801短編集 サンプル


「兄の居ぬ間に」


今日は両親が家にいない。お父さんは泊まりの出張中で、お母さんは叔母さんの手伝いをするためだとかで田舎に帰っている。
 これが親子三人暮らしなら、たまには羽を伸ばせてラッキーって感じなのかもしれないけど、僕にとってはむしろ逆だ。
 こういう日は大抵、兄さんが友達を家に呼ぶからだ。
 兄さんは大学生だ。受験生の頃は一人暮らしする気満々だったみたいだけど、無事入学した大学は家から自転車で余裕で通えるくらい無駄に立地がよくて、結局実家に住んだままになってる。
 僕はあまり兄さんが好きじゃない。小さい頃は歳が離れてるから喧嘩することもなく、僕もお兄ちゃんなんて呼んで無邪気に懐いてたけど、小学校高学年くらいになったら嫌でも気づいた。兄弟でも明らかにタイプが違ってて、気が合わないってことに。
 僕はあまり話すのが得意じゃないし一人でいるのが好きだ。逆に兄さんは典型的なリア充で、アクティブなウェーイ系って感じ。自分の家族に言うのも何だけど顔がよくて、お洒落で、コミュ力が高くて、友達がすごく多い。
「お前暗いなあ。ちゃんと友達作れてんの?」
 兄さんからしたら僕みたいに辛気臭いのは何が楽しいんだって疑問なんだろう。たまに思い出したようにからかわれる。
 でも余計なお世話だ。どうせ僕は兄さんみたいにはなれないんだから。
 それに僕には、家族にだって絶対知られたくない秘密がある。知られたらどんな反応をされるか分からない。それもあって最近は必要以上に会話しないことにしてる。
 とにかくずっと一緒に育ってきた兄さんでもそんな感じだから、赤の他人である兄さんの友達はもう異世界人レベルで苦手だ。
「お邪魔しまーす。あれ、弟?」
「中学生? あんま似てないね」
 初めて会ったとき、いきなり見たことがない人達が何人も家にいて、僕はびっくりして固まってしまった。
 みんな髪型にも服装にも気を遣ってるのが分かるお洒落な感じで、顔もイケメンでスラッとしてて、イケメンリア充感丸出しだった。
「名前なんていうの?」
「あの……ごゆっくり」
 中でも特に目立つ背の高いイケメンに話しかけられた。優しそうな顔だったけど何だか直視できず、僕は何とかそれだけ答えて部屋に駆け込んだ。
「うわ、慧が無視されてる。うける」
「ちょっとショック。そういえば弟いたんだっけお前」
「逃げちゃったな、可愛いじゃん」
「そうか? 根暗なやつだよ。イジってもつまんないし気にしなくていいから」
「お兄ちゃん冷たいなあ。まだ毛も生えてなさそうな子に対して」
 部屋に駆け込んでドアを閉めたけど、壁越しに聞きたくない声が聞こえてくる。大学生にもなって全然デリカシーってやつがない。
 苦手だ。ああいうタイプはもし同級生だったとしても絶対グループが違って仲良くできない。年が離れてるからよけい理解できない生き物って感じ。
 だからあの人達が来たらできるだけ部屋に篭って顔を合わせないようにしてるんだけど、そうもいかないこともあって。
「お、弟くんおかえりー」
「今帰り? 中学生なのに遅くない?」
「俺たちなんてこんな時間から飲んじゃってまーす」
「ピザあるけど食べる?」
「……こんばんは」
 塾から帰ってきたら、もう兄さんの友達が揃っていた。親がいないのをいいことにリビングを占領して、つまみを広げて酒盛りしてる。中学生が塾で勉強してる時間から飲むって、大学生としてどうなんだろう。
 呆れた視線を向けると、友達の中の一人を見つける。あの、一番イケメンで目立つチャラい人。どう見てもすごく女にモテそう。モテない訳がない。
 ちらっと見ただけなのにばっちり視線がかち合って焦った。元々見られてたのかって疑うくらい。
 まあ、見られてたとしたら「似てない兄弟だな」とかそんなよく言われることを思われてたんだろう。僕は今度こそ階段を上って自分の部屋に篭った。
 二階にいても、時々笑い声が聞こえてきてうるさい。
 こんなときはヘッドホンで音楽を聞きながら漫画を読んだりスマホをいじったりしてる。曲が途切れたところで声が聞こえてくるのにイラっとするけどしょうがない。
 一、二時間経ったくらいで僕は立ち上がった。トイレだけは行かなくちゃいけない。
 ヘッドホンを外したら、お酒が回ってきたのか遠慮しない大声で話が盛り上がってるのが聞こえる。内容といえば女の話とか遊びの話とか、大学生のくせにくだらないことばっかりだ。何しに高い金払って大学行ってるんだろ。
 僕は呆れながらそっと部屋を出た。この家の欠点は二階にトイレがないことだ。一階に一つしかないトイレに行かなきゃいけない。
 まあ盛り上がってるし今なら大丈夫だと思ったのに、廊下でばったり鉢合わせてしまった。

