801短編集2 サンプル 02



「優秀な後輩はやり遂げる」

 社員旅行の行き先は、部長の鶴の一声によって、都内から程よい距離にある有名な温泉街になった。
 入社五年目の平は幹事を任された。あまり人を盛り上げたりまとめたりするのは得意ではないが仕方ない。伝統として長く続けられている旧世代的な社員旅行はよくも悪くも昔と変わりがなくて、その分過去の幹事からノウハウを教えてもらうことができた。
 一日目は皆仕事の疲れが取りきれておらず、観光もそこそこに旅館でゆったりする運びとなった。
「せっかく平さんが色々観光場所を調べていたのに、少し残念ですね」
「いや、結局ルート決めたのはほとんどお前だし。それにあちこち寄ってたら絶対まとめるの大変だったから、旅館でゆっくりできたほうがいいよ」
 移動の車中、他の人には聞こえないように、隣に座っている後輩と小声で話す。
 山瀬はもう一人の幹事で、部署で一番の新入りだ。新入りと言っても、まだ社会に出て間もないとは思えないほど落ち着きがある。
 いい大学を出ていて頭がよく、仕事の覚えも早い。教育係についてすぐ、平は彼の優秀さに舌を巻いた。同期や同時期の自分と比べても規格外で、すぐに教えなくてもできることが増えていった。もちろん最初から完璧というわけではなく、ミスをすることもあったが、同じ誤ちは繰り返さないし一度聞いたことはすぐ吸収して自分のものにする。
 それに加えて外見もいい。整った顔立ちで身長も高く、笑顔を見せたら最後、一瞬で女子社員達の心を掴んだ。
 全く反感も嫉妬もない、と言ったら嘘になる。せめて何か一つ、業績、上司や女性からの受け、顔、脚の長さ……、一つでも明確に勝っているものがあればよかったのに、山瀬は総合的に隙がない。平とてけっして劣等生というわけではないのに、比べるとどうしても男として負けている気がしてしまう。
 だが。
「ここまでは平さんに任せることが多かったので、宴会は俺に任せて下さい。平さんはお酒も強くないですし疲れているでしょう」
「……なんだよ、年寄り扱いか。確かに俺は四捨五入したら三十路でお前は二十歳だけど」
「分かってますよ。下手をしたら俺のほうが年上に見えるくらい先輩は平さんは若いです」
「何だそれ、いつも言ってるけど男に若く見えるって、褒め言葉じゃないからな。研修のとき俺を同期扱いして話しかけてきたこと忘れてないぞ」
「すみません、つい隠していた本音が」
「この野郎、一生隠してろ」
 ……山瀬は人当たりもいいのだ。優秀さを鼻にかけるようなところがなく、平を侮ることもなく慕ってくれる。相手の年齢や美醜で態度を変えたりもしない。悪口は好まないが、どうしようもないクレーマー気質の被害に遭ったときは愚痴ることもあるし、他人の愚痴にも嫌な顔一つせずうんうんと聞いてくれる。
 ……こんな相手を嫌って邪険にでもしたら、傍から見ても嫉妬していると丸わかりだ。実際そういう男性社員もいるが見苦しい奴扱いされている。
 嫌な奴だったら嫌いになってただろうけどむしろ真逆。平は割と単純な性分なので、好意的に接せられると自分も相手に好感を持ってしまう。つまり、山瀬を嫌うのは無理そうだということだ。
 
