初めての自由恋愛 02 03



その一、ハタチの誕生日目前に彼女に振られた。彼女は直哉のことを「童貞丸出しできつい」と思っていた。
その二、よりによって彼女を奪ったのはよくつるんでいた友達だった。
その三、上記の傷を紛らわそうと誕生日の深夜にデリヘルを呼んだら、イケメンが来て硬く太い棒を挿入された。
果たしてどれが直哉の人生において最もショッキングな出来事か。なお複数回答は不可とする。

「うう……」

四日ぶりの大学だ。重い腰を持ち上げて、という表現が物理的にもぴったりなほど、しばらくは腰が砕けて動けなかった。体だけじゃなくて精神の疲弊も相当なものだった。
丸々三日ほど一人きりで引きこもっていたから、いつもどおりのキャンパスの賑わいがやけに落ち着かない。

「よ、久しぶり」
「あっ……ああ、」
「大丈夫? しばらく休んでたけど」

教室に入って席につくと、すぐに梅田が隣に来て声をかけてきた。
何を隠そう、俺の運命を変えたデリヘルを紹介してきた男だ。さも可愛い女の子達が相手をしてくれる店なのだとミスリードさせて。

(――落ち着け。こいつは面白がって紹介してきただけで、店の関係者でも何でもないんだから、俺が実際電話したなんて知るはずがない)

「いや、別に平気。ちょっと風邪ひいてただけ」
「風邪? マジで? ふ〜〜ん……」
「な、何」

探るような、気分がよくない視線が直哉に無遠慮に向けられる。
内心不安で胸をざわめかせつつ、動揺を表に出したら負けだと自分に言い聞かせる。

「いや、聞いちゃったんだよね。……彼女、恭平にとられたんだって?」
「……、ああ……」
「ひでーよなあいつ。よく友達の彼女だってのにお構いなしかよ」

――そっちの話か。
きっと直哉が休んでいる間に、友達の間ではすっかり広まっていたのだろう。誰が広めたのかはともかくとして。元カノと恭平――元カノを奪ったチャラい友達――は直哉が偶然目撃してしまうほどおおっぴらにいちゃついていたのだから当然といえば当然だ。
酷いと言いつつ、梅田の目には好奇心が隠しきれていない。

「……別にもういいよ。その程度の関係だったってことだし」
「いやいや、ちょっとは怒るところだろ。お人好しだなあ。あいつ連絡してきた?」
「いや」
「冷たくね。アレのせいでお前何日も休んでたのにスルーかよ」

こんな話したくないのに梅田は食いついてくる。梅田も恭平とそこそこ仲がいいが、女に人気があって可愛い子とも容易に関係を持てる恭平に、妬み混じりの感情を口に出すことがある。「羨ましいわー俺もあの子とヤりたいわー」と冗談っぽく言いながら、本音半分という感じだ。
本気で嫌ってるというわけではなく、友達を止めるほどでもないけど、女関係についてはちょっと気に食わない。だから直哉の口から恭平への恨み節を聞きたがっている。

「休んだのは、マジで体調悪かったからだよ」
「お前がそう言うならそういうことにしとくけどさ。あんなに付き合えて喜んでたのになー」
「……」

その後ちらほらと話しかけてきた友達も、直哉に同情的な視線を向けたり、あるいは興味本位で事情を聞き出そうとしてきた。

「今は顔見たくねえよな、あいつらと鉢合わせしないように俺らも気つけてやるよ」
「俺も彼女に振られたことあるよ。さすがに友達にとられたことはないけど」

励まされても素直にポジティブに受け取れない。
痴情のもつれは仲間内の誰でも盛り上がれる話題で、半ばエンタメ扱いだ。直哉だって誰と誰が付き合ってるとか別れたとかいう他人事の話題に参加していたから文句は言えない。

