夜の主将 02



秋風が吹く広いグラウンドの一角で、いくつものボールが地面を走り、あるいは宙を行き交っている。
古豪と呼ばれるサッカー部だけあって部員の数は多く、練習でも笑顔はなく緊張感が漂っている。気を抜いたらすぐに怒号が飛び、罰として走らされることになるのを皆が知っていた。

「そこ、ちんたら走ってるんじゃねえぞ!」

叱責の声に、ターゲットとなった部員は慌ててジョギングをダッシュに切り替える。
石崎春馬は厳しい表情で部員達の様子に目を光らせていた。春馬はサッカー部の部長でありキャプテンだ。三年生が引退する際に指名され任に就き、数ヶ月経つ。
自分に厳しくストイックと評される性格を買われてのことだった。当人としてはただサッカー第一でやってきたというだけだったが、監督やコーチからは先頭に立って弛まないようしっかりまとめなさいと言われており、そうできるよう努めている。
アップが終わると、部員たちはいくつかのグループに分かれる。
一軍とそれに準ずる選手はビブスで色分けし、試合形式の練習を行う。練習とは言え出来次第でレギュラーが入れ替わることもままあり、ほとんどの選手は必死だ。

「中川、なんだ今の緩い守備は! ファール覚悟で止めに行ってもいいくらいなのに、そんな間合いじゃ打たれ放題だろ。やる気あるのか?」
「す、すいません!」
「謝っても仕方ない。前にも同じことを言っただろ。もういい、佐藤と替われ」
「先輩っ、俺、次は止めてみせますから」
「聞こえなかったのか? 替われと言ったんだ」

食い下がってきたところを一蹴すると、中川は悔しげにビプスを脱いで下がっていった。
監督達が不在だったり、別のグループを指導しているときには、春馬に仕切る権限が与えられている。こうして途中で交代させることは珍しくない。
中川は一年ながらすでに180を超える身長と、俊敏性を併せ持つ有望な選手だ。同じポジションを争っている2年の佐藤よりすでに総合的な実力は上と言っていい
だからといってミスや緩みをなあなあで許すとチーム全体に緊張感がなくなる。例え実力や才能が他と比べて抜けている選手でも春馬は容赦しなかった。

「集中していくぞ!」

自分に厳しく、他人にも厳しく。誰よりも春馬が気を緩めることは許されない。主将になったときからそう決めていた。

◇◇

「お疲れさまっしたー!」

暗くなり練習が終わると、ぐったりと疲れ切った様子の部員が多くを占める。
それでも片付けも終えて帰宅できる頃になると、帰り道に何を食べるだとか、明日の学校についてだとか、女子についてだとか、ワイワイとした声があちこちから聞こえてくる。
そんな中でも、春馬に気やすく話しかける者はほとんどいない。後輩はもちろん、同級生であっても。春馬が近くにいると声を潜めるくらいだ。
遠巻きにされている自覚はある。恐れられたり、厳しい態度を疎ましく思っている者がいることも分かっている。
お前が監督のつもりかよ、という陰口が聞こえてしまったこともあった。

「――石崎、ちょっといい?」
「何だ、氷川」

いつものように一人で帰宅の準備をしているところを呼び止められた。
氷川淳平。仏頂面をした春馬相手にためらわず話しかけてくる数少ない存在であり、サッカー部の副部長兼副主将だ。

「練習のことなんだけど、もう少し優しくしてやったら」
「……そんな話か」

氷川は春馬とは対照的に人当たりがよく、気遣いができるタイプだ。
サッカーでも性格に違わず視野が広くゲームメイクが得意なタイプで、不動のレギュラーの地位を確立している。
更には顔もよく、彼目当てに練習を見に来る女子が絶えないほどだが、それはサッカーには関係がない話だ。
気さくながら実力も十分とくれば当然部員たちからも慕われ、明らかに春馬よりも頼られており、正直なところ何故彼が主将ではないのだろうと疑問に思っているくらいだった。

「石崎のやり方が間違ってるとは言わないけど、厳しくし続けるのって石崎のほうもしんどいだろ? 中川とか結構凹んでたし」
「期待してるからこそ厳しく言うんだ。練習を外された程度で腐るような奴じゃないだろ」
「それ、そういうことを本人に言ってあげればいいんだよ。あいつお前のことめっちゃ慕ってるから、見切られたらどうしようって不安なんだよ。後からフォローすれば絶対モチベーション上がるって」
「……慕われてるのはお前だろ。そういうのはお前の役目だ」

