞いてしまったのは本当に偶然だった。

「で、――?」
「ああ――」

教室の中に数人の女子と男子。入りにくいなとドアの前で悩んでいると、南の声がはっきりと聞こえた。

「水野さんのこと、ないって。付き合うなんて考えられないって言ってた」
「えーマジ!?」
「何様って感じ」
「水野をないって言っても許されるの、せいぜい南くらいだろ」

――何を言ってるんだろう。
確かに水野さんなんてありえないって言った、けどそれは俺なんかが相手にされるわけがないってことで、南がそういう意味だと理解できないはずがないのに。

「根暗なくせに自意識過剰なんだ加藤って。南君なんであんなのにまで話しかけたりするの?」
「うーん、まあ好みは人それぞれだし。正直話してるとちょっと疲れるけど……でも可哀想じゃん? 誰にも話しかけられないなんて」
「優しすぎー」

そこまで聞いて、俺はようやくその場を離れた。
――つまり南は、「根暗な嫌われ者にも優しく話しかける南君」の演出のために俺に親切にしてたのか。盲点だった。
元から好感度はアホみたいに高いくせに、更に貪欲に好感度を求めるのか。教祖にでもなるつもりか。

「はぁ……」

それなりにショックだ。そんな自分が嫌で仕方なかった。



それ以来、クラスメイトの俺に対する扱いはより冷たくなっていった。そんな中相変わらず親切に振舞う南。ある意味見事だと思う。俺もあまり以前と変わらない応対をした。あの話を立ち聞きしてたなんて知られたくもない。



ある日のこと。クラス委員が教壇の前に立って言った。

「えー、修学旅行の部屋割りを決めまーす」

俺は行かないつもりだった。他の生徒達がグループ同士で固まるのをぼうっと眺める。
しかし。

「加藤、よかったら一緒の部屋にならない?」

また南だ。何なんだこいつは。

「えー、マジ? 南」
「なんであんな奴と」
「俺らと同じ部屋じゃねーの? クソつまんねえだろ」
「ん、いや、俺は加藤と一緒がいいと思って」

忌々しいほど爽やかな笑顔だ。周りがひそひそと囁く。

「ぼっちを自分から引き受けるとか、いい奴すぎ」
「ホント優しいよね、中身までイケメン」
「いいなー加藤になりたい」
「それはないわ」

――また好感度上げか。根暗に同情していい人ぶるのは、そんなに気持ちがいいのか。

「あ、じゃあ俺も南と一緒の部屋でいいや。これで全部決まっただろ」
「え?」

言い出したのは久瀬。これは意外だった。

「どうせ女子の部屋行くし。根暗と一緒の部屋でもあんま関係ないよ」
「やだー」

批難するような、どこか甘いような女子達の声。久瀬のブレなさも中々のものだ。しかし裏表がない分、面と向かって悪く言ってくるこいつのほうがマシとさえ思える。

「全く……じゃあ加藤、よろしくな」
「……あ、ああ……」

行かないという暇もなかった。誰もが好感を持つだろう笑顔を見て、俺の中にドロドロしたものが湧き上がってくる。
――そっちがその気なら、こっちだってお前を利用してやる。

◆◇

修学旅行の一日目は団体行動だった。皆が見知らぬ土地を楽しんでいるとき、俺は計画のことで頭がいっぱいだった。

「海綺麗だな。泳げない季節なのが残念だね、加藤」
「……」
「はは、南無視されてんじゃん。てか旅行来てまで俯いてるとか何なの? 暗すぎ」

久瀬に顔を覗きこまれた。はっとして目を逸らしたが、乱暴に頭を掴まれてしまう。

「……お前、眼鏡とったほうがいいんじゃね?」
「は、離せよ」
「あとこの髪型もホントないわ。俺が切ってあげようか? ちょっとはマシになると思うよ。肌は……意外に綺麗だし。てかすべすべしてて笑える、加藤のくせに」
「やめろって……っ」

顔を撫で回され、不快、というよりゾクリとおかしな感覚が湧き上がってきてしまう自分が嫌だ。振り払おうとすると、先に南が間に割って入ってきた。

「やめろよ、嫌がってるだろ」
「何だよ南。お前もぶっちゃけこいつないと思うだろ? 鬱陶しすぎ。俺見た目に気を遣わない奴嫌いなんだよね」
「そんなの個人の自由だろ。お前が口出すことじゃない。ほら行こう加藤」
「……あ、うん」

南が、まるで久瀬から守るみたいに手を引いてきた。女子が周りにいたら俺がボロクソに言われそうなシチュエーションだけど幸い周りには誰もいなくて、振り払うタイミングを逃してしまう。
相変わらず親切ないい人ぶりが徹底していて関心してしまう。
握られた手を意識しないよう、俺は何となく海を眺めた。初めて景色に意識をやった気がする。どうでもいいと思っていたけど日の光を受けてキラキラ輝く海はやっぱり綺麗だった。

「綺麗だな」
「……ん」

微笑まれ親切にされるほど、あのときの南の言葉を思い出して胸がざわつく。
まあいい。そんな風に余裕で笑っていられるのも今のうちだ。


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