「まーあれだ。デリヘルでも使ったら? ほら、俺が教えてやっただろ」

梅田がニヤニヤ笑ってそんな助言をしてくる。
……そもそも、最初の友達選びを間違ったかもしれない。直哉は思った。
入学時、直哉は華のある大学生活を送りたくて、可愛い女の子と付き合ってみたくて、オシャレで陽キャなグループに入ろうと少しばかり背伸びした。恭平や梅田は受け入れてくれた……と思ってたけど、ポジションは完全にいじられキャラで、ノリについていけないと思うこともある。
中学高校のときの友達は派手じゃなかったけど、もっと自然体で対等に付き合えていた気がする……。
つい未練がましく昔のことを思い出すくらい、直哉は疲れていた。

――シュウは今、どこで何をしているのだろう。
見当もつかない。直哉が知っているのはかりそめの夜の顔だけ。名前も年齢も昼の職業の有無も、彼の本当の姿は何一つ知らない。
きっともう二度と会うことはないだろう。さっさと忘れるしかないのに、困ったことに今のところ記憶が薄まる気配すらない。どんなこともいつかは時間が忘れさせてくれるというが、一体どれだけの時間が必要なことか。

◇◇

とはいえ数日は何事もなく過ぎていった。
直哉が極力元カノと恭平との接触を避けていたというのもある。講義が被ったらできるだけ離れた場所に座って、空き時間や昼食の時間にも彼らの行動範囲には近づかないようにした。
あからさまに避けていると周りに思われたくはなかったけど、どうせもうバレバレだ。

「直哉、今暇?」

……少しだけ、気が緩んでいたかもしれない。講義が終わって移動する途中、人気の少ない場所で突然声をかけられた。

「……暇、じゃない」
「そんなに警戒すんなよ。取って食ったりしない」
「……」
「悪かったよ。俺だってお前の女に手出すつもりなんてなかったけど、言い訳させてもらうと向こうから誘ってきたんだよね」

どの面下げて会いに来たんだと聞くまでもないくらい、恭平はいつもとそれほど変わりがない。さりげなく退路がない場所に直哉を追い詰めながら近づいてきて、話を続ける。

「お前あの日からしばらく休んでただろ。気にはしてたけど、俺から何か言うのも逆なでするだけかと思ってさ」
「別に、恭平達のせいで休んだんじゃないし」
「そう……?」
 
全く信じていない様子だ。無理もない。
長く休めばそれだけ「二人の顔を見たくないほどショックだった」と当事者からも野次馬からも勘ぐられると、頭の片隅で危惧してはいた。それでも数日は本当に動けない状態だったのだ。

「……もういい? 俺も早く忘れたいし」
「まあ聞けって。まだ未練ある? ぶっちゃけ別れて正解だよ。あの子口もノリも軽すぎ。俺はまあ遊ぶだけならアリだけど、直哉みたいな奴には最初から合ってなかったんだよ」
「は? 付き合ってるんじゃないの」
「いやいや。マジであっちからちょっかいかけられて、まあ据え膳だし? ちょっとつまんだ程度」

――てっきり、本気で付き合うのかと思ってた。
もちろん「なんだ付き合うんじゃないのか、よかったー」とはならない。本気で友達に彼女をとられるのと、遊びで友達に彼女をとられるの、後者のほうが余計惨めだ。

「勝手に色々暴露してきたよ。お前のデートのやり方とか、童貞で迫り方がどうとか。一応フォローしとくと最初はちゃんと好きだったし、人としてはマジでいいヤツだから罪悪感はあるって言ってたけどね」
「……っ」

傷口を抉られる気分だ。二人の間のことを恭平にまでべらべら話されていたなんて、なけなしの男のプライドが傷つきまくりだ。
可愛くて優しいと信じていた彼女は、そういう人だった。恭平の言う「合ってなかった」というのは悔しいが正解なのだろう。それくらいしか自分を慰める材料がない。

「そういう話、他の奴には……」
「ん? 俺が言うと思う?」

恭平はことさらに声を潜めて、秘密の話をするみたいに直哉の肩を抱いた。

「――なあ、女関係と男同士の付き合いは別物だろ。俺のこと避けてたけどそろそろ許してよ。友達だよね、俺たち」
「友達……? 彼女に手を出しておいて?」
「だからー、手を出されたほうなんだって。お前が傷つくかと思ってホントはあんまり言いたくなかったけど、そのせいで直哉から嫌われるのは嫌だから。あの子と直哉どっちとこれからもつるんでたいかって言ったら、迷わず直哉を選ぶよ俺は」