【中略】

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「隣の淫魔」


ここ最近、年下の幼馴染の奔放さは常軌を逸している。
 部活を終えて帰宅する頃には日はすっかり沈んでいる。閑静な住宅街では街灯と家の灯りが道標だ。
 家に入る前に、向かいの家から幼馴染――新島千晴が女子と一緒に出てくるところを目撃してしまった。
「今日はありがと。またね」
「ああ」
 女子の上擦った声に対して、千晴の声には温度が感じられない。それでも女子はまるで夢を見るように頬を染め、うっとりと千晴を見上げてから名残惜しそうに帰っていった。
 一見するとクールな彼氏に惚れ込んでいる彼女、と言えなくもない。問題は、つい三日程前に目撃した女子と今の女子が別人であることだ。
 そしてこういうことは珍しくもなんともなかった。
「よう。また別の子? この前の子はどうしたんだよ」
「……ああ、」
 鉢合わせしてしまった以上黙って家に入る気にはなれず苦々しく声をかけたが、千晴は初めて存在に気づいた様子でこちらを一瞥してくる。
 綺麗だが感情に乏しい目と目が合う。
 お互いに嫌というほど見てきた顔だ。幼稚園のときに千晴の家族が引っ越してきた頃からのお隣で、小学校中学校はもちろんのこと、高校まで同じという腐れ縁なのだ。
 千晴はとても目立つ。曾祖母が欧州の人だとかで、その血を濃く継いだのか目や髪の色素が薄く、顔立ちも怜悧に整っていて不思議なオーラを放っている。身長も平均以上で特に脚が長く、日本人らしからぬスタイルをしている。女でなくともモテるのは納得できる。
 ただし見境なくとっかえひっかえするのはとても理解しがたかった。
「この前の子って誰のこと?」
「お前な……いつか刺されても知らねえぞ。まともに彼女作ればいいのに」
「余計なお世話。先輩には関係ないですよね」
 にべもなく言うと、千晴はさっさとドアを閉めて家に入ってしまった。話をする気など更々ないというように。
 苛立ちに顔を顰め、聞こえるはずもないのにことさら勢いよくドアを閉める。折角部活でいいタイムを出せて気分がよかったのにに台無しだ。
 心配しているのにあんな言い方はどうだろう。確かに昴に関係ないと言われてしまえばその通りなのだが――。
 昔は、小さな頃はあんなではなかった。元々他の子どもに比べれば大人しく、一人でいるのが好きなところがある子だったけれど、昴には懐いてくれていたのだ。
 昴も千晴を気に入ってよく遊びに誘い、千晴の親が仕事でいないときには自宅に招いてお泊りさせたりもした。
 仲のいい幼馴染だったはずだ。変わっていったのは中学に上がり、小柄だった千晴の背が一気に伸びて声も低くなり始めた頃だっただろうか。
 