中川のことは将来の守備の要になるべき存在として一方的に期待しているが、個人的に話したことはほとんどない。相談に乗ってやっているらしい氷川のほうが明らかに慕われている。
春馬はひたすら厳しくして、副主将である氷川がフォローする。それが何だかんだで上手くいっている、と思いたかった。

「そんなことないんだけどなあ。お前が厳しくした後ちょっと優しくしたら、みんなもっと……」

会話の途中で、下校を促す教師の声が聞こえてきた。

「もう時間だ。話は分かった、もういいだろ」
「本当に分かってるのかな。まっ今日のところはいいや。じゃあね」

氷川は、健気に何時間も練習を見ながら待っていた女子の方へ歩いていった。
あまり遊んでばかりいるなよ、と背中に声をかけようとして止めた。サッカーに支障をきたさない限りプライベートにまで口を出すべきではない。
氷川は春馬と違って器用な男なのだから、そんなこと言われなくても分かっているだろう。

◇◇

家に着くと、春馬はベッドに横になって大きく息を吐いた。部員には見せられない姿だ。
実際のところ、主将として気を張っているのは疲れる。
春馬は別に圧倒的な実力があって主将になったわけではない。むしろ春馬より才能も実力も上だと思わせられる選手もいる。その選手は性格と生活態度に問題があり、主将の適正はなかったというだけだ。
だから余計に「舐められる」ことを恐れている自分がいる。と言って氷川の言うように飴と鞭を使い分けるような柔軟性はない。ただの鞭になるのが春馬の役目なのだ。

「はぁ……」

何か別の趣味や楽しみがあれば息抜きにもなるだろうが、春馬は良くも悪くもサッカー馬鹿だった。気がつくと部活のことを考えてしまう。
テレビをつけてみたが、面白い番組はない。すぐに消して宿題でもやろうかと思っていたとき、スマホが鳴った。


知らない番号からだった。出るのを躊躇ったが着信は止まらない。
何か緊急の連絡かもしれない。春馬は通話に応じた。

「もしもし」
「はぁ……はぁ……」

電話口から聞こえてきたのは荒い吐息だった。
最初の一瞬は、酷く体調を崩しているのかと思った。しかしすぐにそうではないと気付かされる。

「だ、誰だ?」
「はーっ……可愛い声だね。もう硬くなってきたよ。君の声でシコっていい? オカズにしてギンギンち〇ぽ扱きたいな」
「はあ……?」

あまりに思いがけないことに、春馬は固まってしまった。
変態だ。それもかなりの。
どう聞いても春馬の声は男のものだ。特に高くもない。なのに同じ男に可愛い声だなんて言われて、卑猥な言葉を受けるだなんて。
女子が変質者の被害に遭った話なら時折聞く。女子は大変だな、そんな奴を見つけたら捕まえて警察に突き出してやろう、と思ったことはあれ、自分が対象にされるなどとは考えたこともなかった。

『なあ、何か喋ってよ……。どんなパンツ穿いてるの?』
「な……お、俺は男だ、あんた頭大丈夫か」
『そんなこと知ってるよ。その声だとまだかなり若いよね。高校生くらいかな? きっと可愛い顔に成長期の大人になりきれてないエロい体してるんだろうね……はぁっはぁっ……』

しゅっ……しゅっ……

男は低く掠れた声で言いながら、いっそう息を荒げる。
微かに音が聞こえてくる。何かを――いや、ペニスを扱いて、オナニーしている音だ。
春馬は今、男に欲情され、勝手に昂ぶらせたペニスを扱かれ、オナニーのオカズにされている。

「あっ……、気持ち悪い……っ」

体がゾクゾクする。春馬の中に湧き上がったのは悪寒や嫌悪ではなく、下半身が痺れるような、不可解な熱だった。
それが何なのか分からなくて、とにかく否定したくて嫌悪の言葉を吐いたが、男は気を悪くするどころか余計興奮したようだった。

『こういうの初めて? もしかして童貞なのかな? 声からしてきっとモテると思うけど、おち〇ぽ使ったことないのかな』
「ふ、ふざけるなよ」

不意に図星を突かれる。春馬は近隣では知られたサッカー部のキャプテンで、爽やか系と評される顔と平均より高い身長もあり、女子からの人気はそれなりにあった。
ただあまりコミュ力が高い方ではない上、サッカー一辺倒な生活を送ってきたため、誰かと付き合ったことはなかった。
部員の中には当然のように彼女がいたり、中には複数の女子と遊んでいるような乱れた者もいたが、あくまでプライベートの話だ。
周りには薄々勘付かれているだろうが、「モテるのにもったいない」等と言われたことはあれ、はっきり童貞と揶揄されたことなどなかった。
羞恥でかっと顔が熱くなる。

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