――恭平はこういう男だ。口が上手くて、普段は男同士の序列の上位にいる存在としてナチュラルに他人を見下したようなところもあるけど、不意に寄り添うようなことを言ってくる。要するに男相手でもタラシなのだ。だから女関係がだらしなくても友達が絶えることがない。
でも、あんなことがあった直後ではとても信用できない。頭の中を占めるのは、元カノとの間の黒歴史を広げてほしくないという不安だ。

「な、仲直りしようぜ。前みたいに気楽に遊ぼうよ。女と遊びたいなら可愛い子紹介してもいいし」

肩を抱きながらより馴れ馴れしく距離を詰められる。
恭平の言い分には全く納得できないが、このままだと丸め込まれてしまいそうだ。本気で怒れば怒るだけ惨めになる気がするから、なあなあにしたほうが楽ではあるのだ。
そのとき、別の方向から直哉を呼ぶ声がした。

「……ナオ、何してんの?」
「、……っ、な、何で」

息が止まるかと思った。恭平に声をかけられたときより数段上の驚きだった。だって彼にはもう会うことはないと思っていたのに、どうしてこんなところに――。
ドッドッと心臓が早鐘を打つ。直哉の異変に気づいたのか恭平も声の主に胡乱げな視線を向けた。

「誰? 今取り込み中なんだけど」
「俺はその子に用があるの。とりあえず離してあげなよ、嫌がってるじゃん」
「はあ? つーかマジで誰? 見たことない顔だし、直哉にこんな知り合いいたっけ」

甘い声で直哉を「ナオ」と呼ぶ男はこの世に一人しかいない。淫らな夜の記憶が鮮明に蘇る。
突然現れたシュウと恭平に険悪な空気が流れる。チャラいタラシ二人に挟まれる直哉。そのどちらとの関係も現在非常にややこしいことになっている。何という状況だろう。

「めんどいな。――ナオ、こっち来て」
「どうして、何でここに」
「どうして? 今ここでその話する?」
「い、いや、駄目!」
「なに俺をスルーしてんの。なー直哉、場所変える?」

シュウが直哉を呼ぶと、それに反発するように恭平の肩を抱く手にぐっと力が入った。大岡裁きされる子どもの気分だ。
――まだ恭平との話は終わってない。友達としては基本いい奴でも、機嫌を損ねると意地の悪い一面を見せることもあるから、蔑ろにしたら直哉の恥を仲間内で広げられるかもしれない。
でも。

「……、離して」
「おい……っ」

直哉は全力で腕を振りほどいた。恭平も本気の抵抗が来るとは思っていなかったらしく、解放されることに成功した。小走りでシュウの方へ向かう。

「直哉、話終わってないんだけど」
「ごめん恭平」

顔を歪める恭平に対して、シュウは少し口角を上げて余裕の笑みを浮かべた。どちらも直哉にとっては不穏な顔だ。
恭平を怒らせたかもしれない。でもどちらを優先するかなんて、考えるまでもなかった。
彼女にみっともなく振られて、友達に奪われた。恥ずかしいし情けない。できれば知ってる奴全員の記憶を消して回りたいし、もっとできるなら彼女と知り合った頃に戻って付き合った事実そのものをなかったことにしたい。
――でも。付き合った別れた、振った振られたなんて話は、キャンパス内に当たり前にありふれている。男女間なら日常茶飯事だ。
ではシュウとのことはどうか。
「二十才の誕生日に脱童貞するためにデリヘルを呼んだら、チャラいイケメンが来て、話すだけのつもりがペニスをねじ込まれて、あまつさえ経験したことがないほどの快感を感じまくってしまった――」なんて経験、世界のどこをどう捜せば同士が見つけられるというのか。
どちらのほうがより重大な話かなんて、最初から考えるまでもなかったのだ。
正門の方へ向かうシュウに直哉は黙ってついていく。時々女子がちらちらとシュウを見る。好意的な、見惚れるような視線だ。
これだけ目立つ容姿をしているのに直哉が今まで見たことも聞いたこともないのだから、実はシュウもここの学生だった、という可能性はないだろう。つまり完全なる部外者だろうに、実に堂々とした態度だ。
大学の敷地を出たあたりでシュウが口を開いた。

