異世界にて 01



講義終了を告げる教授の声に、葉山玲は軽く伸びをした。
びっしりと講義内容が記されたノートを閉じて、筆記用具と一緒にバッグへしまう。

「あのさ、葉山君」

席を立とうとしたところを高い声に呼び止められた。
結構可愛いと評判の女の子が立っていて、内心で少しどきりとする。

「何?」
「今日ね、ゼミで仲いい子たちで飲み会やることになったんだ。よかったら来ない? 葉山君とみんな飲んだことないから、飲んでみたいかなって」

自分を誘うなんて、なんの気まぐれだろうと内心首を傾げる。
疑問に思いつつも悪い気はしない。どころか、頬が緩みそうになる。
しかし残念ながら誘いに乗ることはできなかった。

「ごめん。今日はバイトがあるから」
「あ〜……そっかあ。そうだよね。じゃあ次はもっと前から誘ったら、来てくれるかな?」
「ああ」

本当に残念そうに言われて、玲は半ば無意識に微笑んだ。
すると女の子は嬉しそうに笑って、パタパタと友人のもとへ去って行った。
やっぱり可愛いな、と思う。

「や〜〜、モテるねえ玲君」

不意に後ろから肩を叩かれ、玲は溜息を吐きながら振り向く。

「嫌味な奴だな。人の何倍もモテてるくせに」

鬱陶しがってもおかまいなしに肩を抱いてくる梁井亮(やないあきら)に、玲は憮然と言う。
梁井は玲のそう多くはない友人の一人で、入学式で知り合ってからの付き合いになる。
派手で遊び好きな梁井と、勉強とバイトばかりしている玲とでは、とても気が合わずすぐに離れていくだろうと思っていたが、なんだかんだで2年近く付かず離れずの友人関係が続いている。

「いやいや……やたらガツガツしてる飲みサーの男に慣れた子達にとっては、お前みたいなタイプは新鮮で魅力的! って感じなんじゃね。俺なんかはもう飽きられちゃったほうの人種だよ。さっきの美咲ちゃん、可愛かったのにあんなクールにあしらっちゃって」
「クールって……そんなつもりはないけど」

ただ、女の子にあまり慣れていないだけだ。声をかけられて嬉しかった。
ということはプライドが邪魔して飲み込む。
イケメンでフェミニストと持てはやされている梁井よりモテるというのはありえないが、玲だって恋愛に興味がないわけではない。
客観的に見て身長は平均より高いし、顔立ちも、あまり考えたことはないがそう悪くはない――と思う。
ただ本当に女に好かれるためには、無頓着な髪型や服装を何とかしなければならないだろうが。

「またまたぁ。彼女、作らないの? ま、実際作って俺をほったらかしにされるのも寂しいけど」
「よく言うよ。――俺は、あんまり余裕がないし、付き合っても面白い男じゃないと思うし」

玲は忙しい。大学へは奨学金で通っているが、生活費や諸経費はほぼ全てバイトで稼いでいる。
奨学金を貰っている以上いい成績を収めなくてはいけないし、バイトで手を抜くこともできない。
そうなると生来器用ではないため、他のことは疎かになってしまいがちなのだ。

「余裕がないからこそ、支えてほしいって思うもんじゃないの? それに俺は玲って面白いと思うけどな」
「お前のセンスは分からない。……そろそろ行かなきゃ。バイトに間に合わなくなる」
「家庭教師だっけ? 男? 女? たまってても生徒に手出しちゃ駄目だよ〜。出されるのも駄目」
「ばーか」

変な冗談を言う梁井に軽く手を振って、玲は踵を返した。




バイトを終えてアパートに帰ると、消して出たはずの部屋の電気が点いていた。
心当たりは一人しかおらず、玲は小走りに階段を駆け上がる。

「おっ、おかえりー」
「――おかえり、じゃないよ」

ドアを開けるなり目に飛び込んできたのは、能天気に笑う無精髭を生やした男。
あまり認めたいことではないが、玲の実の父親だった。

「なんだなんだ、久しぶりに会ったってのにつれねーなー。お、今から飯の支度か。父さん、お前が作ったハンバーグが食べたいなあ」
「今日は野菜炒めだし一人分しかない。2丁目にレニーズが出来たから行ってらっしゃい」
「ああ、本当に冷たい奴だ。そんなんじゃ女にモテないぞ」