「あいつ、お前の幼馴染だっけ? 鈴谷先輩とヤったらしいな。羨ましい」
「マジ? ちょっと前に江上と放課後の教室でヤったって聞いたけど」
「……さあ」
 千晴の奔放さは男子の間でも有名になっていて、友達が話題に出してくることも少なくない。学校内で可愛いと評判の女子と、学年関係なく次々に噂になるのだから当然だ。
 不思議と散々とっかえひっかえしている割に、女子からはあまり悪い評判を聞かない。もちろんヤリチンぶりを敬遠している子もいるが、肝心の関係を持った女子は決して千晴を貶したりしないらしいのだ。相当すごいセックスをするのだとか、詐欺師ばりに女の心をコントロールするのが上手いのだとか好き勝手な噂が飛び交っている。
 女子はともかく男子はそうはいかない。彼女を寝取られたとか、好きだった相手がヤリ捨てされたとか、例え女子の方が納得ずくであっても男から不平を持たれるのは必然だった。
 だから心配なのに、昴の方は一切気にした様子がないのがまた反感を煽っている。
「ホントすげえよな。そのうちやべえ女に手出してボコられそう」
「つーか結構、ヤリマンなだけで顔は微妙な女ともヤってるし、マジで見境ないよな。なんか変な病気だったりしてな」
 友人達の口調が段々ヒートアップしてくる。露骨な悪口を言って僻んでいると思われたくはないが、あくまで面白がっている風に貶したい。そんな気持ちが見え隠れしている。
 昴とてよく思っていないのは確かだが、悪意のある悪口は聞きたくない。本当に昔はいい子だったのだ。
 昴のことを昴君と呼んで、活発な昴やその友達の後ろを遅れがちになりながらも頑張ってついてきて――。
 女子のことも昔はむしろ苦手そうだった。足が速くてスポーツ全般が得意な千晴のほうがむしろモテていて、仲良く話してもいたくらいだ。
「……昔はあんなんじゃなかったんだけどな。おとなしいけどいい奴で」
「昔昔って言うけどさ、それいつの話よ?」
「小学生とかだろ? そりゃ変わるよ。逆に高校生なのにずっと赤ん坊とか小学生のままだったらキモいじゃん」
「まあそれはそうだけどさ」
 そう言われてはぐうの音も出ない。
 人は誰しも成長するもので、子どもの頃のままでいられるはずがない。当たり前の話だ。
 だけどどうしても昔の千晴を思い出してしまうと、そんな一般論で済ますのには抵抗があった。何がどうとは上手く言えないのだけれど。