「ナオの家、ここから結構近いよね」
「え、いや、そうでもない……」
「近いよね?」
「………………はい…………」

家に入れろの一言があったわけでもない。なのに重圧に逆らえない。
タイミングがいいのか悪いのか、バス停に着くとすぐにバスがやってきた。


「あの……なんで」
「聞きたいのはこっちなんだけど。俺連絡してって言ったよね? 全然来ないから仕方なくこっちから会いに来てあげたのに、なんでそんなにビクビクしてるのかな」
「……」

きっと遠目から見たシュウは穏やかに談笑しているだけにしか見えないだろう。でも、二人がけシートの窓側に追い詰められた直哉には分かる。目が笑っていない。苛ついている。

「あれ、黙っちゃった? ま、話は部屋に着いたらじっくりしよっか」

このまま市内をぐるぐる延々と回ってくれないだろうか。そんな願いも虚しく、直哉の心の準備ができないままバスはアパートの近くにほとんど定刻通りに停まったのだった。
部屋に二人になると、嫌でもあのときのことを思い出してしまう。沈黙には一秒でも耐えられそうになくてシュウより先に口を開く。

「だ、大学に急に来るなんて」
「ん? いきなり家に押しかけなかっただけ感謝してほしいくらいなんだけど」

シュウは申し訳なさそうにするどころかしれっと返してくる。一体何なのだ。
金は……ちゃんと払った。終わった後別にいいよと言われた気がするが真に受けるほど馬鹿じゃない。なけなしの持ち金を押し付けた記憶がちゃんとある。
夜の世界は恐ろしいところだと聞く。踏み倒したりしようものなら、後から怖いお兄さんが出てきて何倍もの額を払わされそうだ。目も当てられない。

「俺、何か問題ありました? ああいうの困ります。もし友達とかに……その、変なことがバレたら……」
「変なことって、……ナオが俺のを咥えこんで、女の子みたいになっちゃったこと?」
「……っ、そんなのっ……」

不意に淫らなことを言われて、ぞくりと体が震える。忘れようとしていたのに、シュウはなおも畳み掛けてくる。

「ねえ、もしかして忘れようとしてる? あんなにハメられて感じて、アクメしまくっておいて、もう二度と俺に会わないつもりだった? 無理だって。俺言ったよね、ナオはハメられる側になっちゃったんだよって」
「……違う……、俺は」
「違う……? 普通の大学生に戻るつもりだった? つーかさっきの男誰? 仲良さそうだったけど、あんなチャラくて軽薄そうなのナオとは合わないんじゃない」

お前が言うかと心の中でツッコミを入れる。初対面同士なのに短い時間だけで険悪な空気が流れたのは同族嫌悪というやつだろうか。

「仲良くなんてない。あいつが……この前話した奴だから」
「あーあいつが。やっぱクズじゃん。俺の予想通り。そんなのとよく普通に話せるね。無視すればいいのに」
「急に話しかけられただけです。彼女より俺と仲良くしたいから、仲直りしようって」
「……ふーん。仲直りなんてするなよ。そういう奴は口では調子がいいこと言っても絶対再犯するから。……ナオには俺だけがいればいいよね」
「えっ……い、いや」