 交通の便と歴史ある町並みが売りでそれなりに流行っている温泉街の、流行っているとは言い難い少し古びた旅館が今回の宿泊場所だ。
 若い女子社員などは「SnS映えはイマイチ」「後で外に撮りに行こ」と少し残念そうだが、これが伝統とやららしいので仕方ない。荷物を旅館の入り口に入ると、大量のスリッパが並べられていて、若女将が出迎えてくれた。結構な美人だ。
 正直平も他の多くの若い社員と同じように、綺麗で設備の充実したホテルの方がよかったのだが、こういう趣は旅館ならではだなとも思う。
「……平さんて、何気に年上が好きですよね」
「え、な、何の話?」
 山瀬にふっと笑われた。そんなに若女将を見ていただろうか。でも若女将の方は山瀬に見とれていた気がする。なんて僻みっぽく思うのは接客のプロに対して失礼か。
 俺と山瀬は他の社員たちに少し遅れ、最後尾で部屋に向かう。
「……あれ、俺達の部屋って……」
「あーそうそう言い忘れた。本当は部長が使うはずだったんだけど、次長や浅丘さんと朝まで飲み明かすんだ〜って言って聞かなくてさ。絶対明日死ぬのに。二人部屋は俺達が使うことになったんだよ。他は四、五人の部屋が多いけど、まあ幹事特権ってことで」
「…………」
 山瀬が黙り込む。平としては四人より二人のほうが静かだし、ある程度気心知れた仲として気楽だから喜んでくれるかと思っていた。自惚れだっただろうか。
「あ、もしかして二人とか嫌? 俺いびきもうるさくないほうだと思うけど……嫌なら他の誰かと替えても」
「いえ、替えるだなんて手間を取らせるわけにはいきません。……このままでいいです」
「でも…………、あ、そう」
 無理することはないとフォローしようとしたが、山瀬が断言するときは言い分を変えることはないだろう、と言葉を引っ込める。
 結局変更はせず二人で部屋に入った。
 畳の部屋は年季は感じられるものの清潔で、二人には十分な広さで、奥には旅館特有のスペースがある。
「わー広…………ってほどじゃないけど、結構いい感じだな」
「そうですね」
「なんだよ、ノリ悪いな。じゃあ貸し切り温泉行くか」
「か……」
「さっき若女将が言ってたじゃん、予約にキャンセル入って、幹事さんはお疲れだろうから一時間貸し切りオッケーだって。なんかそこはかとなくお前の顔のおかげっぽいけど。折角だし入らない?」
「……いえ、俺、他人と風呂に入るのが少し苦手なので……。平さんは気にせず楽しんできてください」
 さっきから妙に歯切れが悪い。見た目では出していないだけで疲れているのだろうか。なんだか自分だけはしゃいでいるみたいでテンションの差が少し虚しい。
「え、じゃあ大浴場なんて無理じゃん。ここ部屋に風呂なんてないし。なら山瀬が先に入ってきなよ。俺は別に大浴場でもいいし」
「先輩を差し置いて俺からは入れません、平さんからどうぞ」
「だからいいって先輩が言ってんの。……このやりとり無意味すぎない? ほら、俺は後から行くからお前から行けって」
「……分かりました。すぐに出るので、大浴場には行かないでください」
「いやすぐには出るなよ。楽しんでこい」
 結局山瀬が折れて先に温泉に入り、やけに早く戻ってきた。期待はずれだったのかと思ったらいいお湯だった。
 


「ピンク映画館のヤクザ」

 生暖かい風が湿った雨の匂いを運んできた。間もなくぽつぽつと雫が頬を打つ。「降ってきた」というような声があちこちから聞こえる。用意のいい人は傘を差し、そうでない人は小走りになり屋根の下に避難していく。
 朝の天気予報によると午後の降水確率は三十パーセントだった。出かけるときの天気は晴天、そして気分も晴天だった京介は、降らないだろうと楽観的に考えて傘を持ってきていなかった。
 今の気分は空模様のように重くどんよりしている。そろそろ限界かな、とスマホで時間を確認してため息をつく。
 周囲の人々は突然の雨に多少体を濡らしながらも、「楽しみだね」「ポップコーン買って二人で食べよう」と楽しげに喋りながら映画館の中に入っていく。もうどれくらい彼らを見送ってきたことか。
 今日はSnSで知り合った女の子と映画に行く約束をしていた。待ち合わせ時間が過ぎてもしばらくは急かすこともなく、そわそわしながら待ったものだ。
 三十分が過ぎた頃、さすがに何かトラブルでもあったのだろうかとメッセージを送ったが、梨のつぶてだ。それからもう一時間以上。普通ならとっくに諦めて帰っているし、十中八九そっちが正しい。京介はなかなか諦めるという決断を下せなかった。
 何せ京介は童貞だ。女の子と付き合ったことも一度もない。
 どうあがいてもモテないほど顔や性格に難があるとは自己評価していない。周囲だって頑張れば余裕だよと言ってくれるしそれを信じたい。
 京介は男友達には比較的恵まれてきた。むしろ恵まれ過ぎたと言うべきか、割と顔がよくてスポーツができるようなタイプの友達が多い。故に周囲の女の子の目はそちらばかりに向いてしまい、なかなか恋愛対象にされてこなかった。
 「紹介してやろうか」と言ってくれる友達もいて、実際一回会ったが上手くいかなかった。女の子との会話に慣れていなくて全く盛り上がらず、一度つまらなそうにため息を吐かれたらもう完全に自信喪失。
 一度の失敗は京介を尻込みさせた。上手くいかなくて友達に気まずい思いをさせたり、あるいは醜態をからかわれるのが嫌で、それ以来紹介はしてもらっていない。
 女の子といきなり面と向かうとどうしても緊張して上手く話せなくなってしまう。そんなときSnS繋がりで彼女を作ったという友達の話を聞いて、これだ、と思った。
 顔が見えない文字でのやりとりなら挙動不審を晒す心配もない。じっくり文面を考えて多少気の利いたことも言える。趣味が合う相手を探すこともできる。
 そうして知り合った女の子は、好きな漫画が一緒で、スポーツ観戦の趣味も被っていた。プロフィールの画像も、自撮りと実物は違うというけど期待したくなる可愛い雰囲気で、連絡先を交換できたときは胸が高まった。
 彼女が好きな漫画の映画化作品が公開され、気になっているのだと言われたとき、勇気を出して誘った。OKをもらえた瞬間が京介のピークだった。
「あ……」
 雨が降り始めて間もなく、ようやく返答があった。わずかな期待を捨てきれずメッセージを開く。
『ごめん寝てた。これからバイトがあるから今日は行けない、ごめんね!』
 撃沈だ。元々気分屋なところはあるタイプだと思っていたが……。
 本当に申し訳ないとか、行けなくて残念という気持ちがあるならもう少しはちゃんとした文面になるだろうし、埋め合わせをする等と提案するだろう。女心に疎い京介でもそれくらい分かる。
 重い溜息が漏れた。京介が立っていた場所はかろうじて屋根の下ではあるものの風で体の半分が濡れてしまっていた。奥に移動して雨を避けようという気力もなかった。
 このまま楽しそうな人達に囲まれて恋愛映画を見る気分にはとてもなれず、京介は二時間近く根をはっていた地からついに離れた。
 