【中略】

「十年目の想定外」


男に目覚めて幾年月。一体どれくらいの男を泣かせてきたことだろう。
 指使いの巧みさはベテランAV男優を凌ぎ、強靭な腰使いを食らえばどんなに強がっていた男でも淫らに蕩け、中に出してと懇願してくる。
 俺ににかかれば堕ちない男なんてどこにもいない。まったくち〇ぽが渇く暇もない。
 ――というのは全て、俺の頭の中で繰り広げられている妄想なんだけど。
 ゲイの世界は良くも悪くも性にオープンで積極的だ。男女間ならとりあえずデートを重ねて、雰囲気を作って、っていうよくある過程をすっ飛ばして、ヤリたいって欲望が合致すれば会ったその日にヤっちゃうのも珍しくない。
 そんな世界に身を置きながら、そろそろ四捨五入したら三十路にさしかかるというのに俺は未だに童貞だった。
「ああああっ……、なんで俺はモテないんだ!」
 ここはゲイが多く集う飲み屋。甘い空気をこれ見よがしに漂わせながら席を立っていく二人連れもちらほらいる中、俺はやけ酒を煽って頭を抱えていた。
 近くの席でゲイ仲間が苦笑してる。何がおかしい。
「マジで返していい?」
「え、それ傷つくやつ? やめて」
 さっき好みの男に声をかけて撃沈したばかりだ。追い打ちをかけられたら泣いてしまう。
「あっそう。ま、いつかなんとかなるんじゃない」
「いつかっていつだよ。無責任なことを言うな」
「俺に当たられてもなあ」
 回りにいるゲイ仲間は、ゲイの中ではそれほどガツガツしてないタイプだけど、何だかんだでそれなりにやることをやっている。ヤレてないのはマジで俺くらい。
 何杯目かのグラスには変に間延びした顔が映ってる。間抜けな負け犬の顔だ……。
「――何でって、鏡見れば分かるだろ」
「ぐっ……」
 通り過ぎる一瞬にストレートな悪口を言われた。
 誰かは見なくても分かる。椎名春彦――年齢と性別以外、ほとんど俺の対極にいる男。
 椎名は、俺がちょっといいなと思ってた男を連れてさっさとどこかへ行ってしまった。
「椎名さん、今日もかっこいいなあ」
「真生くん同級生なんでしょ? うらやましい」
「けっ……」
 椎名が来ると店が色めき立つ。「俺がっついてなくて余裕ありますよ」って顔をした男もこの時ばかりはつい目で追って頬を染めたりしてる。
 それもしょうがないくらい確かに奴は目立つ。ちょっと見ないレベルのイケメンで、身長は軽く百八十以上。ファッションは派手じゃないけどいつもいい服を着てて隙がない。
 要するにモテる。尋常じゃないくらいモテる。俺にとってはライバル心を持つのも虚しいほどレベルが違う存在で、完全に馬鹿にされてるんだけど、実は浅からぬ縁があったりする。
 というのも同じ高校出身で、もう十年前から見知っているんだ。
 椎名は高校生の頃から目立ってて、ちょっと近寄りがたい雰囲気があったけど男女問わず信奉者がたくさんいた。
 一方俺はその頃すでに男に目覚めてたけど、残念ながら当時からモテなかった。
 たまたま同じクラスになって、たまたま席が近くなって、俺は最初は椎名にびびってたけど、話してみたら意外と気さくで好感を持った。
 後から思うと、男と仲良くなろうと下心のあまり必死だったところを面白がられてただけなのかもしれない。それでも一緒に飯を食べたりたまに外でも遊んだり、友達と呼べる時期は確かにあったんだ。
 ……が、ほどなくしてまともな関係は崩壊した。
 椎名は女はもちろん男もイケる。そんな噂を聞いてからというもの、俺は椎名がやけに気になってきてしまった。
 ぶっちゃけその頃は性欲の全盛期で、欲求不満を持て余してた。要するにとにかくヤリたかった。
 気の合う友だちでイケメンな椎名が同じ趣味の持ち主だなんて、もうこれは運命なんじゃないか。若き日の俺は今より思い込みが激しかった。完全にトチ狂ってたんだと思う。
「――――は? マジで無理。キモい」
 俺の決死の告白はものの見事に玉砕した。確かにちょっと欲情しててはぁはぁ言っててキモかったかもしれない。けどものすごく嫌そうに、蔑んだ目で見られてかなりショックを受けた。
 実は椎名が男もイケるというのは事実無根の嘘だったことが、後になって分かった。
 そりゃノンケなら振られるわけだ、振られて当然だ、と自分を慰めていたんだけど、その後椎名は何の間違いか本当に男も相手にするようになる。ガードが固いと評判の学校一の美少年とヤッた話を聞いたときは開いた口が塞がらなかった。
 なら俺だって相手にされるのでは、というのは甘い考えで、奴は非常に好みにうるさく俺は問題外らしかった。選びたい放題の人間にありがちなやつだ。
 俺の恥ずかしい告白は、椎名の浮名におまけみたいにくっついて、地味に広がってしまった。知らない奴からも馬鹿にされて、当然モテないどころか蔑まれる高校生活を送るはめになった。まあそもそも悪いのは俺なんだけど。
 そこで椎名とはすっぱりと絶縁した――かと思いきや、微妙に腐れ縁が続いてたりする。
 二人とも同じようなところに住んでて、大学も職場も近場で、更に男が性的対象ってことで、行動範囲が被ってるから。
 とても仲がいいとは言い難くて、いつ会ってもモテない俺を、いつ会ってもモテている椎名が嘲笑するだけという関係なんだけど。
 変化が訪れたのは、俺が新たな行動を起こした直後のことだった。   top