今の話の流れで何故突然そうなるのか。何故といえば、シュウが直哉に会いに来た理由が謎のままだ。

「あの……連絡しないから会いに来たって言ってたけど」
「――そうだよ。ナンバー1の俺があれだけ言ったのに無視するなんてナオくらいだよ。酷くない?」

つまり、直哉がシュウのナンバー1としてのプライドを傷つけたからということなのだろうか。
きっとシュウが甘い言葉を囁いて極上のテクニックで相手をすれば、ほとんどの女性は蜜に引き寄せられる虫のように簡単に落ちていたのだろう。無視される経験なんてなかったのかもしれない。
でも直哉は女性ではない。ただの男子大学生で金も持っていない。
いくら、いくらシュウとの行為が死ぬほど気持ちよかったからと言って、ハマったら最後、待っているのは身の破滅だ。シュウを二時間拘束する代金で一ヶ月の食費が簡単に吹き飛んでしまう。

「だ、だって、あんなの何かの間違いで……」
「ナオは間違いであんなエッチに女の子アクメできちゃうんだ?」
「うう……」

酷く混乱する直哉に対して、シュウは遥か高みから余裕の笑みを浮かべる。
思えば恭平ともこんな感じだった。仲良くしてくれているようでいつも相手の掌で遊ばれていた。
最初から対等な友人とは言えないと、気づいてなかったわけじゃない。決定的な出来事があって目を逸しきれなくなっただけだ。
シュウは恭平とは別の人間で、恭平よりもっと難敵だ。彼の口車に乗ることは、自分が……男のペニスを深く咥えこんでアクメする体を認めて、なけなしの財産まで搾り取られるということなのだから。

「この部屋見たら分かるでしょう。俺、あなたを何度も呼べるほどの余裕はないんです」
「のんきに大学に通って寝取り男と遊んでたんだから、余裕ないことはないくせに。それに金はいらないって言ったよね」
「そんなの信じられるわけない。大体シュウって普段は予約も取れないくらい人気って聞きました。一度呼んだ客一人が音沙汰ないからって大学にまで押しかけるなんてどうかしてる。全然必要ないはずなのに」

一息に言って、どうだ正論だろうとシュウを見やる。と、シュウはぴたりと一瞬固まり、わずかに動揺しているようだった。
初めて口で勝てるかもしれない、と思ったのもつかの間、シュウは瞠った目を細め、何かを心得たみたいに再び口を開いた。

「そうなんだよね。普通、キャストが客のプライベートを追いかけるとかありえない」
「で、ですよね」
「たまに客に本気になっちゃう奴もいたけど、ダサいと思ってた。俺たちの仕事は金の対価に夢を見させてやることで、それ以上でもそれ以下でもない。生かさず殺さずどこまで搾り取るかがプロの仕事なのに」
「ひぃっ……だから、俺、金なんてないし」
「知ってるよ。――なあ、ナオも、ホントは金目的なんかじゃないって分かってるんじゃない……?」

シュウが迫ってくる。なまじ顔が整っていて眼力があるから、まっすぐに見られたら迫力がすごい。形勢は簡単にひっくり返った。

「認めるよ。俺、なりふり構わず大学にまでストーカーしちゃうくらい、ナオから連絡なくて苛ついてた。俺に相手されたくて順番待ちしてる客なんていくらでもいるのに。これってどういうことか明らかだよね」
「いや……、ちょっとわかんないです」
「嘘。気持ちいこと思い出してる顔してる」
「しっ、してない」
「それも嘘でしょ。……だって、ナオの顔見てたら俺もムラムラしてきた」
「ぁっ……ん、……っ」

髪を一房手に取られ、撫でられる。くすぐったくてぞくりとして、図星を突かれてぎくりともする。
シュウとの淫らな行為は気持ちよすぎて、体にも心にも強烈に刻み込まれて、数日ではとても忘れることなんてできなかった。
それでも忘れなきゃいけないと思ってた。シュウはただ、金のために仕事としてやっただけだ。直哉だってあのときは深く落ち込んでいて、慣れない酒を煽ったのもあって、普通ではなかった。奇跡的な偶然が重なったイレギュラーな出来事で一夜の幻みたいなものだ。忘れられなくても忘れるしかないはずだった。
なのに、思わせぶりに甘い言葉を吐かれて触られたりしたら、また幻の中に引きずり込まれてしまいそうだ。


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