 さっさと帰宅してシャワーを浴びて乾いた服に着替えて、コンビニ飯でも食べて寝るのが正解だ。薄々分かってはいてもすぐに帰るにはモヤモヤしたものが溜まったままで、どうにか発散したくてたまらなかった。
 雨が本格的になってきたので、結局仕方なくコンビニでビニール傘を買った。彼女に奢るつもりだった映画代や飲食物代を思えば安い出費だ、と虚しく自分を慰めてみる。
 傘を差して駅の方へ歩いていると、また映画館が目に入った。ただし先程よりもずっと寂れていて、ちらほら見える客の層も全然違う。
 京介の足は自然と古びたビルの中に向かって行った。
 ポスターには、ファッションも髪型もちょっと古臭い印象の男女。そもそもポスター自体がくたびれているから昔の映画なのかもしれない。とてつもなく退屈な可能性もある賭けだ。だけどキラキラした今の若者の恋愛なんて見たい気分じゃないし丁度いい。
「学生さん? 身分証ある?」
「あ、はい」
 チケット売り場には、還暦前後に見えるよれたグレーのポロシャツを着た男が一人座っていた。ジロジロ見られ、慌てて大学の学生証を出す。無事学生料金で一枚購入して薄暗いシアターに入った。
 休日だというのに席はまばらだった。京介のように単独の客が多く、たまに二人連れがいる程度だ。それもカップルではなく男ばかり。女性には入りにくい外観をしているから妥当なのだろう。
 京介は少し迷って、前後左右に人のいない後列中央あたりの席に座った。少ししてタイミングよく上映時間になり、シアターは夜のように暗くなった。
 まず別の映画の予告CMが流れる。うんざりするほどテレビで宣伝している話題の作品――ではなく、流れてくる作品名を聞いたこともなければ役者の顔にも覚えがないのはどういうことだろう。
 うらぶれた雰囲気の男女が見つめ合い、突然濃密に絡みだす。ラブシーンは苦手で目を逸したくなる。しかし目を逸したところで、女の濡れた声は嫌でも耳に入ってくる。
 この時点であっと思った。というか気づくのが遅すぎた。固まっている間に本編が始まり、逃げるチャンスを逸した。
 ……仕方ない、と座り直した。というか焦ってはみたものの、完全に予想外だったかというと、即答はできない。
 客層は中年くらいの男ばかり。今どき若者や女性客を一切考慮していないような、レトロとも言い難いレベルで古びた外観。聞いたこともない作品名。
『あっ……はぁんっ……』
 画面の中の女が、導入もそこそこに突拍子もなく自慰行為を始めた。いや、これこそが「ポルノ映画」の導入部なのか。
 そう、きっとここはポルノ映画館だ。スクリーンの中の女の喘ぎ声に混ざって、あちこちから男の吐息が聞こえる。
「…………」
 もしかしたら、周りで自慰を始める男がいるかもしれない。もちろん見たくない。京介は真っ直ぐ画面を見ざるを得なくなった。
 スマホで手軽にAVが見られる時代だ。もっと過激で露骨で、生々しい扇情的な映像もたくさん見てきた。
 だけど映画館という空間がそうさせるのか、周囲に人がいる緊張感からか、ただのAV観賞ではありえない独特な雰囲気が流れる。空調の効きが悪くて、じっとりと汗が滲んでくる。
 

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