相手にするのも馬鹿馬鹿しくて、玲は溜息を吐いてキッチンに立った。
この父親のせいで、玲は昔から苦労させられてきた。
母親は早々に付き合いきれなくなったのか、玲が物心つく前に離縁したため、玲に母の記憶はない。
寂しい想いはしたし、今でもいい感情は抱けないが、恨みに思う気にもならなかった。
この父親に愛想を尽かせた母の気持ちが、痛いほどに分かるからだ。

「あー、いいにおいがしてきたなあ」
「……」

まず、20年生きてきて父親がまともに働いていることろをついぞ見たことがない。
本人によると職業は『トレジャーハンター』。その時点でふざけきっている。
それでも子供の頃は最低限の義務感はあったのか、玲に家事の一切をやらせたり、時には知り合いに預けたりしつつも、飢えさせることはなかった。
が、義務教育が終わった頃になると本当に好き勝手に放蕩するようになり、玲は苦学生にならざるを得なくなった。

「おっ、出来たか! うーん、肉が少ないけど美味そうだ。少ないって言うか入ってるのか、これ」
「文句言うなら食べなくていいよ」
「何を言う、もちろん食うよ! いただきますっ」

がっつく父親にうんざりしつつも結局のところ憎めないのが、血のつながりというものか、それともただの慣れなのか。

「――ああ、そうそう。今日は玲にみやげがあるんだ。父さんが遺跡に入って、ハントしてきたんだぞ!」
「はぁ……遺跡って、三丁目のあのホテル遺跡?」
「ああ、あのラブホは中々いい……じゃなくて! いやしかし、お前もそんな冗談を言うようになったか。まさか、行ったことがあるのか?」
「な、ないよ。というか行ったことあるのかよ……」

皮肉を言ったつもりが薮蛇だったようで、玲は気まずげに目を逸らす。

「ははっ、そうかそうか、ないか! お前はまだ清い身体か! 童貞か!」
「う、うるさいっ」

デリカシーなど持ち合わせていないとは知っていたが、本当に腹立たしい。
そもそも玲が彼女を作れない原因の一端は、この駄目な父親にあるというのに。

「うん、貞操が固いのはいいことだ。そんな玲に、このお守りの石をあげよう。綺麗だろう」
「いらない。どうせその辺の道端で拾ったものだろ」

それでガス抜きが出来ると思っているのか、彼はときどきこうしてハントしたものだと言って物を持ってくる。
幼い頃は騙されもしたものだが、それは砂浜で丸くなったガラスの欠片だったり、露天商が二束三文で売っていそうな怪しい指輪だったり、とにかくろくなものであったためしがない。
そもそも価値のある品だったら、玲になど渡さずさっさと売りさばいて遊ぶ金にするに決まっているのだから。

「失礼な。これは本当に遺跡で見つけたんだ。ほら、ご利益で彼女ができるかもしれないぞ」
「うるさいな、分かったから……」

しつこい父親に、玲はしぶしぶ石を受け取って――無意識に息を飲んだ。
ガラス玉ではなかった。その石は手のひらの中で、青く鈍く光っている。
輝く宝石の美しさには到底及ばないはずなのに、玲はそれを見ていると何故か心がざわつくような、不思議な気持ちになった。

「おお、気に入ったか。じゃあ俺は彼女のところに行くから。あいや、童貞の玲の前で無神経だったな。知り合いの女のところに行くから」
「……いつか女に刺されても俺は面倒見ないからな」

憎たらしい父親が出て行くと、玲は再び石を見つめた。
電気の光に当ててみたり、両手のひらで閉じ込めて覗いてみたり。
やはり価値があるものには見えないのに、心惹かれるものがある。
あの父親が持ってきたものというのが気に食わないが、捨てるのは忍びない気がした。
その日玲は、石を枕元に置いて眠りに就いた。

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